平方録

身辺をつれずれに

Honorary Member Card ♪

2018-08-31 06:52:09 | 随筆
さる7月にデンマークのコペンハーゲンで開かれた世界バラ会議2018で横浜イングリッシュガーデンが世界バラ会連合から「優秀庭園賞」を贈られたのを記念した内輪の祝賀会が開かれ、美味しい酒を飲んできた。

全体の設計や植栽計画を立てて運営の中心になってくれている河合伸之スーパーバイザーをはじめガーデナー4人とその他の関係者5人を合わせた総勢10人のこぢんまりした集まりに招かれたのだ。
ボクの役回りは当初ガーデンとは無関係だったのだが、開園から2年が過ぎようとしている時期に庭の植栽が一向に伸びてこないことと投資計画の不明瞭さを指摘したところ、その指摘が的を得ていることが分かり大騒ぎになった。
で、その収拾を誰が担うのかという段になって、にわかにボクに白羽の矢が立ってしまったのだ。

形の上では言い出しっぺになってしまい、渋々引き受けざるを得なかったのだが、難題は10年の契約を結んでいた会社との契約解除交渉と新たに誰に任せるかという雲をつかむような問題だった。
ここでその経緯をあれこれ書くことも可能だが、それでは相当長文になってしまうので省くが、契約解除交渉は著作権が専門の弁護士に相談して知恵を借りたことと、必ずしもにこやかな表情だけで交渉に当たったわけでもないことも相まって思った以上にスムーズに事は運び、同時並行でひょんなことから紹介された河合さんを拝み倒してスーパーバイザーに就いてもらった結果が今回の受賞に結びついたという訳なのだ。

河合スーパーバイザーによると10年に満たない庭が受賞することはこれまでほとんど例がなく、しかも面積がやや狭いのと併せると「どうかな? 」と思っていたそうだが、それらを割り引いても見事な庭だと世界に認められたわけで、その端緒を切り開いた一人として素直に嬉しい。
まぁ、そんな背景もあってリタイアしているとはいえ、今回の祝賀会に呼んでもらえたんだと思う。
いま売り出し中の創作日本料理の店が会場で、料理はともかく山形の日本酒「山法師」を久しぶりに飲んで、これが五臓六腑によくしみた。
それでなくてもおいしい酒が一層美味しく感じられたのはシアワセの一言に尽きる。

スーパーバイザーとガーデナーたちスタッフのおかげである。
この授賞の報が効いたのかどうか、例年極端に鈍る8月の入場者数がこれまでの年の数倍に上ったというのだからこれまた驚きで、みんなニコニコしていたのが印象的だった。

するとボクにもサプライズが待っていて、河合スーパーバイザーからそれなりの大きさの封筒がにぎにぎしく手渡され、何かと思って封を開けると「honorary member」と書かれたカードが2枚入っている。
「ご夫妻に終身パスポートを贈りますので、これからもちょくちょく足を運んでください」と言われた。
終身名誉会員証ってわけで、カードの裏には「有効期限2099年7月末日」とあった。

とりあえずは今のボクの年齢の倍以上という設定だが、あと81年しか使えないとなると終身と言いながら果たしてそれで間に合うかどうか、いささか心もとない気もする。しかし、その時はその時で時代も変わっているだろうからまた別の展望も開けることだろう。
とにかく無くさないようにしなければ ♪




世界バラ連合から贈られた「優秀庭園」の認定証


これが終身名誉会員証

以下は今年5月の横浜イングリッシュ―ガーデンから















コメント (8)

