Hafa Adai

グアム・サイパン・テニアン
ミクロネシアの美しき島々

ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅 パート3 最終回

2009年03月26日 18時36分39秒 | サイパン

写真はASIAレンタカー
何時ものレンタルバイク屋さん(サンジーレンタカー)にホテルまで送迎に来てもらい、バイクのレンタル手続きをしようとしたら「バイクは有りませんので、違う店を紹介します」って言われ、ASIAレンタカーで125CCを借りることにしました。


写真はえびすや
ここで朝食を購入


写真はハムサンド・スパイシースパムむすび・クリームスープ
店内で食事を済ませ、ドライブにスタート


写真は日本刑務所跡


写真は日本刑務所跡
日本統治時代に造られたこの刑務所は、戦時中アメリカ兵の捕虜が収容されていました。独房の広さは3畳ほどで、今では草木が生い茂り当時の様子はわからないですが、埋まってしまった井戸、崩れ落ちた壁や錆びた鉄格子などがちょっと不気味です。
今回は、天気も良く明るかったので、内部をゆっくり散策することが出来ました。


写真は彩帆香取神社
アメリカ合衆国北マリアナ諸島サイパン島・ガラパンにある神社である。大正時代に創建され、第二次大戦後に破壊されたが、1985年に再建された。


写真は彩帆香取神社
第一次世界大戦中の大正3年(1914年)10月14日、大日本帝国海軍の戦艦「香取」はドイツ領であったサイパンを占領した。その際、ドイツ軍の望楼があった小山に小祠を建てて、軍艦香取内に祀られていた香取神宮の分霊(祭神 経津主神)を分祀して「香取神社」とし、その山を香取山と命名した。大正5年、台風により小祠が破壊されたため、香取山中腹に社殿を造営し遷座した。
その後、サイパン島での製糖事業が軌道に乗り、在留日本人の数も増えてきた。そこで、サイパンの開発を行った南洋興発の社長で「砂糖王」と呼ばれた松江春次は、香取神社では規模が小さいので新たに大規模な社殿を造営することとした。さらに、この神社をサイパン島だけでなく南洋群島全体の守護神とすることを南洋庁に提案したが、南洋庁では本庁所在地のパラオに南洋群島総鎮守(後の南洋神社)を創建することを考えていたので、これは許可されなかった。昭和6年(1931年)10月24日、現在地に新社殿が竣工して、香取神社を遷座し、さらに天照大神・大国主命を合祀、社名を「彩帆神社」(サイパン神社)とした。第二次世界大戦の際、サイパンは激戦地となり、1944年に社殿を焼失し、そのまま終戦を迎えた。(Wikipediaより引用)



写真は松江春次氏銅像
この銅像は、日本統治時代に南洋興発株式会社を設立し、サトウキビ栽培と製糖をおこなってサイパン島の一大産業に育てた松江春次氏のものです。
しかし、米兵によって銃弾が数カ所撃ち込まれており、弾痕が残っています。(左頸部に2発、左ポケットに1発)



写真は銃器機関車
この蒸気機関車は、松江氏が設立した南洋興発株式会社が使用していたものです。
戦前は、サトウキビや燃料などを輸送するために、北はイレスタ・マイゴ・ファハン(バードアイランド)から南はマジシャン湾まで軽便鉄道が敷設されていました。



写真は北マリアナ諸島連邦博物館(日本病院跡)
この博物館は、もともと日本統治時代の旧日本病院で、1998年に改修され博物館として生まれ変わった。自慢のコレクションは、17世紀に難破したスペインのガレオン船から引き揚げられた金、陶器、大砲や砲弾など。また日本統治時代の写真や歴史的資料、サトウキビ列車のミニチュアなどが展示されている。ちなみに日本病院は当時、ミクロネシア最大の規模と最新の医療技術を誇っていた。


写真は北マリアナ諸島連邦博物館(日本病院跡)


写真はアメリカンメモリアルパーク
2005年5月28日「アメリカン・メモリアル・パーク」内にオープン。展示品を通して太平洋戦争、第二次世界大戦など戦争に翻弄されたサイパンの歴史を知るこのができる。


