"日本の劇団は、画一化...韓国の舞台は、情熱あふれて"
(以下の訳は、2種類の翻訳機を使い、なるべく自然な日本語に多少手直ししたものです)
劇団"四季"の活動に続き、韓国 ミュージカル界の主役にキムジュンヒョン
主役の俳優飢饉に悩むミュージカル界に彗星の如く現れた俳優がいる。キムジュンヒョン(34)だ。
昨年の"切り裂きジャック"と"ジキルとハイド"に続き、来る11月、国内初登場となる"ゾロ"まで、続けざまに三本の大規模なミュージカルの主役を務めた。
その理由は、ソウル忠武アートホール大劇場でアンコール公演中の"切り裂きジャック"を見れば知ることができる。
響きが大きい重低音の 声とすらりとした容貌で吹き出てくるカリスマ、基礎工事がしっかりした演技力と歌唱力。彼は歌、演技、ルックスの3拍子をすべて備えた、希少性の強い 演技者です。
そのような彼がミュージカルをちょっと見るという観客にさえ見慣れない理由は
昨年初めまで、日本最大の劇団四季で、金田俊秀という名前の主役俳優で活動したからだ。
去る19日、ソウル貞洞のあるカフェで会った彼は、
"5年間の日本の生活をやめて韓国に戻ってくる恐れもあったが、運良く、大きな作品に相次いで会った"と話した。
高校時代のファッションモデル 活動をした彼は21歳の時に演劇を始めた。
4が最後にソウル芸大 演劇科に合格し、当時の指導教授だったキムヒョギョン現ソウル大学のミュージカル団長に師事した。
2004年に劇団四季のソウル芸大の学生を対象に行われた オーディション プログラムに抜擢され、
翌年日本に渡った。
それからわずか1年足らずでミュージカル<ライオンキング"の主役"ムファサ"(シンバの父)に電撃キャスティングされた。
実戦経験があまりない俳優を、それも韓国人をデビューから主役に立たせたのは、この劇団では非常に異例なことだった。
"5年間の日本の生活をやめて韓国に戻ってくる恐れもあったが、運良く、大きな作品に相次いで会った"と話した。
高校時代のファッションモデル 活動をした彼は21歳の時に演劇を始めた。
4が最後にソウル芸大 演劇科に合格し、当時の指導教授だったキムヒョギョン現ソウル大学のミュージカル団長に師事した。
2004年に劇団四季のソウル芸大の学生を対象に行われた オーディション プログラムに抜擢され、
翌年日本に渡った。
それからわずか1年足らずでミュージカル<ライオンキング"の主役"ムファサ"(シンバの父)に電撃キャスティングされた。
実戦経験があまりない俳優を、それも韓国人をデビューから主役に立たせたのは、この劇団では非常に異例なことだった。

