晴(ハル)ライフ☆オンザロック

英国、ドイツ、スウェーデンでの暮らしを経て、ただいま日本に一時帰国中。
次なる目的地を決めるべく、奮闘してます(汗)

アリ

2006年12月15日 | ちょっとまじめな話
今年はストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が設立されてから40周年。
それを記念して、今年は“アニバーサリー・インターン”が4名、
主に発展途上国からSIPRIに来て、2~3ヶ月間インターンシップに参加した。

10月に最後のアニバーサリー・インターンとしてSIPRIに来たのは、
レバノンからやって来たアリ。
2ヵ月半の間、“アラブ首長国連邦の武器管理”についてリサーチをし、
今日が彼のインターンシップ最終日だった。



レバノンから来たアリだけど、彼はレバノン人ではない。

「僕はパレスチナ難民だ。」

初めて会った日、彼は自己紹介でそう言った。




パレスチナ難民は、1948年にイスラエルが建国された際、
住んでいた地を追われ、周辺の国々に逃れた
およそ100万人にものぼるパレスチナ人のこと。
現在その数は、子孫も含めて約430万人いる。

1948年、アリのおじいさんとおばあさんも、
パレスチナの地を終われ、難民としてレバノンに逃げてきた。
アリのお父さんとお母さんは、レバノンで生まれた“パレスチナ難民”だ。
そしてアリと、彼の7人の兄弟姉妹も、
皆レバノンで生まれ育ったパレスチナ難民。

レバノンに生まれ、レバノンでの生活しか知らないのに、
アリは絶対に自分を「レバノン人」とは呼ばなかった。

「“パレスチナ”が自分の家族のルーツだし、
 深く刻み込まれたアイデンティティーだから。」

なぜレバノン人じゃないのかと聞かれ、
アリはいつもこう答えていた。
それが『答え』なんだと思ってた。



インターンシップ最終日の今日、
ランチタイムを終えて私がオフィスで仕事をしていると、
隣のオフィスにいたアリが突然、
「見せたいものがあるんだ」
と言って、私を自分のオフィスに呼んだ。
パソコンの画面を指差して見せてくれたのは、
彼の家族、親戚、そして友人の写真。
普段とても寡黙で、SIPRIの人達とあまり言葉を交わさなかったアリが、
この日、たくさんの写真を見せながら、
自分と家族の、パレスチナ難民としての暮らしについて話をしてくれた。



レバノンには今、40万人近くのパレスチナ難民がいる。
これはレバノン人口のおよそ10%にあたる。
現在そのほとんどは、アリや彼の両親のように、
レバノンで生まれ育った人達だ。
1948年当時に逃げてきた人達は、
もう58年間もレバノンに住んでいる事になる。
それでも、レバノンに住むパレスチナ難民は、
「存在しているのに、いないようなもの」とアリは言う。


「僕達には人権がないからね」
レバノンに生まれ、レバノンで育っても、
レバノン国籍を与えられる事は決してない。
たとえパレスチナのアイデンティティーを捨て、
レバノン人になりたいと望んでも、それは絶対に叶わない。
レバノン人と同等の権利なんて認められるはずもなく、
生きるために必要な働く権利すら持たない。
投票権なんてものはおろか、
基本的な社会福祉サービスも勿論受けられない。

驚いてアリに聞いた。
「じゃあ、パスポートは?
 今、こうしてスウェーデンにいるじゃない。
 パスポートがあるなら、レバノン人としての
 地位を与えられてるって事でしょ?」

アリは自分のジャケットから
パスポートを取り出して見せてくれた。
茶色の表紙の真ん中に、レバノンの国樹である
レバノン杉が金色で大きく刻印され、
その上下にはアラビア語と英語の字が並ぶ。
上部には“LEBANON”の文字。
「ほら、やっぱり!」
一瞬そう思ったけど、下部に刻まれた文字を見てはっとした。
“PALESTINIAN REFUGEES”

それは、パレスチナ難民用の特製パスポート。
何をどう頑張っても、その字が彼のパスポートから
消し去られる事はない。
死ぬまでレバノンに住むと決めても、
彼に押された“パレスチナ難民”の烙印は消えない。

アリは、自分をレバノン人と呼ばなかったんじゃない。
呼べなかったのだ。
呼ぶ事を許されず、呼ぶ権利も決して与えられない。
それが「レバノン人じゃない」本当の答え。