写真はアメリカンメモリアルパーク
掲揚台で風に靡く星条旗&北マリアナ旗


写真はアメリカンメモリアルパーク
ノースフィールドの滑走路と、富士山をバックに飛ぶB29の写真が展示してあります。


写真はアメリカンメモリアルパーク
B29の計器版とハンドルやシートなどが展示してありました。
今回は売店で参考資料などを購入し忘れたので、次回は沢山購入してこようと思います。


写真はガラパン町にある気になる建物
おそらく神社関係ではなくて、お寺に関する建物ではないかと思います。
何方かご存知の方居ませんかね~。


写真はホットカレーレストラン


写真はカツカレー
いつもコレを注文します。
ライスはガーリックライスです。


写真はハファダイビーチホテル


写真は最後の食事
木曜日はガラパン・ストリートマーケットがありそこの夜店で購入した、バーベキュー2本とライス


写真はNW78便名古屋行き


写真は朝食
空港で何時ものラーメン。


写真はNWのビジネスシート
旅行社の手違いで、(オーバーブッキング)「ビジネスシートに変更か、ホテルも用意するのでもう1泊か選択して下さい」って言われ、その後の予定もあるので初めてのビジネスを選択しました。
しかし、椅子の間が広いですね~。


写真はNWのビジネス食事
陶器やガラスの器に感動。
飲み物も5$払わなくてもいいし、最高な体験が出来ました。

写真はセントレア到着ロビー掲示板
無事にセントレアに到着。


ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅パート3 最終回

ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅 パート3 サイパン編①

2009年03月26日 18時09分53秒 | サイパン

写真はサイパン国際空港

11時15分サイパン到着。
まだこの時間はランチタイム前なので、タクシーに直ぐ乗る事ができガラパンのハファダイビーチホテルに向う事が出来ました。
その後、レンタルスクーター(今回は125cc)を借りて島の北部方面へ出発しました。


写真はバナデロ(ラスト・コマンド・ポスト)


写真はバナデロ(ラスト・コマンド・ポスト)


写真はバナデロ(ラスト・コマンド・ポスト)旧日本軍最後の司令部
1944年7月7日サイパン陥落までの司令部壕、司令部といっても岩盤にコンクリートで固めただけの粗末なもので、この中で陸軍中将、海軍中将が自決した場所です。


写真はバナデロ(ラスト・コマンド・ポスト)旧日本陸軍九七式中戦車
今回は何時もとは逆方向から撮影してみました。


写真はラデラン・バナデロ(スーサイド・クリフ)


写真はラデラン・バナデロ(スーサイド・クリフ)
眼下の日本軍飛行場跡や太平洋に臨む「バンザイ・クリフ」周辺が一望に見られる場所です。


写真はラデラン・バナデロ(スーサイド・クリフ)
現在頂上は平和記念公園となっており、公園の中央には、十字架を背に立つ観音像が建てられています。


写真はカラベラケイブ
ここから先は未舗装で悪路の為、危険ですが2kmほど南に下りカラベラ・ケーブに行きました。


写真はカラベラ・ケーブ
スペイン統治時代には、反逆したチャモロ人を幽閉していたという鍾乳洞です。
又、戦時中は野戦病院に使われていたという話も聞いた事があります。
古代の壁画も見る事ができる場所ですが、暗くて解りにくいです。
カラベラとはチャモロ語で骸骨の意味です。


写真はイスレタ・マイゴ・ファハン(バード・アイランド)


写真はイスレタ・マイゴ・ファハン(バード・アイランド)
マドック岬とタンク岬の間の入り江にある石灰岩でできた小島で、産卵期になると日没前頃に無数の海鳥の姿を目にする事ができる場所です。
現場にいたガイドさんが「イルカが泳いでいるよ」って言っていたけど自分は、目が悪くてどこに”いるか”分かりませんでした。


写真はグロット
ここに行く為には、マドック岬から102段の階段を下りなければなりません。


写真はグロット
波の浸食によってできたもので、サイパンで最も人気の高いダイビングポイント。
世界洞窟ダイビングポイントでは第2位だそうです。1位はどこでしょうね~・・・。


写真はグロット
帰りは、102段の階段を上らなくてはなりません。
でも、ダイバーは重たい機材を持って上がる訳ですので大変ですね~。


写真はプンタン・サバネタ(バンザイ・クリフ)
この慰霊碑で、亡くなられた多くの方々の冥福を祈りました。


写真はプンタン・サバネタ(バンザイ・クリフ)
今回この場所で卒業旅行と思われる学生7人が、ウルフルズのバンザイをふざけて歌っていました。
大変、赦しがたい行為です