しかし、舞台に立って一ヶ月ぶりに 日本語が滑らかでないという指摘を受けて降板しなければならなかった。彼は歯を食いしばった。
一ヶ月後、彼は再びムファサで舞台に立って以来、一度も主役の座を奪われたことがなかった。
<アイーダ>(ラダメス役)、"エビータ"(ゲバラ役)、"ジーザスクライストスーパースター"(イエス役)、
"キャッツ"(ラムタムタガー役)を経て四季の代表俳優になった。
今でも彼の舞台を忘れれないで玄海灘を渡ってくる日本ファンが多い。
"先に四季に定着したキムジヒョン先輩が私を含め、韓国から渡っていった俳優たちに初めて会う席でこんな話をしました。
"お前たちは、胸に太極旗を一つずつをつけてきた人々"ですよ。
責任感と義務感、そして私自身のために最善を尽くしました。
そうするうちに、いつの間にか私に対する日本人俳優らの態度も変わったのです。
彼は、"四季の生活から学んだ最大の特性は、俳優としての自己管理法"と語った。
"例えば、"ジーザスクライストスーパースター"のイエス役を私一人で1年間したことからも分かるように、
四季の俳優たちは、常に作品のために待機状態に置かれているので、緊張を緩めることはできません。
前日の真夜中に電話して予定にはなかった、明日の公演をするようにすることも日常茶飯事でしょう。
<ライオンキング>をして翌日には"アイーダ"の舞台に立つことも普通ですよ。
そのため、常に良いコンディションを維持してなければなりません。
韓国のようにダブル、トリプルキャスティングで週2〜3回舞台に立ったり、公演の後、酒の席を持っているというのは、日本ではあり得ない事です。
"私の場合、最低4時間前には眠りから覚めて運動と半身浴をしてこそ、声がさく烈するということもその時悟りました。
今でもその習慣が染みついていて、前日いくら公演が遅く終わっても午前8時には起きます。”
しかし、日本の劇団特有の画一化を嫌う彼は、韓国行きを決心した。
劇団は、教科書のような演技を要求して、俳優たちは自分の演技にだけ忠実ならば良いという認識が普遍的なので、舞台での共鳴を期待するのが難しかったからだ。
彼は"韓国舞台でカタルシスを感じている"と述べた。
"日本人が韓国にミュージカルを見に来るのは、韓国の俳優たちの歌が上手なためでもあるが、
それよりは俳優たちが吐き出す熱い情熱のためだと思います。
これは、一緒に舞台に立つ俳優たちの間でも感知されます。
ある瞬間、俳優間の呼吸がぴったり合ったと感じる時、
観客とも瞬間通じたと確信する時の喜びのために演技を止めることができません(笑)
私が演技する最も大きい理由です。”
それよりは俳優たちが吐き出す熱い情熱のためだと思います。
これは、一緒に舞台に立つ俳優たちの間でも感知されます。
ある瞬間、俳優間の呼吸がぴったり合ったと感じる時、
観客とも瞬間通じたと確信する時の喜びのために演技を止めることができません(笑)
私が演技する最も大きい理由です。”
彼には原則がある。観客に感動を与える俳優でなければならないということだ。
彼は"高価な入場料を払って公演を見に来た観客に入場料以上の感動を与えることができない場合は、
それは公演として、また俳優としての義務を果たすことができないという信じている”と話した。
彼は、キムジュンヒョンという名前三文字の舞台で、"程度"を守りながら演技を熱心に
そして上手な俳優に成長したいと思うことを、地上の夢に立てている。
そのために演劇を初めて始めたときの初心を失わないように努力する。
ミュージカルをしながら演劇の舞台を去ってから古くなったが、可能であれば、
音楽と演劇の演技も並行するつもりだ。
そして上手な俳優に成長したいと思うことを、地上の夢に立てている。
そのために演劇を初めて始めたときの初心を失わないように努力する。
ミュージカルをしながら演劇の舞台を去ってから古くなったが、可能であれば、
音楽と演劇の演技も並行するつもりだ。
そのような彼に一つ希望がある。 難しい学生のための無料俳優養成所を設立することだ。
彼は演技の学校という名前の下に一ヶ月数十万ウォンずつの講習料を受ける商業施設に反感を持っている”として“志を同じくする人々が集まって演技の才能ある子供たちにバレー、ジャズ、歌、演技などに対する学習の機会を提供することによって、韓国ミュージカル界と演劇界の有望な人を育てるのが長い間の夢であったし、必ずこれを実現するつもり”と話した。
彼は演技の学校という名前の下に一ヶ月数十万ウォンずつの講習料を受ける商業施設に反感を持っている”として“志を同じくする人々が集まって演技の才能ある子供たちにバレー、ジャズ、歌、演技などに対する学習の機会を提供することによって、韓国ミュージカル界と演劇界の有望な人を育てるのが長い間の夢であったし、必ずこれを実現するつもり”と話した。
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久々にジュンヒョンさんのロングインタビューですね!
大まかには今まで聞いたことのある内容が多いですが、何だか話している内容がかっこよすぎるんですけど~!
そして、このカメラ目線の写真、珍しいですよね・・・妙に気恥かしい・・・
そして、このカメラ目線の写真、珍しいですよね・・・妙に気恥かしい・・・

彼の恵まれた姿や声量は持って生まれたものだとしても、芝居をやりたくて、師事したい先生のいるソウル芸大に入るために何年もかかって大学入学を実現して…
劇団四季でも次々とメインロールを任されて行くまでの道のりは、やはり彼の情熱と努力があってこそなのだろうなぁ、どれだけがんばったのだろう?と想像して、感動します。
全く日本語が出来ない状態から勉強して1年足らずで外国語を使ってプロの舞台に出るって相当大変なことだし、プレッシャーも大きかったでしょうね。
「日本の劇団は画一化」というのは特に、独特のメソッドを持つ劇団四季において大きく感じられる点かもしれませんね。
歌も楽譜通りが基本で、崩すことは許されないと聞いたことがあります。
基本に忠実に…を重んじているのでしょうけれど。
ミュージカルファンの間でも、劇団四季については、好き、嫌いもありますよね。
韓国の舞台は本当に熱いし個性も重視されているのかな。
それに、観客の反応も熱いから俳優として舞台に上がっていても、肌で感じられる反応って嬉しいでしょうね。
それに、観客の反応も熱いから俳優として舞台に上がっていても、肌で感じられる反応って嬉しいでしょうね。
もちろん、もう少し四季にいてほしかったという思いもあるし、 客演でもいいから、
またRadamesやジーザスをやってほしい!と思いますが…
今のジュンヒョンさんを見ていると本当に良い時期に韓国に帰られたな…と思うし、
母国でも実力を認められたからこそ…でしょうけれど、
立て続けに人気作品での主演に抜擢という幸運!
母国でも実力を認められたからこそ…でしょうけれど、
立て続けに人気作品での主演に抜擢という幸運!
私が こんなにもファンになった方は韓国へ戻っても、あれよあれよと彗星のごとく?!(笑)輝ける方だったのね!と、ファンとしても誇りに思ってしまいます。
なんか、どんどんスターになってしまうようで、まぶしくなってしまいます。
なんか、どんどんスターになってしまうようで、まぶしくなってしまいます。
日本にいた頃は、滅多にメディアにも載らなかったし、写真も映像もインタビューも本当に少なかったのに…
最近は記事も写真もたくさんで、嘘のよう。
パソコンの中身がジュンヒョンさんで日に日に重くなっていくなんて。
最近は記事も写真もたくさんで、嘘のよう。
パソコンの中身がジュンヒョンさんで日に日に重くなっていくなんて。
そして、四季時代とは違って、ステージドアで会うことも出来る!
韓国ではファンカフェが出来ていて熱心なファンが通いつめていたりもしてます。
(ファンカフェとは、ファンサイトのことで、韓国ではカフェと呼ぶんですよね。最初はカフェって何?と思っていましたが。
)
韓国ではファンカフェが出来ていて熱心なファンが通いつめていたりもしてます。
(ファンカフェとは、ファンサイトのことで、韓国ではカフェと呼ぶんですよね。最初はカフェって何?と思っていましたが。

