葬儀を通して日々考える、鈴木葬儀社社長BLOG

葬儀を通して日々思ったことや感じたことを書いてます

家族の暴力...家族葬の欠点

2009年12月14日 09時37分19秒 | Weblog
以前、表現文化社の碑文谷編集長が言っていた言葉「家族の暴力」。ふと思い出しました。

最初に聞いたときには、直ぐに理解出来ましたが何故そんな簡単な事が想像出来なかったのかと自分自身が嫌になりました(^_^;)

内容は正確に覚えている訳ではありませんが...下記の通りです。

ある地方都市に住んでいる両親が亡くなり、都会に住んでいた子供達が戻ってきた葬儀を行う場合。

その地方の常識は横に置いておいて、家族のみで家族葬を行う事にして近所の方々には葬儀の参加を遠慮してもらう。

この時、近所で何十年もお付き合いしてきた方々は、最期の対面が出来ません。

故人との関係を今後どの様にすれば良いのか? 彼らは納得が出来きないというか、どの様に対処したらよいのか不安でしょう。

この様な事を、家族の暴力と言い表していました。



家族の気持ちも十分にわかりますが、遺族・親族でないが最期のお別れをされたい方々の気持ちも理解できます。

多くの家族の方々には、その様な気持ちを持っている方の存在が認識されていないのでしょう。
(幾ら家族でも知らないのが通常でしょう)

多くの方は、自分自身が正に該当する体験をしないと理解出来ません。

観念としは家族葬の欠点を理解していても、実際に知合いの死を後から聞きお別れも出来ない体験をしないと「心で理解出来ない」のが人間なのかなと思います。

現在、家族葬は家族だけで静かにしめやかに行いたい方々にとって流行です。しかし、家族葬は「簡単に」というキーワードも内在していると思われます。

葬儀社が煽っている現実もありますが...

家族葬をしたい方々の事情も千差万別で経済的な理由もあり、葬儀に実際に携わる者として十分気持ちは理解できます。

しかし、この「簡単」というキーワードと関連する家族葬が「家族の暴力」の原因の一つではないかと思います。

これは家族葬の欠点というか、日本人として生きて死ぬ私たちにとって大きな問題です。

大きな反動がある様に想像します。どんな反動なのかわかりませんが...
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