写真は670Rock Steady Shop(Tシャツ屋)

今回もTシャツを3枚購入しました。
その後、ホテルに帰り少し休憩の後、夕日を写しにビーチへ行きました。


写真はビーチからの夕日


写真は居酒屋 鳥秀 えん

今回も先回と殆ど変わらずのメニューを注文したようです。


写真は豚ホルモン・焼き鳥・ねぎま・しし唐焼き・ビーフケラグェン・枝豆


写真は焼き餃子・イカの塩辛
餃子はもしかすると、味○素の冷凍餃子かも・・・?。
塩辛はマヨネーズで和えてあるかも・・・?。


サイパン編②に続く


ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅 パート3 テニアン編③

2009年03月26日 00時10分25秒 | テニアン
テニアン2日目の朝です。
michiさんにコーヒーを入れて頂き、10時30分までに回れる場所を地図を見ながら確認し、先ずは昨日michiさんと行った和泉神社に向かいました。


写真は和泉神社 鳥居


写真は和泉神社 灯篭


写真は和泉神社 御社


写真は和泉神社 御社の柵


写真はテニアンビーチ


写真は小川砲台

テニアンビーチや小川砲台への道も全て草が刈られていて、先回とは違い随分容易にたどり着くことが出来ました


写真は教会の鐘楼


写真はカマービーチ

ここで何時かバーベキューをしてみたいです。


写真はスペイン教会跡

余りにも綺麗に草が刈られていたので、ビックリしました。
時間があれば、もう少しゆっくりと旧スズラン通りの日本統治の建物を探したかったのですが、これも次回の楽しみにとっておくことにしました。


写真はタチョンガビーチ

ここで写真を撮っていたら昨日厄介になったポリスが来て、道端にバイクを止めるなって怒られました。


写真はタガビーチ

天気と波の状態が良いと1番絵になるビーチです。


写真はテニアン空港

チエックインを済ませ、michiさんに出発の時頂いたおにぎりを食べながら搭乗を待ちました。(michiさんには、何から何まで大変お世話になりました。)


写真はテニアン空港

このタイヤはB29の物って聞いたことが有る様な・・・。


写真はフリーダム112便サイパン行き

サイパン編①に続く

ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅 パート3 テニアン編②

2009年03月20日 09時33分26秒 | テニアン
ノースフィールドエリアから南下し、チェルビーチに来ました。ここで、残りのガソリンと時間を確認し、羅宗台地を登りサンホセまで帰る位のガソリンは有るし、時間も3時30分なのでモービルで給油してスーサイドクリフまで回る事にしました。


写真はチェルビーチ麻生隊トーチカ


写真はチェルビーチ


写真はチェルビーチ


写真は水陸両用装軌車LTV

草が刈られていたので、近くまでいけました。


写真は千本樹(ガジュマル)


写真は羅宗神社


写真はレーダーの土台


写真は羅宗神社 御社跡


写真は羅宗台地からの風景


写真はチューロ駐在所


写真はチューロ駐在所

今回は草が刈られていたので裏側に回ることが出来ました。


写真は107海軍建設部隊(シービーズ)記念碑


写真は橘神社 御社跡

肝心な倒れている鳥居は発見する事が出来ず、御社のみで断念しました。
後でmichiさんに聞いたら「直ぐ左側にあったんだよ」って教えて頂き、次回の楽しみにする事にしました。


写真は住吉神社


写真は天仁央神社の石碑

これも不思議ですね。
住吉神社に何故、天仁央神社の石碑があるのか・・・。


写真は住吉神社御社と狛犬

他の神社もおそらくこの様な御社が祀られていたのでしょうね。(この御社は、最近再建されたものだそうです)


写真は広島型原子爆弾リトルボーイ


写真は長崎型原子爆弾ファットマン


写真はスーサイドクリフ慰霊碑


写真はスーサイドクリフ


写真は夕方のタガビーチ


写真はタガビーチに沈む夕日


写真はJCカフェ

本当はここで食べたかったのですが、今回のテニアンではポリスとの愛称が悪くて
テイクアウトを御願いし、その間にフレミングストアーにビールを買出しに行きました。


写真はシュリンプケラグェン

海老バージョンおいしかったです。


写真はビーフケラグェン

先回と併せていろいろなお店で食べましたが、JCカフェが1番美味しいと思いました。
肉にしっかり塩・コショウの下味が付いていて、その加減が実に絶妙でした


写真はフライドライス

量がハンパじゃなく多くて、数口で降参しちゃいました


写真はmichiさんから頂いたタコのビリカラ和え

テニアン産のタコだそうです。実はこれが1番おいしかったです。(michiさん、お世辞じゃなくてマジですよ)

