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平方録

いざっ 鎌倉!

姫たちが2日の朝帰って行った後、腹ごなしも兼ねて大仏まで歩くことにした。
 
NHKの大河ドラマが鎌倉舞台であるというし、ならば往時の鎌倉を忍ぶことのできる「切り通し」を抜けて行ってみようという気になった。
京の都には目もくれず、三方を山に囲まれ、南には広々とした太平洋を望む天然の要害の地を拠点に選んだ頼朝にとって、本拠地防衛には好都合だったものの物流の観点から言えばかなり不便だった。
そこで幕府は「鎌倉七口」(かまくらななくち)と呼ばれる外部に通じる道を切り開く。
名越切り通し、朝夷奈切り通し、巨福呂坂、亀ヶ谷坂、化粧坂、極楽寺切り通し、そして大仏切り通しの七つ。
このうち名越、朝夷奈、化粧坂、大仏が今も当時の面影を残しつつ現存している。
今回たどったのはその七口の一つ「大仏切り通し」。
この古道に沿って別にバスが走る生活道路が作られたため、忘れられた存在のようになってはいるが、そのおかげで今でも往時をしのばせるに十分な雰囲気を漂わせている。
せっかくだから、この古道をたどろうではないか。
住んでいるのにちょっとヘンかもしれないけれど…「いざっ 鎌倉!」。
 
 
県道のバス停「火の見下」のすぐ脇の住宅の塀に「大仏切り通し」という小さな標識があり、そこから奥に続く細道を抜けると、直ぐこのような道が現れ、奥へ奥へと伸びている


尾根の一部を切り開いた「切り通し」
交易路であると同時に重要な戦略拠点で、切り通しを通過しようとする外敵は崖の両脇に陣取った鎌倉方の守備隊の攻撃にさらされることになる




切り通しはアップダウンの激しい場所に作られている


道は馬1頭がやっと通れる幅しかない
しかも足元には大岩などを転がしてわざと通りにくくしている念の入れよう


北鎌倉の浄智寺脇から登って大仏に至るハイキングコースは観光客にも人気だが、こちらの切り通しに足を延ばす観光客はごくまれで、いつもシィ~ンと静まり返っている


今頃モミジが色づいていた


ここにも…


あそこにも…


やがて尾根筋の道が尽きると、いきなり急な下り階段が現れる
 

足元に気をつけながら降りていくと切り通しに並行する県道が現れる


尾根のどてっ腹にパッカリと口を開けた大仏坂トンネルの出入り口


トンネルから5分ほどのところに高徳院があり、大仏さんがどっかりと坐っている
2日の昼少し前だったけれど、コロナ前に比べると境内は随分と空いていた


正月は特に東南アジアの小乗仏教国の人たちの参拝が目立つ


かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな

釈迦牟尼ではなく「阿弥陀如来」だと間違いを指摘された与謝野晶子は後に「かまくらや みほとけなれど 御姿は 美男におわす 夏木立かな」と詠み直したそうだ
読み直した短冊が寺に残されているらしいが、まだ確かめたことはない
しかし、「み(お)すがた」よりも「しゃかむに」の方が口にする場合のリズム感も見た目の漢字の雰囲気も、比べ物にならないほど良いけどね
 
 
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