大石寺64世の日恭。
第2次世界大戦中、昭和12年から20年まで貫主を務めている。しかし、その死は、あまりにも悲惨であった。
昭和20年6月17日、大石寺にて焼死。その焼死体が発見されたのは、大奥一階部分の、主に従業員などが食堂をしていた食堂の一角にあった竈(かまど)であった。
無残なことに、下半身と腹わたは焼けず、上半身のみ黒こげとなって死んでいた。
焼死する前日まで、静養のため、本山を留守にしており、もどったところ、火事に遭遇。巨体と病気のため、歩行はほとんど困難だったという。そのため、火事のため、大奥の2階の床が焼け落ち、日恭は1階にそのまま落下。
ちょうど、その直下の1階にあった竈(かまど)にはまり、逃げることもできず、火に焼かれ、苦しみながら焼け死んだのだ。
とても殉教や、成仏とはいえない悲惨な死に様。
なぜこのような死に様となったのか。
その理由は、あまりにも多い。順次、その理由をここで明らかにしていきたい。
まずは、(1)御書14箇所の削除である。
写真は、そのことを末寺に徹底した、昭和16年9月29日の教学部長名の通達文書。
治安維持法に触れ、不敬罪で逮捕されることを恐れ、日蓮大聖人が末法のご本仏である確信を述べられた箇所や、天照大神よりも釈尊が位が上であることを述べた箇所、隠岐の法皇が「地獄に堕ち給いぬ」と述べられ皇室批判ととられるような箇所
を削除するように通達している。
ちなみに削除の対象となった御文は下記のとおり。
●一切世間の国国の主とある人何れか教主釈尊ならざる天照太神八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり(P1187)
●此の日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり、天神七代地神五代人王九十代の神と王とすら猶釈迦仏の所従なり、何かに況や其の神と王との眷属等をや(P1410)
●又日本国の天神地神九十余代の国主並に万民牛馬生と生る生ある者は皆教主釈尊の一子なり、又日本国の天神地神諸王万民等の天地水火父母主君男女妻子黒白等を弁え給うは皆教主釈尊御教の師なり(P1410)
●かかる仏なれば王臣万民倶に人ごとに父母よりも重んじ神よりもあがめ奉るべし(P1410)
●此大科次第につもりて人王八十二代隠岐の法皇と申せし王並びに佐渡の院等は我が相伝の家人にも及ばざりし、相州鎌倉の義時と申せし人に代を取られさせ給いしのみならず島島にはなたれて歎かせ給いしが終には彼の島島にして隠れさせ給いぬ、神ひは悪霊となりて地獄に堕ち候いぬ(P1411)
●現身には我が所従等にせめられ後生には地獄に堕ち候ぬ(P1411)
●隠岐の法皇の果報の尽き給いし失より百千万億倍すぎたる大科鎌倉に出来せり、かかる大科ある故に天照太神正八幡等の天神地祇釈迦多宝十方の諸仏一同に大にとがめさせ給う故に、隣国に聖人有りて万国の兵のあつめたる大王に仰せ付けて、日本国の王臣万民を一同に罰せんとたくませ給うを(P1411)
●加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや(P1243)
●法華経弘まるならば死かばね還つて重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩といははるるやうにいはうべし、其の時は日蓮を供養せる男女は武内若宮なんどのやうにあがめらるべしとおぼしめせ(P1221)
●わづかの天照太神正八幡なんどと申すは此の国には重けれども梵釈日月四天に対すれば小神ぞかし(P919)
●日蓮は一閻浮提第一の聖人なり、上一人より下万民に至るまで之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に梵と釈と日月四天と隣国に仰せ付けて之を逼責するなり(P974)
●日本守護の天照太神正八幡等もいかでかかかる国をばたすけ給うべきいそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそはげみ給うらめ(P363)
●若宮八幡は亦百王鎮護の大神日域朝廷の本主なり、然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て(P1615)
本来なら、法主として、国家諌暁をしてしかるべきだが、逆に、迫害を恐れ、このように述べている。
「今秋雪山書房発行祖文纂要ノ要文中左の字句ヲ削除し法話講演等に引用セザルコトニ決定」
まさに、宗祖・日蓮大聖人に対する大謗法である。冒頭に述べたような仏罰がくだることはまちがいない。「法を惜しむ心」よりも「自分を惜しむ心」が強かった日恭。
冒頭に述べたような死に方を、仏法の因果の厳しきことを証明している。
