7月9日月曜日の朝のことだった。
母が歩行時のフラツキと左脚の違和感を訴えた。
仕事のストレスもかなりあるので
自律神経の乱れか血圧が上がったのかと
家からすぐ近くのかかりつけの病院にすぐ行った。
もともと頸動脈に少し動脈硬化があり
コレステロール値も高いので
コレステロールを下げる薬と血液をさらさらにする薬と
血圧の薬を何年かに渡り飲んでいた。
先生は真っ直ぐ歩けるし話せるし血圧の異常もないので
目眩の時にうつメイロンという注射と薬を飲んで
一日様子を見て明日頸動脈エコーをしてみようと母に話したようだ。
私は我慢強い母を知ってるので何度も症状を聞き
頸動脈エコーを今日してもらうように病院に電話をさせ
午後エコーを受けることになった。
エコーでは動脈硬化はあるが気にするようなものではないので
脚の違和感が続くようなら明日念の為に脳神経外科を紹介するという
話しになったようだ。
それでも私はとても気になり胸騒ぎがして
母にまた歩かせ、脚の違和感がないか確認させた。
やはり何かおかしいという。歩ける。
夕方、かかりつけ医に相談に行き
説明を受けた。心臓や脳に異常がある感じではない。末梢で軽い梗塞を
起こしている可能性はあるかもしれなけど急を要するものではないので
明日様子見たらと言われた。
私は先生に詰め寄り、
「先生の親だっても明日朝まで待ちますか?」と聞いた。
先生は自分の親なら次の日の朝まで様子を見ると言った。
心配性の私は詰めより
「明日の朝、半身が麻痺してるとか絶対になおですか?」
と聞いた。先生はそれは保障できないので
そこまで言うのならと、しぶしぶ救急で紹介書を書いてくれた。
看護師さんにも呆れた冷ややかな目で見られながらも
私は脚に違和感を訴えた日の夕方、救急で病院へ行った。
母は普通に話せるし気分も悪くないようだ。
しかし脚に力が入らない感覚はあるという。
またいつものようにMRIの結果は大したことがなく
一緒に帰る姿を想像していた。
まさかまさかの結果、最悪の事態が起ころうとも
数分前までは思ってもみなかった。
MRIの検査後、MRIを受けたことあるかとか
懐中電灯で目を照らしに来られたり
何か変だな~と思ってたら
案の定、宣告だ。
とても大きい危険な動脈瘤が3つもあるというのだ。
3つが3つとも大きいらしく珍しい所見らしい程なのだそうだ。
MRI画像を見せられ、なんだか色々聞いたり質問したりしたと思う。
でも即入院、母とは一緒に帰れなくなった。
色々手続きして母を置いて
不安な気持ちを抱えながら、トボトボ歩いて帰ったはずだ。
でも全くその日の帰り道、父や妹や弟にどういう風に説明したか
連絡したかの記憶が全くない。どうやって連絡してその夜は
どうしたんだろうか。。。次の日カテーテル検査で詳しい検査を
するとのこと。同意書や入院手続きや問診やとにかく
帰って準備したんだろう。明日のカテーテル検査が無事に終わるように
願いながらその夜は2時間ほど、眠った。
次の日妹と弟も病院にきた。
母は同様もなく元気そうだ。検査に運ばれていく姿を妹と見送り
二人涙した。。。。検査上手くいきますよに。。でも試練はこれから。
先生は、この人は寿命後30年生きてもらわなければ
ならない人なんです。という言葉を信じ、詳しい検査結果を明日聞くことになった。簡単な説明は受けた。思った以上に瘤は大きい。
一つは大変危険な場所にあることもわかった。
次の日に詳しい説明があるらしい。
父も本人も揃い家族全部できてくれという話しになった。
また眠れぬ夜がきた。。。。
母が歩行時のフラツキと左脚の違和感を訴えた。
仕事のストレスもかなりあるので
自律神経の乱れか血圧が上がったのかと
家からすぐ近くのかかりつけの病院にすぐ行った。
もともと頸動脈に少し動脈硬化があり
コレステロール値も高いので
コレステロールを下げる薬と血液をさらさらにする薬と
血圧の薬を何年かに渡り飲んでいた。
先生は真っ直ぐ歩けるし話せるし血圧の異常もないので
目眩の時にうつメイロンという注射と薬を飲んで
一日様子を見て明日頸動脈エコーをしてみようと母に話したようだ。
私は我慢強い母を知ってるので何度も症状を聞き
頸動脈エコーを今日してもらうように病院に電話をさせ
午後エコーを受けることになった。
エコーでは動脈硬化はあるが気にするようなものではないので
脚の違和感が続くようなら明日念の為に脳神経外科を紹介するという
話しになったようだ。
それでも私はとても気になり胸騒ぎがして
母にまた歩かせ、脚の違和感がないか確認させた。
やはり何かおかしいという。歩ける。
夕方、かかりつけ医に相談に行き
説明を受けた。心臓や脳に異常がある感じではない。末梢で軽い梗塞を
起こしている可能性はあるかもしれなけど急を要するものではないので
明日様子見たらと言われた。
私は先生に詰め寄り、
「先生の親だっても明日朝まで待ちますか?」と聞いた。
先生は自分の親なら次の日の朝まで様子を見ると言った。
心配性の私は詰めより
「明日の朝、半身が麻痺してるとか絶対になおですか?」
と聞いた。先生はそれは保障できないので
そこまで言うのならと、しぶしぶ救急で紹介書を書いてくれた。
看護師さんにも呆れた冷ややかな目で見られながらも
私は脚に違和感を訴えた日の夕方、救急で病院へ行った。
母は普通に話せるし気分も悪くないようだ。
しかし脚に力が入らない感覚はあるという。
またいつものようにMRIの結果は大したことがなく
一緒に帰る姿を想像していた。
まさかまさかの結果、最悪の事態が起ころうとも
数分前までは思ってもみなかった。
MRIの検査後、MRIを受けたことあるかとか
懐中電灯で目を照らしに来られたり
何か変だな~と思ってたら
案の定、宣告だ。
とても大きい危険な動脈瘤が3つもあるというのだ。
3つが3つとも大きいらしく珍しい所見らしい程なのだそうだ。
MRI画像を見せられ、なんだか色々聞いたり質問したりしたと思う。
でも即入院、母とは一緒に帰れなくなった。
色々手続きして母を置いて
不安な気持ちを抱えながら、トボトボ歩いて帰ったはずだ。
でも全くその日の帰り道、父や妹や弟にどういう風に説明したか
連絡したかの記憶が全くない。どうやって連絡してその夜は
どうしたんだろうか。。。次の日カテーテル検査で詳しい検査を
するとのこと。同意書や入院手続きや問診やとにかく
帰って準備したんだろう。明日のカテーテル検査が無事に終わるように
願いながらその夜は2時間ほど、眠った。
次の日妹と弟も病院にきた。
母は同様もなく元気そうだ。検査に運ばれていく姿を妹と見送り
二人涙した。。。。検査上手くいきますよに。。でも試練はこれから。
先生は、この人は寿命後30年生きてもらわなければ
ならない人なんです。という言葉を信じ、詳しい検査結果を明日聞くことになった。簡単な説明は受けた。思った以上に瘤は大きい。
一つは大変危険な場所にあることもわかった。
次の日に詳しい説明があるらしい。
父も本人も揃い家族全部できてくれという話しになった。
また眠れぬ夜がきた。。。。