目にはさやかに見えねども…

2018-08-30 06:49:54 | 随筆
もう数日前からヒグラシの鳴き声が聞こえなくなっている。

来し方を振り返ってみると夏の暑さの中に忍び寄る秋の気配をかぎ取ってはそれを口に出して「もう秋の気配だなぁ」などと悲しんだりすると、家人らは「まだ十分に夏なのになんて気の早いことを。せっかち過ぎる」などと笑われたものだが、自分でもそういう悲観的な考え方はどうかな? と思ったりもしたものだ。
それでも夏の盛りになると古今和歌集の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」という歌などは作者が誰かなどにはとんと興味がないが、この歌の趣旨だけは実によく理解でき、それこそ家人に馬鹿にされようが「ボクの身体にはこういう歌を詠む古の日本人と同じ血が流れているのさ」と静かな気持ちになったものだ。
だから「あかあかと日はつれなくも秋の風」と芭蕉が詠めば、「そうなんだよなぁ…」としみじみ共感し、その気持ちは痛いくらいよく理解できるのである。

それが今年に限っては立秋が過ぎようが8月も残りあと数日となった今でも、実感として秋を感じることがない。
それが古希を迎えたことと何か関係があるのか、はたまた猛暑だ酷暑だと言われてもナンノソノ、今年くらい晴天続きの夏を十分に謳歌したことがないほどたっぷりと夏に浸りきっているから、ボクの周辺には秋の忍びよるスキも無いのかもしれないなどと真顔で考えたりもする。

例年と違って関東地方の梅雨明けは史上最速の6月29日だったが、昨日までたっぷり2か月は夏らしい夏が続いているのだ。
この先、暑さ寒さも彼岸までの言い伝え通り秋分の日の彼岸辺りまでは十分に暑い夏であってくれれば、今年の夏は「良い夏だった」と言えるだろう。せつにそう願っている。

それでもというか、ヒグラシは店じまいしてしまったわけだし、夏の食卓をにぎやかにしてくれたミニトマトもゴーヤもいつの間にか実の付き方が悪くなってしまっている。
このほかにバジルやリーフレタス、シソ、イタリアンパセリ、ルッコラといった葉物からは往時の勢いはすっかり消え失せてしまった。
ただ、炎暑に休んでいたナスだけがひとり薄紫色の花をたくさん咲かせ〝嫁に食わすナ〟の秋ナスに期待を抱かせていところなのである。

昨日は朝から曇り空の珍しい日だった。
と言ってもどんよりした曇り空ではなく、俗に高曇りと呼ばれる今にも太陽が顔をのぞかせそうな明るい曇り空で天井も高かった。
それでふと思い浮かんだのが、こういうどちらともつかないような日は普段と違ったことをしようと稲村ケ崎の黄金の湯に浸りに行ってきた。
真夏の強い太陽にさらした肌をいくらかでも鎮めようという気持ちもあったのだ。

あの温泉は日本でも数少ない黄金色の湯で、浴槽にたまっている湯を見ると真っ黒に見える湯だが肌がすべすべになると評判で、のぞいたわけではないが入り口カウンターでロッカーのカギを受け取る時に見る限り、いつも女湯のカギの数が少なくなっているから期待が膨らむのだが、見かけるのは決まって「お年を召されたご婦人ばかり」で女心も現金なものである。
これに対して男湯は、見覚えのあるオジイサンが先客でいたが入れ替わるように上がってしまい、その後ボクが上がるまで45分くらい1人で広い浴槽を独り占めしてやった。

