ハトは平和の象徴として、大人しく私たちに身近な生き物として可愛がられてきました。そんな日常の眼差しから生まれたHISの「はとはあと(鳩心)」をプログに綴りたい、というのが当欄の目指してきたところです。
日本の社会も時代も、これから大きく変わるのではないか、そんな気分が何処となく生まれつつありませんか。その意味では、従来になかった新型コロナが象徴してきたもの、指し示してきたものを考えてみることは、それなりに有意義なことです。もちろん、たまたま苦しみに巻き込まれた多くの人々の苦しみを無にするわけにはいきません。この頑張りの事実を、いつまでも困難や悲惨だけで捉えていることが何の解決になるでしょうか。乗り切ったあとの社会や暮らしのあり方にも、真摯に向き合っていくことが何より人間的な思考であり行動でなければならないと思いますが、いかがでしょうか。
真っ直ぐな意見や考えを、みんなの独自の素直な目線から、奇譚なく表出していける社会こそ、最良のチカラとなるように思います。歴史はうまく出来ている。まずはこうした手近なブログの活用が何より有益であると思い、投稿しました。(HIS協働グループ・石田章一)
団遊(だん・あそぶ)さん講師による福祉系グループ・ワークに参加してきました。どの現場でも、思ったとおり組織や仕事は進まないようですね。願いや期待が絡み合い、目指すものが見えにくくなっているのではないか、そんな弱々しい共感に包まれて終了。最後のほうで講師から、「本気」というキーワードが放たれ、ふと気がついたのですが、何事も「前進は”本気”が決める」ということ、そうでないと何も決まらずため息ばかりです。現代は、どこにもさまざまな理論や手法が用意されていて、どんなことでも実現可能な雰囲気だけがあります。それを使いさえすれば可能だという道筋を描いた立札があちこちに立っているのです。それを見ただけで安心、あとは誰かがやるだろう。そんな気分が見え隠れします。たとえば言われている「働き方改革」です。「あったらいいな」の代表格、掛け声でしかありません。その現場をだれが責任・実行を引き出していくのか、その本気が必要なのです。インプットはするけれど、発言・提言という「競い合うようなアウトプット」が疎かになっているのではありませんか。その人独自の全身からでる「ホンキ」が旗を振らねばなりません。点数が足りなくても本気を評価することだ。私のグループになった福祉関係者の皆さんにも、そんな苦渋と光が見え隠れする勉強会を終え、3時間ほど前、苦しんで登ってきた急な坂をスイスイでした。(HIS協働グループ:石田)
いずれに理があるかという論議と説得を人々の前に示す。つまり言葉のもつ力がすべての信頼をなす。そこに集まったチカラとは、旗印がもつ意識の方向であり、色を示すことになる。快い光や組み合わせがあれば、いっそうの畝りとなって、全体の拡大して共同の道を照らす。
この道を行くには、その大小に関わらずシッカリと見えることが重要である。目で確かめることはもちろん、両脚の土踏まずで感受しながら、理想の間合いを求めて歩むことができる。しかし、中西進さんは新聞に書いていた。民主という概念は、心における倫理上の制度であり、店先で売っているようなものでない。自ら心で養うしかない。価値観は体験でしか育たないと。
近年はデジタルデータが経済や暮らしに有用になっている。人間の目に見えない世界の判断には有用かもしれないが、如何に人間社会に充満する人々のつながりの快に融合させるかであるが、その震源は、思いを巡らす心にある。素敵に見える革新性やシステムもいいが、人々の暮らしや日常の間合いを大切にする行動文化、素敵な言葉の行き交う社会であってほしい。石田 章一