我が家に今年最大の事件が勃発した。
「マツタケ事件」だ。
事件というからには、被害者と加害者が存在する。
が、この「マツタケ事件」はそう簡単なものではなかった。
被害者は、わたし。
加害者は、わたしの父。
であるが、父は加害者であることを自認していない。
といってボケているわけではない。85歳だが。
なんというか、ちょっと説明しづらい。それくらいこの事件は複雑なのだ。
まず、この事件の発端から始めよう。
フジモト君というわたしの弟子が東京で活躍している。
彼は大学を卒業してわたしの下に付いた。
彼は優秀だったのでわたしの教えをすぐに飲み込み、いま「一流への階段」を登っているところだ。
優秀という言葉には、優れた技術、知識のほかに、人格も含まれる。
人格という言葉には、人から信頼されることのほかに、人を信頼する度量を持ち合わせていることも含まれる。
フジモト君は、昔のわたしの「薫陶」を忘れず持ち続けている。
で、毎年、この季節になると、大量の「マツタケ」を贈ってくるのだ。
事件の時計の針を進めよう。
その日、わたしが出かけようとしたとき、クール宅急便が我が家に横付けされた。
予感とは胸騒ぎだ。人は胸騒ぎに対してザワザワっとした嫌なイメージを持つが、モワ~ンとした良い胸騒ぎもあるのだ。このときは後者だ。
わたしの脳裏に浮かんだのは、「この季節=フジモト君からのマツタケ」。
まるで、わたしが、純粋に慕ってくれているフジモト君の行為を、あさまし気に待っているように映るかもしれないが、実のところそうなのだ。
クール宅急便が去った後にはマツタケの独特の香りが残った。
そう、密閉された真っ白な発泡スチロールの箱からさえ、マツタケはその存在を誇示しているのだ。
誰がわたしのあさましさを責められよう。
その価値は充分すぎるくらいの豊穣さであった。
わたしは車のエンジンを止めることも忘れ、山の神に御礼を言い、夢中になってデジカメのシャッターを押した。
なんという色艶。
なんという香り。
さて、ここでもう一人の登場人物を紹介しなければならない。
なぜなら、彼女はこの「マツタケ事件」に間接的にではあるが重要な役を担っているからである。
仮に「節子」さんとしておこう。
毎年フジモト君から贈られてくるマツタケは、ある恒例行事となっているのだ。
というのも、節子さんはスコブル料理名人で、彼女の作るマツタケごはんは絶品なのだ。
ここで押さえておきたいことがある。
「素材さえよければ味は一流」などと言う輩がいる。
バカだ。なぜか?
その輩は、一流と超一流の間には分水嶺があることを知らないからだ。
要は、一流と超一流の間にはわれわれの想像を超えたなにかが存在するということである。
マツタケという一級品を一流の料理名人が調理することで超一流となる。
これは真理に他ならない。
昨年もわたしは節子さん宅にマツタケを運び入れ、マツタケご飯のおにぎりという、これ以上ない「美味」を手に入れたのだ。
話を戻そう。
クール宅急便で運ばれてきた山ほどのマツタケ。
わたしの大脳の前頭葉はすぐにでも節子さん宅にこの宝石を運び込み、翌日に「美味なるマツタケごはん」をせしめる考えをめぐらせていた。
この固い決意を歴史になぞらえてみよう。
古代ローマの「ルビコン川を渡った」、が適しているように思える。
ローマに攻め上がるシーザーが不退転の決意で元老院令を犯し、渡ったのがルビコン川。
大統領や首相など、国家や国際情勢を動かす中枢が、「後戻りできない」という意味で使う世界共通のフレーズである。
わたしの心意気を察することができよう。
だがしかし、歴史に裏切りはつきものである。
マツタケごはんゲット行動を阻止したのは、大脳にある「海馬」という、記憶をつかさどる部位なのだ。
わたしは急いでいた。約束があった。車のエンジンはかけっぱなしの状態であった。
重要記憶器官である海馬脳も、時として盲(めしい)ることがある。
わたしは、とりあえずのつもりで、一階の父の冷蔵庫にマツタケの入ったハコをしまった。
ここで、我が家の冷蔵庫について若干の時間を割くことをお許し願いたい。
そんなことはどーでもいいから早く話を進めろという人は、ものの本質がわかっていない。
あーた、相手はマツタケなのですよ。
実は、我が家は、家族一人に冷蔵庫が一台あてがわれている。
いわば「マイ冷蔵庫」というものが存在する。
このことが、今回の「マツタケ事件」の遠因となっているのでご注意願おう。
たとえばわたしの冷蔵庫には、お気に入りの「ローソンの105円ナッツチョコ」をはじめ、バターは「明治のバター3分の1チューブ型」、卵は「赤穂が育てたミネラルたっぷり玉子かけご飯用」、お醤油はFさんご夫婦のラブラブ倉敷旅行のついでの土産「特製旬味多彩醤油」など、自分のこだわり逸品が納められている。