開け放たれた浴室から見える相模湾はべったりと凪いでいて、さすがにサーファーの姿はなく、ただただ蒸し暑いだけでやっぱり秋をしみじみと感じるには至らなかった。

最近のボクの句。
 秋の虫猛暑で楽器ふやけたか

おしまい。




浴室からはこういう景色が眺められる


ほぼベタなぎの海


新田義貞の軍勢はこの岬の海に剣を投げ込んで潮が引くのを祈願し、潮が引くのを待って鎌倉になだれ込んだのだ



今朝のパンジーの苗床


もうぼちぼち芽が出そろってくるころかなぁ~

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それにしても、ここまで壊されてしまうとは…

2018-08-29 06:41:29 | 随筆
やっぱりな。やっぱりそうか。そこまで行っちゃってたか! という思いだ。

国民の奉仕者たる公務員、わけても法律や様々な制度設計を担う国家公務員たち、そこで決まったことを率先して模範を示しつつ決まりを守っていくべき国家公務員たちが、民間には厳しく順守を迫りながら自分たちは涼しい顔をしてその取り決めを踏みにじっていたということが明るみに出た。
具体的に言うと、国や地方自治体、企業は障害者雇用促進法で従業員の一定割合(法定雇用率)以上の障害者を雇用する義務があるのに、政府が行った国の33行政機関を対象とした調査で27機間が水増しした数字を掲げてお茶を濁し、決まりを守っていなかったという深刻な事態が判明したのだ。

このニュースを見聞きしてつくづく感じたのは、アベなんちゃらは遂にここまで行政を破壊しちゃったのか! という思いである。
「忖度」。新明解国語辞典によれば「自分なりに考えて、他人の気持ちをおしはかること」と解説される。
この忖度こそが森友加計学園問題を引き起こし、国民の間にアベなんちゃらに対する不信、政治そのものに対する不信を招きながら、忖度されたアベなんちゃら本人は我関せずで逃げ回るばかりで、一向に真相は明らかにならない。
この間に森友学園に対する国有地売却に関する財務省の記録文書が改ざんされたり、加計学園を巡っても様々な疑惑が浮上したにもかかわらず何一つ解明されず、かえって疑惑は増すばかり。
それでもなおアベなんちゃらは知らんぷりを決め込んだままだ。それがまたまかり通るというのはどういうことなのか。

障害者雇用をめぐる問題も含めて、全体の奉仕者たる国家公務員が奉仕すべき相手を国民に向けず、アベなんちゃらに向けているからこういうことが次々に起きてくるのだ。
法律や規則に定められたとおりに国民に対する行政を地道に行っていればこうした間違いは起こるはずがない。
ましてや公文書の改ざんなんて…

各省庁の幹部級人事権を首相官邸が握るに及んで高級官僚とその予備軍たちが官邸からにらまれないよう、それこそ「忖度」を始めた結果、官僚たちの不作為が蔓延し、アベなちゃらの意向ばかり気にするようになってしまった結果なのだ。
あのお方の機嫌さえ損ねなければ、国民に目を向けなくても済んでしまうのだ。根は決して浅くない。

だってそうでしょう!
集団的自衛権の行使は憲法9条で禁じられているはずなのに、閣議決定という奇手を使って9条をあっさりと踏みにじり、「戦争法」と呼ばれる法律を強行採決の末成立させてしまった内閣である。
憲法すらなきがごとし! こんなのがまかり通るのなら日本は法治国家でも何でもない。
そんな空気は高級官僚たちに浸透しているのだ。とどのつまりが自分の立身出世だけを願う自分ファースト。情けない限りだ。

守るべきはアベなんちゃらのメンツであって、しかも人事の首根っこはアベなんちゃらが握っているのだから出世欲の強い高級官僚は身動きが取れず、アバ官邸に従うしかないんである。
それ自体寂しい話で実に情けないが、官僚というのはそもそもそういう部分を色濃く宿す人種だから、そこに付け込まれているわけで、アベなんちゃらのやり方が巧妙と言えばそれまでだが、弱みに付け込むわけだから、やり方としては汚い。
そうこうしているうちに行政がどんどん壊されて行っているという寸法である。
壊してしまったものを元に戻すには相当な時間と努力を要する大変な作業が必要になってくる。そもそも、こんなことになってしまっている官僚機構にそんなことが可能なのかどうかすらう疑わしい。

これから先、東南海地震やら首都圏直下型地震、果ては富士山をはじめとする火山の大噴火などなど未曽有の困難が降りかかることが懸念されている日本で、これほどまでに行政が壊されているようだとロクな対応が出来ないのではないか。
自分たちの手で自分たちの国土を復興させることが出来なくなるのではないか、そんな危惧・懸念が付きまとうのである。

