大阪あそ歩78
城東区 蒲生
蒲生村に残る水郷の面影を探して
~鯰江川跡と楠根川跡と新喜多新田会所跡と~
「のどかな水郷風景が広がっていた蒲生村。水路が縦横に走り、小船で作物や肥料、人々を運んでいました。
春には見渡す限り菜の花が咲き誇っていました。また大和川の付け替えにより広大な新田も開発されました。
そんな水と人々との物語を訪ねて歩きます」
スタートは京橋駅
1 京街道の碑
「文禄年間(1592年~1596年)に豊臣秀吉が淀川左岸の堤防を改修し、
堤防上に街道を開いたことが京街道の始まりといわれています。」
この道標は、京街道と大和街道(古堤街道)の分岐点にあったもので、
「左京みち」「右大和ならのざき」「右大坂」と刻まれています」
(まわりはゴミだらけ・・・)
2 真実の口
「映画「ローマの休日」で有名になった石の彫刻をモチーフに作られたものです。
「ローマの下町」が新京橋商店街・京橋中央商店街のテーマで「真実の口」はそのシンボルだそうです。」
大きくて高い場所にあるので手は届かないヨ
京橋は ええとこだっせ グランシャトーがおまっせっ♪
3 蒲生墓
「江戸時代、陰暦7月16日の宵から翌日の夜明けにかけて、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら
大坂三郷の周囲に作られた7つの墓地を巡って参拝する「七墓参り」という風習がありました。
その大坂七墓の一つが蒲生墓です。ちなみに大坂七墓とは
「千日前」「小橋」「梅田」「濱」「葭原」「蒲生」「鳶田」の七つです。」
このお墓がわかりづらい~。一般の小さい墓地に混じって在るし、その墓地がちょっと怖い
4 蒲生橋親柱
「鯰江橋に架かっていた蒲生橋の親柱です。鯰江川は寝屋川の北側を平行して流れ、
大阪市東北部の悪水を排除するための川でした。この川には鯰が多かったことから鯰江川を呼んだとされています。」
「現在は埋め立てられて道路になっています。」
5 古堤街道(鯰江川跡)
「古堤街道は大和道、奈良道ともいわれ、大阪から奈良への幹線道路として利用されてきた街道です。
京橋を起点とし、高山村(現在の生駒市)までを結んでいました。
鯰江川の右岸の堤を街道として使っていました。」
JR城東貨物線
次の目的地がいくら探しても見つからないので、公園でひと休み
6 蒲生行者講
「行者講とは奈良県吉野の大峰山で厳しい修行を行う信者の集まりです。蒲生行者講は不動明王、
役行者、弘法大師を守護神とし、現在もご近所の方により手厚く祀られています。」
も~この行者講がマップを頼りに探しても探しても見つからない
最後の手段で携帯で検索したら、ぜんぜん違う場所に
Mameshiba
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