話が逸れたが、もちろん父には父の冷蔵庫が存在する。
とうぜん、父の冷蔵庫の中のモノは父のものである。
貴重な時間を割いて冷蔵庫の話を持ち出したのはここに今回の事件の分岐点があるからだ。
ここで、我が家の住居構造に数行を費やすことをお許し願いたい。
我が家はいわゆるニ所帯住宅となっており、父は一階、わたしはニ階に住んでいる。
したがって、父の冷蔵庫は一階、わたしの冷蔵庫は二階にある。
とつぜん舞い降りてきた天使、マツタケさん。
急いでいたわたしは、二階へ駆け上がり自分のマイ冷蔵庫に入れるべき天使を、「とりあえず」という悪魔の時間差攻撃に屈し、父の冷蔵庫にしまってしまったのだ。(←ナイスな韻踏み)
事件のおきる状況を「X(エックス)の交差」という。
X(エックス)とは、過去と未来の交差を示す。
これから起きる事件を開陳するまえに、過去のものとなった「伏線」について述べよう。
おいおい、またかい。という声がきこえる。
またでわるいか。ここが最重要なのだ。
「レディ・ジョーカー」をはじめ、数々の名推理小説を残した高村薫さんが作り出した合田刑事だって、ここを素通りできまい。
で、伏線だ。
わたしは親不孝な息子である。
父はそんなわたしに小言を言ったことがない。
母が亡くなりお通夜のときも、わたしは締め切りに追われ二階で仕事を続けていた。
父は画家であるが、その絵を一度も褒めたことがない。
数年前、国立医療センター(当時の国立病院)に父の描いた大作を納品の際、車の屋根からおろす時にガリッと絵の一部を傷つけたことは今もナイショにしている。
唐突であるが、タモリさんのテレビ番組「エチカ」を見ていて、ああ、わたしも親孝行をしなければ、と思ったのだ。
と思ったのが間違いのもとだったのだ。
視聴者を感動させる番組「エチカ」を見て、短絡思考のわたしはたまには親孝行をしようと思い、マイ冷蔵庫に隠していた最高級コニャックを父にプレゼントすることにした。
それはクール宅急便が我が家に来るその日だった。
な、X(エックス)でしょ。
わたしは一階の父のテーブルに最高級コニャックを置き、手紙を添えた。
「たまには最高級もわるくないよ。
うんと、うまい酒を飲み
うんと、うまいものを食べてちょんまげ」。
父は感動した。と思う。
だって、めったに口もきかない息子がこんな手紙を書き、最高級コニャックが置いてあり、冷蔵庫には「マツタケ」が入っていたのだから。
父は画家であるからして手先が器用で、白内障にしては色彩感覚があり、85歳にしては食欲旺盛なのだ。
父は近所に出来たばかりのマックスバリューに出向き、牛肉、焼き豆腐、ネギ、扶、春菊を買い揃えた。
こ、こ、これってスキヤキじゃん。
さて、わたしは最近、メールともだちと「焼きうどん」についてメールのやり取りをしている。
我がメルともは丁寧なレシピを送ってくれた。
その焼きうどんの特徴は、味付けを「麺つゆ」でおこない食するという大胆かつ斬新なものである。
用事を済ませ、焼きうどん用のうどん玉を買って帰宅したわたし。
車を車庫に突っ込んだとき、わたしの鼻腔を刺激する「ただならぬ匂い」が一階の食卓から流れてきた。
わたしの口から出た言葉は陳腐なものだった。
「まさか」。
玄関のドアノブを引きちぎらんばかりに開け、食卓に突進したわたしの目に飛び込んできたものは、南部鉄のスキヤキ鍋に残った数枚のマツタケの薄切りだった。
ついでわたしの口から出た言葉はストレートなものだった。
「おれのマツタケェェェェェぇぇぇええええええええ!!!」。
お隣さんにも聞こえるような大声だったが、耳の遠い父には程よい音量だったに違いない。
「おう、おまえの分、2本残しておいてあるぞ」
って。オレのだああああああああああああああ!
だが父の視線は、白内障にしては的確にわたしの右手にぶらさがっている「うどん」に向けられていた。
「やっぱり、スキヤキの締めはうどんだな」
老獪な父のセリフはわたしの全身からチカラを奪い、わたしは敢え無く膝から崩れた。
数本のマツタケと霜降り肉をたいらげてもまだ箸を置こうとしない父と、なぜか日本一の孝行息子になってしまったわたしは、スキヤキ鍋をつっついた。
38円のうどんは、その1000倍の値段であろうマツタケのエキスを存分に吸い込んでいた。
すばらしく美味なうどんであった。
「マツタケ事件」は悲しいエンディングで幕を閉じた。
はせがわ鍼灸院
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