わが家の周囲の田んぼや畑は霜で真っ白。直接見ていないが家のプランターには霜柱が立っていた、とは妻の弁。
遅い太陽が辺りを照らし始めた7時半に自転車で家を出たが、円覚寺までの25分間で両方の指の感覚がなくなって、痛いくらいだった。
おまけに大方丈の板張りの床は氷のように冷たく、素足からじんじんと寒さが伝わる。
坐禅を組むところは畳が敷いてあるが、もちろん暖房などない。
8時から9時半まで、骨の髄まで冷えた。
この時期、つまり12月1日から8日未明まで、禅宗の寺では「臘八大攝心」という修行期間に当たっている。
お釈迦さまが悟りを開いたのが12月8日。お釈迦様の苦行を慕って、難行苦行の一端を体験するため、集中して座禅に励み、公案(禅の問題)に取り組むのだという。
流派によって修行内容は異なるようだが、聞くところによると円覚寺では明け方の3時間だけ休憩時間があるが、それ以外の21時間はすべて決められていて、たとえ休憩時間にも横にはなれないという。ということは、座ったまま寝るしかない。それが7日間。
おなかいっぱい食べてしまうと、といってもお粥だが、眠くなってしまうので、体を動かす最低限のエネルギーが保てるような量しか摂らないのだという。
寒さに凍え、腹をすかし、眠気に耐え、ひたすら座り、公案を考える…
釈迦は6年間、火に焼かれ寒さに凍えたそうだが、現代の坊さんは7日間。われらは1時間半。
ま、これは選ばれし者とそうでないものの差であって、そこに差がつくのは当然であるが、7日間の大攝心に挑戦できるだけでもうらやましい。
18歳の夏、円覚寺の居士林で泊まり込みで10日間坐禅だけの生活を送ったことがあるが、そんな在家の生温い体験でも衝撃を受けるほどだったのだから、出家した本物の坊さんたちの臘八大攝心とはどんなものなのか。
たかが90分、ちょっと震えただけで寒い寒いと騒ぐようでは、何をかいわんやであるけれど。
帰りがけに大攝心が行われている道場のある区域の門前まで行ってみたら、10メートル以上離れている道場内から、横田南嶺管長が雲水たちに提唱する大きな、力のこもった声が聞こえてきた。眠気を吹き飛ばしてあげるためにも、大音声を発しているのだろうが、気迫に満ちた音声からは厳しい修行を彷彿させるものがあって、すごすごと山を下りてきた。


円覚寺の妙香池(上)には瑠璃色のカワセミが来ていて、盛んに水の中に飛び込んでいる。聞きつけたアマチュアカメラマンたちで朝から大にぎわい=7日午前9時45分ころ

自宅近くの畑は霜が降りて真っ白