これから先まだ3年もアベなんちゃら独裁政権が続くようだと、絶望的な様相を呈することだろう。何が「美しい日本を取り戻す」だ。
自民党の大多数の国会議員がそれでもなおアベなんちゃら支持だというから、自民党というところはマナコの濁った連中ばかりが集うところのようである。
何をかいわんやだ。











江ノ島に渡る弁天橋の上から=16:30ころ
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散水車は空にして 涼風もまた来たらず

2018-08-28 06:27:19 | 随筆
昨日の夕方から夜にかけて東京辺りではラピュタの城がある巨大雲のような雷雲が現れて雷鳴を轟かせ稲光を発しながら大雨を降らせて大暴れし、その一部が横浜にも届きそこでも家路を急ぐサラリーマンらの足を躊躇させたらしい。

スマホにも午後の7時過ぎからわが海辺の町の名前を示しながら「大雨警報」を知らせるメールが数本届き、9時を過ぎるころには一瞬だが湿った風が吹いてきて何やら不穏さを漂わせ、いよいよかと思ううちゴロゴロごろと雷鳴1発、よし! ついに来たか、「大型散水車来たる」「涼風来たるだな」などと不謹慎なことを思い浮かべて期待すると間もなく雨がパラっと落ちてきた。
当然その後の展開に期待しつつベランダに出て雨を待ちつつ、これで庭の木々をはじめ植物たちも一息つけると思いきや、雨はその後音無し。一瞬「パラッ」と来ただけで「パラパラ」にも届かずお湿りにもならない。雷鳴もあの最初の1発だけでシーンと静まり返ったままである。

ったく! 雷雲域の南の外れのそのまた外れ、ちぎれた雲の端切れがほんの少しだけかすめて通ったというか、この辺りで消滅したということらしい。
今夏は1度だけ深夜に雷雨があって、ゴロゴロドカンという雷鳴に一瞬眠りを妨げられたがすぐに寝てしまい、それがどれくらい続いたのかさえ知らないので、雷雨の実感は皆無といって良いのだ。
従って不謹慎さを繰り返せば、雷雲が大暴れした後に概ね東の空に現れる虹が見たいなぁと思っているのだ。
まぁ、そのデンで行くと昨日の場合は9時過ぎのことだから虹はそもそも無理な話で、期待できたのは水撒き効果と天然クーラー効果くらいなものだが、それだって大自然がもたらすものはお手本中のお手本なのだから、じっくり味わいたい所だったのだ。
まったく残念なことであった。

関東地方を見舞う雷雲の多くは西から東に向かったり、北西方向から南東方向に向かって移動するケースがほとんどで、稀に北から南に下る雷雲が出現すればわが海辺の町までやって来てにぎやかにひと騒ぎして過ぎ去るという寸法なのだ。
だがしかし、それはあくまで「稀」なケースなのである。
したがって群馬や秩父の山沿いで発生する雷雲は東か南東に向かうのが定番だから、そうなると東京や埼玉、千葉あるいは群馬、栃木、茨城を通過するのみということになる。
かくしてわが町までは涼風は届かず、蒸し暑い空気に包まれながらベッドに転がらざるを得ないということになるのだ。


それにしたってあの物々しい警報の数々は何だったのサ、と言いたいね。
雷鳴用の充電器持ってねぇ~のかぃ? 散水用のタンク小さすぎるんじゃねぇ~のかぃ?
それとも途中で大盤振る舞いのし過ぎか?