第2次世界大戦中、昭和12年から20年まで貫主を務めている。しかし、その死は、あまりにも悲惨であった。
昭和20年6月17日、大石寺にて焼死。その焼死体が発見されたのは、大奥一階部分の、主に従業員などが食堂をしていた食堂の一角にあった竈(かまど)であった。
無残なことに、下半身と腹わたは焼けず、上半身のみ黒こげとなって死んでいた。
焼死する前日まで、静養のため、本山を留守にしており、もどったところ、火事に遭遇。巨体と病気のため、歩行はほとんど困難だったという。そのため、火事のため、大奥の2階の床が焼け落ち、日恭は1階にそのまま落下。
ちょうど、その直下の1階にあった竈(かまど)にはまり、逃げることもできず、火に焼かれ、苦しみながら焼け死んだのだ。
とても殉教や、成仏とはいえない悲惨な死に様。
なぜこのような死に様となったのか。
その理由は、あまりにも多い。順次、その理由をここで明らかにしていきたい。
まずは、(1)御書14箇所の削除である。
写真は、そのことを末寺に徹底した、昭和16年9月29日の教学部長名の通達文書。
治安維持法に触れ、不敬罪で逮捕されることを恐れ、日蓮大聖人が末法のご本仏である確信を述べられた箇所や、天照大神よりも釈尊が位が上であることを述べた箇所、隠岐の法皇が「地獄に堕ち給いぬ」と述べられ皇室批判ととられるような箇所
を削除するように通達している。
ちなみに削除の対象となった御文は下記のとおり。
●一切世間の国国の主とある人何れか教主釈尊ならざる天照太神八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり(P1187)
●此の日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり、天神七代地神五代人王九十代の神と王とすら猶釈迦仏の所従なり、何かに況や其の神と王との眷属等をや(P1410)
●又日本国の天神地神九十余代の国主並に万民牛馬生と生る生ある者は皆教主釈尊の一子なり、又日本国の天神地神諸王万民等の天地水火父母主君男女妻子黒白等を弁え給うは皆教主釈尊御教の師なり(P1410)
●かかる仏なれば王臣万民倶に人ごとに父母よりも重んじ神よりもあがめ奉るべし(P1410)
●此大科次第につもりて人王八十二代隠岐の法皇と申せし王並びに佐渡の院等は我が相伝の家人にも及ばざりし、相州鎌倉の義時と申せし人に代を取られさせ給いしのみならず島島にはなたれて歎かせ給いしが終には彼の島島にして隠れさせ給いぬ、神ひは悪霊となりて地獄に堕ち候いぬ(P1411)
●現身には我が所従等にせめられ後生には地獄に堕ち候ぬ(P1411)
●隠岐の法皇の果報の尽き給いし失より百千万億倍すぎたる大科鎌倉に出来せり、かかる大科ある故に天照太神正八幡等の天神地祇釈迦多宝十方の諸仏一同に大にとがめさせ給う故に、隣国に聖人有りて万国の兵のあつめたる大王に仰せ付けて、日本国の王臣万民を一同に罰せんとたくませ給うを(P1411)
●加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや(P1243)
●法華経弘まるならば死かばね還つて重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩といははるるやうにいはうべし、其の時は日蓮を供養せる男女は武内若宮なんどのやうにあがめらるべしとおぼしめせ(P1221)
●わづかの天照太神正八幡なんどと申すは此の国には重けれども梵釈日月四天に対すれば小神ぞかし(P919)
●日蓮は一閻浮提第一の聖人なり、上一人より下万民に至るまで之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に梵と釈と日月四天と隣国に仰せ付けて之を逼責するなり(P974)
●日本守護の天照太神正八幡等もいかでかかかる国をばたすけ給うべきいそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそはげみ給うらめ(P363)
●若宮八幡は亦百王鎮護の大神日域朝廷の本主なり、然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て(P1615)
本来なら、法主として、国家諌暁をしてしかるべきだが、逆に、迫害を恐れ、このように述べている。
「今秋雪山書房発行祖文纂要ノ要文中左の字句ヲ削除し法話講演等に引用セザルコトニ決定」
まさに、宗祖・日蓮大聖人に対する大謗法である。冒頭に述べたような仏罰がくだることはまちがいない。「法を惜しむ心」よりも「自分を惜しむ心」が強かった日恭。
冒頭に述べたような死に方を、仏法の因果の厳しきことを証明している。