サイパンでは殆ど寝ていなかったので、ベットに入ったら即爆睡でした

テニアン編③に続く

ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅 パート3 テニアン編①

2009年03月17日 12時33分48秒 | テニアン
3時10分サイパン国際空港に到着。
入国審査、税関を難なく通過、空港出口では何時も送迎の人が迎えに来ているので安心していたのですが、今回は何処を探しても居ません。
1時間以上経っても迎えが来る気配も無くて、不安になってオロオロしていたら、他の旅行社の人から日本語で話しかけられ、事情を説明したら自分の担当旅行社に電話を掛けてくれて、漸く迎えが来ました
ホテルに着いてやっとチェックインもう時間が5時30分です。
8時40分のフリーダム107便でテニアンに渡るのに2時間しか寝れません、起きれるか不安でしたが、7時30分には起きる事が出来き着替えを済ませタクシーで空港に向かいました。

写真はフリーダム107便(テニアン行き)

7時50分に空港到着、チェックインを済ませ外で一服していると空港係員から呼ばれ8時10分なのに出発しますって言われ写真セスナに乗り込みました。
このいい加減さが面白いんですけどね
って乗り込んだら、「エンジンが回らないから飛行機をチェンジします」えっえ~・・・
という事で、飛行機をチェンジしてそれでも予定より早い8時20分サイパンを出発し、8時30分テニアン空港到着。
今回、テニアンでの宿泊先は何時もお世話になっているmichiさんが始められたPAPACOCONUTS INNです。
空港で憧れのmichiさんをドキドキしながら待っていると、駐車場からmichiさんが現れ、初めての対面を果たす事が出来ました
michiさんに先回、和泉神社の場所が分からなかった事を話したら「空港から近いので今から行きましょうか?」って言って下さり、案内して頂きました。



写真は和泉神社ラッテストーン
michiさんに頂いた写真です。

和泉神社の後、部屋に荷物を置きレンタルスクーター屋まで送って頂き、フレミングでテイクアウトのクラブハウスサンドイッチを作って貰い、北方面に向けて出発です。


写真は日本海軍無線送信所


写真はマサロクビーチ

乾季で草も少なく、しかも綺麗に刈られていたので、容易に行く事が出来ました。


写真はマサロクビーチ


写真はロングビーチ


写真は日の出神社(NKK神社)御社跡


写真は日の出神社(NKK神社)二の鳥居

以外に裏側は白い事に始めて気付き、横にパパイアがある事も知りませんでした。


写真は日の出神社(NKK神社)二の鳥居


写真は日の出神社(NKK神社)一の鳥居


写真は日の出神社(NKK神社)一の鳥居


写真は日の出神社(NKK神社)一の鳥居


写真は日の出神社・戦没米兵慰霊地


写真はチゲットビーチ
ビーチの画像は、以前立ち入り禁止になる前に撮影したものです。


写真はチゲットビーチ
ビーチの画像は、以前立ち入り禁止になる前に撮影したものです。


写真はブローホール(潮吹き海岸)


写真はチャーリー滑走路(3番滑走路)

滑走路の東側から南方向に走りたどり着く事が出来ましたが、デビット(4番滑走路)へは道が無く(おそらく西側からしか無理かもしれません)ここで断念しました。


写真はベーカー滑走路(2番滑走路)


写真はエーブル滑走路(1番滑走路)


写真はエーブル滑走路(1番滑走路)


写真はクラブハウスサンドイッチ


写真は日本軍燃料庫


写真は日本軍弾薬庫


写真は日本軍の砲弾


写真はラムラムビーチ


写真はラムラムビーチ

このビーチも何度も断念した場所でしたが、草も刈られていて意図も簡単に着く事が出来ました。


写真は原爆組立工場跡

以前michiさんのハイク記事で見て行きたかった場所です。
この工場周りをぐるりと堤防の様な土盛がしてあります。
この様な工場があと2つ有るそうです。



写真はエノラ・ゲイ(B-29)にリトルボーイを積み込んだピット


写真はボックスカー(B-29)にファットマンを積み込んだピット

まだ、壊れたままなんですね。


写真は日本海軍第一航空艦隊司令部


写真は日本海軍第一航空艦隊司令部(裏庭)


