今日は低気圧が太平洋岸に沿って西から東に進むので、南関東でも雪がチラつくらしい。
2,3日前の予報では-3℃などという予報が出ていて首をすくめたが、実際に起きてみると寒いことは寒いが、ビックリするほどの寒さでもない。
辻堂にあるアメダス記録計に寄れば午前1時過ぎに1.7℃を記録したのが今日6日のこれまでの最低気温で、4時過ぎには2.0℃になっていて上昇傾向である。
といっても最高気温は予報では3℃だから寒い1日になりそうで、今シーズン初の‶こたつのシミ〟になるしかないかなどとぼんやり考えている。
年が明けてから南岸沿いに進む低気圧こそ、東京を中心とする南関東に大雪をもたらす張本人で、赤穂浪士の討ち入り当日に降った大雪は無論のこと、2.26事件当時の大雪もまた然り。
いわば歴史の生き証人、流れる血を鮮明に印象付ける役割を担ってきた名わき役と言っていい。
血とは無関係だが、大学生時代にアメリカに行くために新聞配達をして渡航費用を稼いでいた時、大雪に見舞われた。
それも4月のことで、薄いウインドブレーカーを羽織っただけで玄関を開けて飛び出そうとしたら一面の銀世界で、思わず息をのんだ記憶がある。
当時は横浜の市心部に住んでいたのだが、何と30cmも積もり、市電はおろかすべての交通機関が止まってしまい、都市機能は完全にマヒしてしまった。
ボクの配達エリアは新聞販売店から遠く、しかもいくつかのアップダウンを越えなければならず、自転車で配達していたボクは積雪に邪魔されて自転車が使えなくなって途方にくれたものだ。
何せ250軒も受け持っていたのだ。
しかも当時は毎日のように「○曜日版」と呼ばれる別摺りが付いていたのでその配達量たるや半端ではなく、徒歩では到底できない相談だったのだ。
店主がギザギザのタイヤを履いたバイクでなんとか要所要所に新聞を積み上げておいてくれ、それを肩かぶら下げてわきの下に挟み、まだ踏み荒らされていない雪道に難儀しながら1軒1件歩いて配ったのは、今となっては懐かしい思い出だが、あの年はそんなことが2度3度とあった。
1968年の事である。
当時はこの低気圧を「台湾坊主」と呼んでいて、いささか粗暴で迷惑な存在を際立たせるネーミングだったが、案の定台湾の人々からクレームがついて差障りのない南岸低気圧という呼称に変わったはずである。
とは言え、昔も今も南関東に雪をもたらすのはこの低気圧だと決まっているから、今回もおそらく雪は降るのだろうが、平野部で1cmという予報だから、雪かきの心配も無用だろうし、そう願いたい。
ここ数日、古傷の腰がまだ大したことはないが疼きつつあるのだ。
そんな時に雪掻きなんて…