平方録

湘南ボーイのくせに なによ!

姫と片瀬西浜へ行って波と戯れる。

生まれてから1年間はわが家で海風を嗅ぎながら育ったのだが、そのあとアメリカのオハイオ州に移り、帰国してからも海のない栃木県で暮らしているから海には縁遠い状態が続いている子なのだ。
だから真冬を除けば我が家にやってくる時は必ず波打ち際まで連れて行って遊んでくるようにしている。
海と言えば鎌倉か湘南だとすぐに浮かぶよう、意識の底にすり込んでやろうと思っているのだ。

ボクは家から海水パンツをはいていったから、浜辺で短パンとTシャツを脱ぎさえすれば済むのだが、姫は着こんでいなかった。
で、仕方なく海の家を借りたのだが、客が少ないせいかとても親切で、バアサンと孫娘を客として迎えた海茶屋は2人の取り合わせに何かを感じたのか、大きな浮き輪を「これ使ってください」と貸してくれたんだという。
ボクと姫が海に入って騒いでいる間中、海茶屋の良く風の通る日陰のテラスでのんびり過ごしていたバアバはすっかりご満悦で、「ここでお昼を食べてあげましょうよ、地元にお金を落としてあげなくっちゃ」なんぞとすっかり海茶屋びいきになってしまった。

結果、ボクたち3人と後からやって来た若を加えた5人が焼きそばを注文し、ボクはコロナビールを飲み、みんなもそれぞれに飲み物を注文して「結構肉が入っているな」とか「海風に吹かれて食べると余計に美味しい」とか言いながら満足したのだから、安上がりである。

かくして浮き輪ひとつでババアを取り込んでしまうのだからさすがはプロである。
損して得取れを巧まずしてやっているのだ。
まてよ、もともとそういう下心があって親切にしてくれたのかもしれない。それにバアさんがまんまと引っかかったという訳である。まぁそれも想定内ということで、世の中は回っていくところもあるのだ。

それはともかくとして浮き輪を手にした姫は浮き輪につかまって波が来るたびにキャァ~キャ~言って喜んでいる。
でも最初はオッカナビックリで「ジイジ、浮き輪から手を放しちゃだめよ! 」などと叫んでいたが、時間が経つにつれて浮き輪の上に足を出してぷかぷか浮かびながら波の上下動や波頭が崩れるところのスリルを味わったりして楽しそうである。このころになるとボクが浮き輪をつかんでいなくてもへっちゃらで、「ヤッホォ~ ジイジ!」なんて言葉も口をつく。

これに対して3歳の若は海の家から浜に下りてはくるものの、波打ち際との中間線より前には絶対に近づこうとせず、姫が誘いに行ってもボクが行ってもしり込みするばかりである。
そんな若の姿を目の当たりにした姫は「湘南ボーイのくせに、なによ! 」とどこで覚えたのか湘南ボーイなどと言う単語を引っ張り出してきてあきれ顔であった。

ボクは今年こそクリアーな心で心底夏を楽しんでいるのだが、去年と一昨年はどんよりとした雲が垂れこめたような暗くて鬱陶しい気分で日々を過ごしていたのだ。
去年はドクターストップで自転車も漕げなかった。
もともと、必要な手を打ったならばあとはじたばたしてもしょうがない、どう転んだとしても結果は受け入れざるを得ない――と考えるタイプの人間だから、結果に注目はするが、途中経過でやきもきするようなことはしないのだが、それでも気分は晴れなかったのだ。

こういう時、ボクは金剛経の「応無所住而生其心」(おうむしょじゅう にしょうごしん)という言葉を思い出し、反芻するのである。
円覚寺の横田南嶺管長は「偏らない心 こだわらない心 囚われない心」という言い方をして3つの心を持ち続けることの大切さを口にしていた。
ジジイになるとなるほどねと思えるようなところが出てくるものである。




かつては東洋のマイアミビーチと呼ばれた片瀬西浜は休日にでもなれば海水浴客で砂浜が隠れてしまうほどだったのだが、もうだいぶ前から閑古鳥が鳴いている


空は霞み富士山も見えない


姫登場!


浜辺は空いていて若くて健康なビキニ姿は数えるほど








すぐ脇の水族館に行きイルカショーも見てきた。水遊びしている人の数と水族館を見物している人の数に大差はないように思えた

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