平日だというのに、北鎌倉の円覚寺はたくさんの観光客で大いににぎわっておりました。
その顔触れを見てみると、7割方は日本人のロージンで、それも男性が目立つ。
特にグループが多い気がした。
組織に身を委ね、歯車となって働き、いざ卒業して自由の身になってもまだ群れたがるのか…と、抜けきれない習性に取りつかれた哀れさというのか…変な邪推が頭に浮かぶ。
一方で、禅寺を訪ねようという人種は女性には少ないのではないか…という偏見さえ抱きかねない女性の少なさと言っていいんじゃないかと思う。
単にそう見えただけの話で、実際はそれほどでもなかったのかもしれないが、ボクにはそう感じられたというオハナシ。
そして残り3割がインバウンド。
アジア系も混じっていたのかもしれないが、そちら方面の言語の響きが耳には届いてこなかったし、見た目だけでは堀の深い顔立ちばかりのように感じられたので、多分そういう人種だろう。
おまけにフランス語やスペイン語が耳に付いたので、そういう言語圏に暮らす人々なのは間違いない。
鎌倉の紅葉は例年12月初旬から中旬にかけてなので、あまり期待していなかったが、暖冬傾向とは言え、暖かさとまとまった寒波が交互にやってくるなど、何日かは真冬並みの気温低下があったせいか、境内の木々がきれいに染まっていて、黄色以外にも赤の色づきが例年以上に感じられて、思わぬ紅葉狩りが楽しめたのは何よりだった。
円覚寺を訪ねたのは月に一度の定例句会の前に設定した吟行で一句ひねるため。
今月初め、いつもひとつの布団で仲良く寝ていた愛妻が「朝起きると冷たくなっていた…」という悲劇に見舞われて茫然自失の仲間は、「やっぱり行けない」「一句も作っていない。できない」「寂しくてたまらない…」と電話口で泣き言を言いつつ、ドタキャンした。
立ち直れるのかどうか……すごく心配。
とにかく仲が良かったし、居酒屋も2人で切り盛りして四六時中一緒だったから、「そばにいない」というのは彼にとってあり得ないことなのだ。
句会ではそのことが話題になった。
当面は見守る事しかできないわけで、来月の忘年句会には首に縄をつけてでも…と思うが、無理も出来ないなとも思う。
ここ1、2年でやはり妻と子に相次いで先立たれた同人がいるのだが、ようやく元気を取り戻してきていて、昨日も句会の後の立ち飲み屋での反省会もぐびぐび飲っていた。
そういう先例もあるのだから…
もう、25年近くも続けている句会で、一緒にたどって来た仲間もだいぶフケタ。
年を積み重ねれば避けては通れないことが、この先、様々な形で現れるのは必定で、改めて、それが人の世の定めなのだという思いがよぎる。
山門(左手前)から仏殿(奥)に至る佇まい
仏殿
大方丈(右手の壁の奥)から佛日庵など境内の奥に連なる参道沿いの紅葉
在家のための坐禅道場・居士林前の紅葉
同
居士林の紅葉を居士林側から写す(奥の屋根は仏殿)
居士林脇の崖下に置かれた石仏とツワブキ
伽藍最奥部に位置する黄梅院の蹲
続燈庵参道のイチョウ
佛日庵の中国の作家・魯迅から贈られたハクモクレンの黄葉
国宝・洪鐘のある高台から見た富士山
来年は辰年 仏殿の天井絵とご本尊・宝冠釈迦如来坐像
総門の階段脇の紅葉
総門のすぐ下が横須賀線の踏切になっている