午後からは身近に大きな入道雲が現れてもいたんだけどねぇ……



わが家から北北東の方角に現れた入道雲=16:05


2時間15分後にはここまで崩れ、夕日に輝いていた。芭蕉が奥の細道で詠んだ月山の句があった。「雲の峰幾つ崩れて月の山」。昨日は十六夜の月だったなぁ…


炎天下をテクテク歩いて郵便局まで用を足しにゆき、その足で隣町まで出て散髪して帰る途中に東の空に見えた雲の峰=15:29
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春は花 夏ホトトギス… 本来の面目とは

2018-08-27 06:58:23 | 随筆
昨日は暑かった。

午前7時45分に家を出て円覚寺まで自転車を漕いで行ったのだが、8時前だというのに太陽の光は肌を焦がすほどに熱く、思わず「うわっ! 」と声が漏れるほどで、あまりの暑さになるべく力を入れないように漕いで行ったつもりだが、汗だくになってしまった。
円覚寺の大方丈に着いてからでもしばらくは汗がひかず、首振りの扇風機の振り幅に合わせて体を移動させつつ風を浴び、それでようやく落ち着きを取り戻したのだった。
ボクの感覚では鎌倉で今夏1番の暑さではなかったかと思う。

昨日は第4日曜日なので説教師の資格を持つ円覚寺派の坊さんが話をする日だが、去年だか一昨年だったか、予定していた坊主が都合悪くなって横田南嶺管長が代打を務めたのだが、それ以来8月だけは毎月第2日曜日に加えて第4日曜日も横田管長が務めることになったようである。
そんなことは知らなかったので、横田管長の話が聞けたのは幸運だった。

坊さんというのは気の毒なもので、いくら気温が高くなっても人前に出て話をしたりする場合には正装で出てくるのだ。
絽の着物とか薄手の布地で出来たものを身に付けるとはいえ、それだって3、4枚も重ねれば十分に暑いはずである。
おまけに大きな声を張り上げて話すのだからエネルギー消費は相当に高かろう。頭のてっぺんやら顔の汗をぬぐいぬぐい話をする横田管長を初めて見た。

この暑さを念頭に置いての法話だったのかどうか、その辺りの真意は定かではないが、法話の趣旨は「大自然と一つになっていくことが禅の修行です」というものだった。
ボクのレベルだとあまりの暑さにたまりかねてヤケのやんぱちになって「暑いのだってまさに大自然の成せるところ」とばかり、テーマに選ぶこともありうべしだが、畏れながら悟りを開いた宗門第一の高僧はお釈迦さまになり替わって我ら衆生に諄々とお説きになるのだ。
そこで例に引いたのが曹洞宗を開いた道元が詠んだ歌「春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり」である。

この歌は自然の美しさにただただ「素晴らしいなぁ」と感嘆している様子を表現したもので、我々が生きていくうえでのヒントや修行するうえでの心構えを示しているのですと管長。
そしてこの歌には枕書というものがついていて「本来の面目を詠ず」とある。「本来の面目」とは自己の本来の姿、自己の実相のことなのですとも。
つまり道元禅師は自己の本来の姿もかくあるべしと言いたいのです、と。

ちなみに「本来の面目」というのは「回向返照(えこうへんしょう)の退歩を学ぶべし、自然に心身堕落して本来の面目現前せん」の略で、意味するところは「前ばかり向いて歩かずに、時には立ち止まり後ずさりして、自然と同化し、仲良く自然と語り合う気持ちのゆとりを持ちなさい。そうすれば身も心も抜け落ちたようになり、自然の持っている本来の実相までが見えてくる」ということのようである。(ネットの「名歌鑑賞・3302」より引用)

横田管長に戻れば「禅の修行で得られるものというのは、自然を超えたところにあると思いがちだがそうではない。大自然と一つになることこそが修行の目的です」ということになる。
この考え方はボクにとって受け入れやすいというか、漠然とだがそういうものなんだろうなぁという考えに、この年になってたどり着きつつあるのでフムフムと納得しながら聞いたのだった。
やっぱりそうなんだよね、という気持ちである。
さぼっちゃおうかと思ったのだが、汗をかきつつ行ってきてよかった。


  
猛暑に見舞われた円覚寺で咲いている花と言えばさるすべりくらいのもの


こちらは白花


透き通るような瑞々しさを見せていたモミジの若葉もそろそろ〝熟年〟を過ぎ…


シュウメイギクが蕾を膨らませつつ出番を待つ=いずれも円覚寺境内にて

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