実際にお会い出来るチャンスがあったり、
色々な情報を通して、この1年で少しずつ素顔も見えるようにもなってきました。
誠実なイメージは変わらないけれど、結構 楽しい気さくな人柄も感じられたり…
ステージドアでも、いつもファンに親切にサインに応じているようですね。
ステージドアでも、いつもファンに親切にサインに応じているようですね。
いつも謙虚な姿勢のところが好きでもありますが、
本人の言葉のように、人気が出ても初心を忘れずに、よい習慣と努力を続けて、
ますます飛躍してほしい、と願っています。

そして、そんなジュンヒョンさんをこれからも、離れた日本でも応援して見守って行けたらいいなと、
このインタビューを読んで改めて「熱く」(笑) 思ってしまいました。
後進の指導に興味を持っているのも、自分や仲間たちが苦労した経験からでしょうね。
やはり俳優の仕事でお金に困らず生活できる、ということは、大変なことでしょう。
劇団四季で得た経験からも俳優教育に関しては、色々と学ぶ事ができたのではないでしょうか。
素敵な夢です。
それから、元々は芝居をやりたくて 演劇科に入ったジュンヒョンさんですから、
ミュージカルだけでなく、やはりお芝居をやりたいみたいですね。
ミュージカルだけでなく、やはりお芝居をやりたいみたいですね。
歌わないなんてもったいない!
とも思ってしまうけれど、芝居する姿も興味あります。
しかし、言葉がわからないと絶望的~。
あぁ… あなたは何故 韓国の方なの?
な~んて時々、まじめに思ってしまいますが、嘆いている間に韓国語勉強すればいいんですよね。

しかし、言葉がわからないと絶望的~。
あぁ… あなたは何故 韓国の方なの?

な~んて時々、まじめに思ってしまいますが、嘆いている間に韓国語勉強すればいいんですよね。
しかし、先月、日本語が割と出来る韓国ファンと友達になりメールしていて・・・
一応、韓国語と日本語と両方つけて送ったんですね。
私はまだ韓国語、挨拶程度しかできないので、
翻訳機使って書いたのですが 彼女が頑張って日本語でお返事くれまして、
そこに、こんな言葉があって・・・うけました!
一応、韓国語と日本語と両方つけて送ったんですね。
私はまだ韓国語、挨拶程度しかできないので、
翻訳機使って書いたのですが 彼女が頑張って日本語でお返事くれまして、
そこに、こんな言葉があって・・・うけました!
「韓国語と日本語で返事をおくてもらったら、ありがとう~韓国語がマジうまい~」
えー?マジうまい?(笑)⇒ 韓国の方が「マジ」って使うトコも笑ったけど、
それなりの韓国語になってるのかな?とちょっとほっとしました。
きっと翻訳機がうまいんですね。
というか、翻訳機の使いが上達したのかな。(笑)
でも、英語の翻訳機って全然使えないな~と思うんですけど、
英語に比べたら、韓国語と日本語は語順が一緒のせいか、ずっとましな翻訳になるみたいです。
でも、微妙な丁寧語とかが難しいので、失礼な言葉になっていないか?とか、心配だったりもしますが。
英語に比べたら、韓国語と日本語は語順が一緒のせいか、ずっとましな翻訳になるみたいです。
でも、微妙な丁寧語とかが難しいので、失礼な言葉になっていないか?とか、心配だったりもしますが。
なんだか、話がずれましたが・・・
そして、長くなりましたが・・・
これからも、ジュンヒョンさんを一生懸命応援したいな~と思った!ということです。
あはは・・・つい熱く語ってしまいました。
お恥ずかしい・・・
お恥ずかしい・・・
