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平方録

〝晩餐〟はいつだって紅白ですよ

思うところあって牛乳を飲むようになった。

どういうことか――
あの悪名高き脱脂粉乳の給食で育った世代だが、それはさておき、かつては牛乳屋という商売が成り立ち、毎朝自転車の荷台に重たい瓶の牛乳を満載して瓶をガチャガチャ鳴らしながら家々を配って回ったものだった。
牛乳箱というものが存在し、玄関の脇とか門柱に掛けられていて、その牛乳箱から配達されたばかりの牛乳を取ってくるのはボクの役目で、毎朝牛乳を飲んで学校に通っていた。

それがいつのころからか牛乳配達が消え、必然的に牛乳箱というものも見かけなくなってゆく。
スーパーマーケットなる呼び名の食料品を安く売る店が全国各地に誕生するようになって牛乳は瓶から紙のパックに入れてスーパーマーケットで売られるようになる。
一足飛びにそうなったのかどうかは記憶があいまいだが、多分そのころから、あまり牛乳を飲まなくなったと思う。
サッカーに熱中していた高校生のころには牛乳を飲んで学校に行ったという記憶がない。

そういう状態が長く続き、牛乳の味など忘れてしまった頃、多分社会人になった辺りだと思うのだが、旅先か何かで牛乳を飲む機会があり、多分しぼりたての触れ込みの美味しいと評判の牛乳だったのだと思う。
旅先だというのに、飲んでしばらくするとお腹がゴロゴロ鳴り出した。
何か悪いものでも食べてしまったんだろうかと思ううち、牛乳を飲んだことに気づく。
以来、牛乳を受け付けない身体になってしまった。

一時期、それでも飲みたいと思う時期があって、「牛乳を飲むとおなかゴロゴロする人へ」というのがあるのを知り、しばらくそれの長ったらしい名の牛乳を飲んだことがあったが、それも面倒になっていつの間にかやめてしまった。
それが40代のころのことだったとすれば、そこから起算しても20ウン年振りということになる。
そもそも、高校を卒業して大学に通うようになるとアルコールという「百薬の長」ととても親密な関係を築くようになり、半世紀を超えてもなお蜜月は続いているのだ。
牛乳などと言う〝よだれ臭い〟飲み物と仲良くする必然性も無かったのだ。

で、ようやく本題。
最近の食生活を振り返ってみてフと、カルシウムの摂取が減ってきているんじゃないかと思ったのだ。
ボクも馬齢を重ねてジジイになった。骨がスカスカになるようなのは困る、そう思ったのだ。
科学的な根拠があるとか医者から注意されたとかではない。フと思っただけの話だが、とにかくそう思ったのだ。
もう手遅れなのか。いや、2.26事件の時の放送のように「今からでも遅くはない、原隊に復帰せよ」? なのか…

何れにしたって思い立ったが吉日ではないか。そう考えたのだ。
またあの長ったらしい名前の牛乳である。
かくしてボクの夕餉にはワインのきれいな赤色と真っ白な牛乳が同居する珍妙な光景が出現している。

ナニ、紅白のめでたい食事を毎晩続けているだけですよ。




自転車で相模川河口まで走り、鵠沼海岸に戻ってくるとビーチバレーボール場がやけににぎわっている


近づいてみると……。安来一中っだって、安来って島根県の?


隣のテントには知多半島の地名の書かれたプラカード


オッ! ビーチバレージャパン U-14だって。第9回湘南藤沢カップ全国中学生ビーチバレー大会。中学生唯一の全国大会だそうだ。
組み合わせ表によると男女96チームが参加している


いいなぁ! ど真ん中から青春に分け入っている


ピッチピチ


ボクだって昔からジジイだったわけではない。こういう時もあったのだ
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