昭和の爺の独り言

住みづらくなった世の中で、日々思うこと、感じることを書き連ねてみたい。
「もの言はずは腹ふくるる思ひ」・・・・。

歌は世につれ、世は歌につれ・・・・・

2023-09-03 08:57:51 | 日記
昭和の時代に、「歌は世につれ、世は歌につれ」という司会者の言葉で始まる歌番組があった。

たしか、玉置宏が司会者だったと記憶している。

「ロッテ歌のアルバム」という番組だった。


当時は、彼のこのセリフの意味がよくわからなかった。

が、70年ほど人間をやってきて、世の変容、人の移り変わりを見てきて、ようやくこの「セリフ」の意味が分かったような気がする。


それはさておき、昭和生まれの私には昭和の歌が心の中に強く残っている。

当然、歌と私の人生の1ページが不可分のもののようだ。

昭和の歌は、耳を傾けて聴くに堪えるものも多かった。

一緒に口ずさめるものであった。

バンドで演奏するときは、いろんなアレンジができて、対旋律を入れたりすることも容易だった。

またハモリも入れながら一緒に歌うこともできた。

さらには、スタジオミュージシャンたちの演奏テクニックも、大いに興味をそそられてものだ。

昭和の人間らしい社会・世相を反映したものであったように思っている。


しかし、最近の歌は一緒に口ずさめない。

まして心静かに耳を傾けるに値する曲も少なくなった。

特にアイドルグループの歌は、歌なのかダンスのBGMなのか判別がつかない。(これは私の年齢のせいだろう)

またメロディーラインも聞き取りにくいし、歌詞も聞こえづらい。

伴奏がやけにけたたましい。

歌番組では歌詞がテロップで出るが、「詩」とは程遠い「散文」のようだ。

やたら助詞や助動詞などの「文章の脂肪」が多いことも・・・。


昭和の歌の歌詞の多くには、「韻文」の薫り高く、言葉にも深みがあったような思いがある。


昭和の歌は、歌詞を聞けばその場面が容易に頭に描くことができたが、今の歌は・・・・・・。


歌詞に深みが感じられず、味わいもない。

小学校の作文のように単語の羅列、また意味不明の英語のフレーズを入れて立派そうに見せているように感じてならない。

これは曲を作る人間の国語力の欠如、感性の鈍さ・・・・・だろうかと。

当然、曲を聴く年代の国語力も以前よりもおとっているのだろうがから、こういう曲の方が受けるのかもしれない。


かと言って、今の曲を否定するつもりは毛頭ない。

音楽表現としては、時代・世相を反映した種々雑多なものがあって然るべきであるから・・・。

ただ、昭和の爺には理解できない部分が多すぎるということ。

今のような歌が流行るのは、今の時代がそんな時代だから・・・・・。


『歌は世につれ、世は歌につれ』

まさに言い得て妙・・・・・・である。