写真は日本海軍第一航空艦隊司令部(台所)
内部画像は、以前立ち入り禁止になる前に撮影したものです。


写真は日本海軍第一航空艦隊司令部(洗面所)
内部画像は、以前立ち入り禁止になる前に撮影したものです。


写真は日本海軍第一航空艦隊司令部(トイレ)
内部画像は、以前立ち入り禁止になる前に撮影したものです。


写真は日本海軍第一航空艦隊司令部(風呂場)
内部画像は、以前立ち入り禁止になる前に撮影したものです。


写真は日本軍防空壕
日本軍軍用エプロンにある防空壕


写真は日本軍航空作戦ビル
現在ノースフィールドと呼ばれる滑走路付近から北のエリアは、日本時代は牛平原と呼ばれていました。

これで大体北側の要所は牛岬を除き、制覇する事が出来ました
南下しながらの様子は次回報告します。

テニアン編②に続く

ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅 パート3 グアム編

2009年03月16日 21時56分22秒 | グアム
3月13日(金)に帰国しました。
今回はなるべく何時もよりは早いペースで、ミクロネシア(グアム・サイパン・テニアン)3島巡りの旅パート3をUPしていこうと思います
今回の旅行は、いろいろ盛り沢山なので画像のサイズを大きくしてUPしていきます。

写真は名古屋高速吹上インター

3月9日(月)名古屋の天気は曇り気温10℃、今にも振り出しそうな天候の中、7時に家を出発、名古屋高速吹上インターよりセントレアに向けて車を進めます。
今回は渋滞も無く、順調にアットエルカパーキングまで予定時間内に到着する事が出来ました
セントレアに到着後、出国手続きも難無く済み、グアムに向けて出発です


写真は手荷物検査場前の掲示板



写真はNW24便(グアム行き)
見慣れない尾翼で一瞬焦りましたが、ノースウエストとデルタ航空が合併した事をこの時、思い出しました。



写真はグアムアガニャ国際空港
グアムの天気は晴れ気温30℃、名古屋との気温差20℃はいきなり暑いです



写真はグアムプレミアムアウトレット
ここで、ダイエットサプリメントを購入。



写真はグアムタモンの夜景
卒業旅行シーズンなのか今回はファミリーよりも、卒業したばかりの若い人達が多かった様に思います。



写真はビストロ亭横綱
居酒屋メニューが豊富で、味は自分なりの評価ではグアム1番だと思います



写真は2号店横綱
鍋物メニューなどがあり、個室も完備されていて、落ち着いた雰囲気な店舗です。
と言いながら、店舗内の大型テレビでWBC日本×韓国戦をオーナー守男さんと熱く観戦しながら、商売のノウハウなどを学びました


写真は生ビール・枝豆・焼き鳥
この後、生ビール3・焼酎ロック6・タコのケラグェン・スパイシーツナロールを頼みました。(何時もと全く変わらない注文でした。)



写真は自分とオーナー守男さん
話の尽きる事が無かったのですが、11時を回り空港に向わなければならないので、出発前に今回も守男さんと記念の1枚。
4月1日の再会を約束して空港に向けてタクシーで出発しました。



写真は松中選手の先回WBCユニホーム
守男さんとママさんはスポーツ選手・芸能人・歌手などとの親交が多いそうですが、特に親交の深い松中選手から貰ったユニホームです。



写真はソフトバンク王監督のユニホーム
これも凄いです、しかも上下セット。


写真はイチロー選手の生写真
新聞関係者から貰ったって、聞いた様な記憶が有りますが酔っていたので定かでは有りません。


写真はイチロー選手のサインボール
今年のWBC宮崎キャンプまで行かれて使用ボールに書いて貰った本物のサインボールです。
これらを見るだけでも十分価値があるお店です。


写真は深夜のグアムアガニャ国際空港


写真はCO9316便(サイパン行き)

CO9316便(2時20分発)でサイパンに出発しグアムの1日が終りました。

テニアン編に続く