昨日の夜明けから降り始めた小糠のような雨は結局降り止むことがなく、一日中、煙るが如く漂うが如く続いた。
限りなく清明で光にあふれた五月の太陽に親しんできた身には、歌舞伎の書き割りが幕間にガラッと変わってしまうかのような場面転換に戸惑うばかりだが、それが月替わりの6月の最初の日にいきなりやってきたと言うことで、それはそれで印象深さの部分で「なるほどなぁ、梅雨の季節だものなぁ」と妙に感心し、納得させられてしまうのである。
すっかり夜が明け切ったベランダに出て見ると、階下から伸びてきているカツラの葉に残る雫はまだ所々でわずかな滴りを続けているところを見ると、ボクが起きる直前まで降り続いていたことがうかがえる。
周囲の丘はぼぉ~っと霞んでいて、霧が立ち込め始めているらしい。
そういえば昨夜の天気予報は朝方の濃霧に注意するように言っていた。
とは言え、もはや通勤電車が時間通り走るかなんてことを気にすることもない。
朝霧は天気が良くなる兆しだ。
休みもロクに取れないような仕事に就いていたころの夏休み、ボクを当てに出来ない家族は勝手に信州の知り合いのホテルに出かけ長逗留するのが常だったが、ようやく取れたわずかな休みにはボクも家族の後を追いかけて信州に行き、早朝に霧に出会ったりすると「今日も暑くなるなぁ」と大いに嬉しくなったものだった。
朝霧と言ううと、決まってその頃のことを思い出す。
南九州に続き、姫のいる四国が早々と梅雨入りしたそうだ。
学校の再開とともに梅雨入りと言うのも、子供たちにはうっとおしいことだろうが、それよりも友達とまみえ、一緒に過ごせることの方が勝って、雨なんか気にならないかもしれない。
今年の夏休みは授業の遅れを取り戻すために使われるようだから夏休みも短縮されるだろう。
姫は毎年夏休みにじいじの家に遊びに来ることを楽しみにしているが、今年に限ってはそれも微妙なのが切ない。
お互いに切ない。
これから梅雨明け直前の集中豪雨や夏から秋にかけての台風シーズンを控え、いつもの年なら決まって日本のどこかで大きな自然災害が発生する。
しかしコロナ禍の今年に限っては、それは余りにも困る。
今年ばかりは自宅を離れて避難所で過ごさなければいけなくなるような災害の発生はヤオヨロズの神々にすがってでも防ぎたいものだ。
それでなくても過密状態になる避難所生活だけは、今年は避けた方がいいに決まっている。
そのことを切に願いたい。
前門の虎、後門の狼じゃあまりに悲惨過ぎる。
「墨田の花火」というらしい
わが家のバラはまだまだ健在だが、アジサイが追い付いてきた
見出し写真は妻が近所の園芸品店で見つけて衝動買いした常緑紫陽花とやらの「碧の瞳」
なかなか珍しい咲き方をする品種で、丸い玉のようなものがツボミ
同上
この写真のピンクがかった品種名は不明