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平方録

古刹で繰り広げられる運動会に思うこと

横須賀線の下り電車が通り過ぎるのを待って踏切を渡り、すぐ目の前の階段を上がる。
電車から降りた人の多くも同じように階段を上っていく。
上がり切ったところの総門から円覚寺の境内に入り、また階段を上がって今度は見上げるような山門を抜けて仏殿へと向かうのだが、行く手を阻まれた。

山門と仏殿の間の広場にテントが張られ、頭上には万国旗が飾られ、くす玉がぶら下がっている。
寺に併設されている幼稚園の運動会が行われるようだ。
仕方なくいつもは突っ切る広場を迂回をして仏殿の前に立ち、いつものように本尊の宝冠釈迦如来に手を合わせ頭を下げて挨拶をする。
頭を下げながら横田南嶺管長の法話もその後の坐禅の間も、運動会の威勢の良い音楽を聴きながらということになるんだろうか、という思いがちらっと頭をかすめる。

こうした懸念は誰もが抱くところとみえて横田管長は法話の冒頭、「運動会は土曜日に予定していたのだが生憎雨模様で今日に順延しました。私の法話の間中、威勢の良い行進曲やら黄色い歓声が聞こえてくるというのはやはり具合が良くないので、運動会の開始を10時にしてもらいました。坐禅をして帰る人は少しうるさいかもしれませんがこれも修行と思ってあきらめてください」と笑わせる。
実際座ってみると、外から流れ込んでくる音楽や歓声はほとんど気にならず、それよりもむしろ隣で坐っている人がもぞもぞ動く音の方が耳障りである。

大勢が参加する第2日曜日の坐禅会は警策を求める人が後を絶たず、坐禅をしている間中パンパンという音が響いて結構うるさいのだ。
だから人数が膨れ上がるような場合は隣の信徒会館の2階の大広間が第2会場になり、そこでは指導の坊さんはいないのでただひたすら坐るだけなのだが、坐禅そのものは本来そういうものであるから、ボクはそちら選んでいるのだ。
普通素人の坐禅は15分から20分座ると短い休憩が入るので足をほぐせるが、指導僧がいないのだから時間が来るまで大体50分間ぶっ通しに座り続ける。
もちろん自由に足を組み替えてもいいのだが、このところ1時間超はへっちゃらになってきた。
修行を積んだ禅僧は何日もぶっ続けで坐り続けるられるはずである。

坐禅中の心構えとして横田管長は在家のわれわれに「背筋を伸ばして静かに坐り、呼吸する自分の様子を見詰めてください」と説く。
口で言うのは簡単だが、自らやってみればなかなか思うようにいかないのが世の常というものだ。
第一、見つめるって言ったってどこからどう見ればいいんだ?
天井からか? それとも隣に坐るか?

興味もないけど「幽体離脱」とかなんとかじゃあるまいし、そんな芸当ができるわけがない。
となると、自分の殻に籠ったまま見詰めるわけですナ、理屈から言えば…
見詰められなければ、深く静かに行う呼吸の数を数えるだけでもいい、と教えられる。
しかし、吸ったり吐いたり、深く静かに繰り返している呼吸を数えると言うことも10くらいまでならともかく、それ以上続くとなるとそれほど簡単ではないのだ。

ヘンな話だが、数を数えることを意識するとボクは呼吸が苦しくなってしまうのだ。乱れちゃうんですナ、心が。いやそんな上等なものでなくて、呼吸そのものが…
凡人はつらいのだ。




仏殿を背景に


こちらの背景は山門


山門と仏殿の間の広場で行われていた円覚寺付属幼稚園の運動会。観光に訪れた欧米の外国人は寺の境内での思いがけない光景に目をぱちくりさせていた


木々に覆われた空間に万国旗が見え隠れする
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