実に「痛快」な文章を見つけた。
ちょっと長くなるかもしれないけれど、それでも印象的な部分だけ切り取って掲示してみる。
「こちらにいる時は泳げなかった子だから驚くべき出来事に違いないが、それよりもスコットランドの花の写真入りの書簡箋いっぱいに、そんな洒落たものには不釣り合いな、まるまっちい字でしるされた手紙の、『暑中お祝い申し上げます(我ら亜熱帯民族の言葉)』という書き出しの方に私たちはもっと面食らった。」
暑中お祝…って、絶句だ! 拍手喝さいだ ‼
何てセンスのいい表現なんだ!!!
ボクは全面的に支持するね この表現 ♪ どうしてボク自身で思いつかなかったんだろう。
今年はこの表現を勝手に拝借させてもらって、親しい友人に出す手紙に使ってやりたい。ぜひ使おう。
用がなくったって夏が来たら〝暑中祝い〟のハガキを出してやろう ♪
受け取った相手が目を白黒させる姿が見えないのがちょっと残念だけど、想像するだけでも楽しそうだ。
さらに痛快な箇所が出てくる。
「先ず私たち親子は昔からずっとそうなのだが、夏の日差しが強ければ強いほど喜ぶ性質があり(その代わりみんな揃って寒がりだが)、海の水につかる時、何とも言えず心が安らぐのは、われわれの先祖が南の島から八重の潮路を越えて流れ着いた(私たちの年代の者には殊に忘れられない歌曲『椰子の実』のように)人間である証拠ではないだろうかと常々話し合って来たことを承知していただきたい。いまでは私は海水浴場の浜辺に群がる人の中で自分よりも年長の人を見つけるのが難しくなりつつある」
そうなんだ。あの東洋のマイアミビーチと呼ばれた真夏の湘南海岸に出かけてもボクより年長の人を見つけるのは難しいことは実感済みなのだ。
ここに書かれている記述の数々は、これはもうボクの日ごろの考え方とぴたり一致するじゃないの ♪
夏の日差しが強ければ強いほど喜ぶ性質があり…って、ボクそのものだよ。
妻からは「熱中症で亡くなったりする人が出る時代だから、私の前ではしゃぐ分にはかまわないけれど、あまり人前ではしゃがない方がいいかもね」とたしなめられるような時代になってきたのがちょっと気に入らないが、いたんですなぁ、同志が。
痛快な同志の名は芥川賞作家の庄野順三。
この文章が出てくるのは「インド綿の服」という作品。
以前に読んでいた作品だったが、こんな記述があるのをすっかり忘れていて、昨日たまたま手に取って数ページを手繰って件の記述を見つけたという訳なのだ。
この作家の文章は何気ない日常をやさしい言葉で淡々と記していて、読みようによってはどこが文学作品なのかと首を傾げたくなるようなところがあるが、なぜか引きづり込まれてしまう魅力がある。
ボクもこんな風に書きたいという願望・あこがれがあるのだが、実際に真似してみようと思ってもこれがなかなか難しい。
ただ夏の暑さに関してこんなに意見が合う人が他にいるとは驚きで、実にウレシイ。
大先輩は夏になると家族で箱根芦之湯温泉の「きのくにや旅館」に宿泊し、小田原の街に下りてくると「柏又」でウナギのかば焼きを食べるのを楽しみにしていた。
どちらもまだ一度も行ったことがない。
文章が無理ならこの辺りから真似てみる手はある。
今朝もまた気温は20度を下回って梅雨寒が続いている。
早く〝暑中お祝い〟のハガキを出したいものだ。
一昨日午後の江ノ島・湘南港