信じられないことだが、45年以上も鎌倉に暮らしながら、一度も訪ねたことがなかった歴史的に名のある寺がある。
常楽寺という臨済宗建長寺派の禅寺で、1237年に第3代執権・北条泰時によって開かれた寺である。
これまで一度も出かけたことがなかったのは、いつでも行ける…と言う気があったからだが、山の神に散歩に散歩がてら行ってみようと誘われ、腰を上げた。
泰時と言えば鎌倉幕府の北条執権体制を確立した2代執権・義時の長男で、江戸時代に武家の法律として定められた武家諸法度の下敷きになった御成敗式目を制定するなど、名執権として知られた人物である。
この辺りはNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」にもチラッと描かれている。
この大河では泰時はスジを貫き通そうとする正義感溢れる若者として好意的に描かれていた。
山の神もその辺からゆかりの常楽寺を訪ねてみたいと言い出したようである。
バスで大船駅に出て、そこから20分ほどてくてく歩くと住宅が立ち並ぶ中に埋もれるようにあった。
大伽藍が残っているわけでもなく、趣のある茅葺の山門をくぐり、まっすぐに伸びた参道を奥に進むと小振りの仏殿と文殊堂が寄り添って建っている。
参道の右手には木々に隠れるように本堂と庫裏があるが、新しい建物である。
そして仏殿と本堂に挟まれた位置に木々に囲まれた池がある。
ネット記事を引用させてもらうと「仏殿の右には庭園があり、色天無熱池と呼ばれる池があります。色天は色界ともいわれ、欲界と無色界のあいだにあるとされるところで、禅を修めたものが生まれ変わるとされる世界のことです。無熱池とは阿耨達池(あのくだっち)ともいわれ、ヒマラヤの北にあるとされる想像上の池で、中には龍王が住むといいます」という池のようである。(写真は撮り忘れた)
そして仏殿の裏に開基・泰時の墓があった。
最高権力者であった北条氏ゆかりの寺はどこも立派だが、この常楽寺は泰時の人柄をしのばせているのか、小ぢんまりしていて拝観料も取らず、自由に出入りできる。
ボクらがいる間にこの目立たない寺の境内で老境に入りかけた夫婦と若い女性2人の2組の参拝客に出会ったのは、やはり大河ドラマの影響なんじゃないかと思う。
それにしても思いがけないディスカバー鎌倉になった♪
バス通りから北に向かって一直線に伸びる参道があり、その奥に茅葺の山門が見える
山門をくぐっても北に延びる参道があるが、木々が視界を遮る
さらに進むとようやく建物の一部が見えてくる
仏殿だった
仏殿と茅葺の文殊堂が寄り添うように建っている
仏殿の天井には狩野雪信の龍図があった
描かれた龍の爪が3本なのは「中国皇帝が5本、朝鮮王が4本、日本は…」というタガをはめられていたせいである
平成に新調された建長寺仏殿の小泉淳作画伯の龍図は画家の心意気で5爪の龍である
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩三尊仏が安置されている
遠目には1本のイチョウかと思われたが。近づいてみると何本もの株立ちのようである
近寄ってよくよく見ると、真ん中に巨木が裂けて朽ちたような残骸が残り、その周囲に根元から伸びたひこばえが成長して株立ちの姿を形作っていることが分かった
脇に立っている石碑に刻まれているのを読むと「1237年に開山の退耕行勇禅師がお手植えになったが、大正6年秋の大風で傾き、さらに大正12年の関東大地震でさらに傾いたので支柱などで支えてきたが、昭和13年8月20日夜の暴風のため倒尽す」と書かれている
植えられてから701年後に倒れたということのようである
歴史的なイチョウの巨木が大風で倒されて姿を消したのは、実朝暗殺にまつわる鶴岡八幡宮の「隠れイチョウ」だけじゃなかった…
(鶴岡八幡宮の大イチョウは2010年3月10日未明、強風のため根元から倒壊。残った根元から伸びたひこばえの1本だけを残し、現在それがだいぶ成長してきている)