アリも、彼の家族も親戚も、みんな“無国籍状態”だ。
レバノン国籍は絶対に取得できないし、
難民として帰還すべきパレスチナ国家は存在しない。

パレスチナ難民として生まれたその瞬間から
ずっと背負い、この先も背負い続ける苦難と迫害。
世代を越えて、難民の苦しみは子から孫へと“引き継がれる”。

それでも、
「キャンプでの生活と比べたら、僕の家族はとても幸せな方だ」
とアリは繰り返した。
レバノンには、12のパレスチナ難民キャンプがあるが、
そこでの暮らしは辛く惨めなだけだと言う。
(レバノンにいる40万人の難民のうち、
 約22万人は難民キャンプで暮らしている。)
アリの家族は、幸運にもキャンプから離れ、
家を持ち、決して豊かではないが、
家族揃って平和に暮らしている。

働く権利を与えられないパレスチナ難民を救済するため、
1949年に設立された国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、
物的支援や医療・教育サービスの他に、働く機会も提供している。
もちろん全てのパレスチナ難民が職を得られるわけではないが、
幸運にもアリのお父さんはそこで仕事に就く事ができた。
少しずつではあるけれど、“自分達の暮らし”を手に入れてきた
アリの家族の喜びと幸せは、とてつもなく大きい。


そして今、アリにも“幸せな未来”が訪れようとしている。
今年の8月に婚約した恋人ユスランと、年明けに結婚するのだ。
彼女はレバノン人。
パレスチナ難民は、結婚でも差別を受ける事が多い。
婚約に至るまで、たくさんの障害があったという。
それらを乗り越えて、遂に手にした二人の愛と未来。

「たとえ結婚相手がレバノン人でも、
 僕は死ぬまで“パレスチナ難民”のままだ。
 でも、僕の子供は“レバノン人”になれる。
 迫害を受けることはない。
 それが何より嬉しい。」

婚約者とのツーショット写真を見せながら、
アリの顔がほころんだ。


どうか、末永く二人が幸せでありますように・・・
そう心から祈って止まない。

通知書・・・

2005年11月14日 | ちょっとまじめな話
や、やばいです・・・。

ど・・・どうしよう・・・。










採用内定通知書届いちゃいましたけど???!!!






そう、ついこの前ロンドンであったキャリアフォーラムで
面接と筆記試験を受け、夕食会にまで参加してきたあのITコンサルティング会社!!!





今日インターンから帰ってきて玄関のドアを開けたら、
入り口のマットレスに白い封書がピラッと落ちてるではありませんか
封筒の表を見ると、コ○○ッ○(会社名)・・・嫌な予感



いざ開封してみると、きれい目(笑)の厚紙に
採用内定通知書が納まってました・・・




嬉しいというより、困惑してます




返事の期日は12月末日。
それまでに国際機関や国際NGOをターゲットに仕事探しして
結果を出さないと・・・



って、いや、もし結果が出せなかったとしても、
この会社でいいのかどうか・・・。
ITだぞ、本当に仕事していけるんかいな・・・???



通知書に書いてある文がまた笑えるんです。


「あなたの能力や資質が当社の期待する人材である事が確認されました。そこであなたにぜひコ○○ッ○の一員として私達の仲間に加わっていただきたく、採用を内定する事に決定いたしました。入社されましたらあなたの優れた能力や個性を思う存分発揮してくださる事を願っております。」



確認されましたか、そうですか・・・(笑)



IT業界で私の能力や個性、発揮できるんやろか・・・。
あ~適当に面接なんて受けるんじゃなかった・・・
非常に後悔しております・・・



内定もらっといて、贅沢な悩みなんやろうけど、
でもね、夕食会の後で渡された社長の言葉が載ってるパンフレット見たら、


「商売のためなら土下座もする!」



なんて書いてあるんですよ・・・怖い


悪いけど私、金儲けにそこまで執着心はありませんから・・・
商売のために土下座するような人生は望んでおりません



・・・やっぱり自分、めちゃこの仕事不向きやんか・・・(苦笑)
何で内定もらってんねん???




運命の日は12月末日。




気の重い年末になりそうです・・・


IT系ハル・・・???

2005年11月09日 | ちょっとまじめな話
ロンドン・キャリアフォーラムに行ってきました!


11月4・5日の二日間にわたって開催されたキャリア・フォーラム、
イギリス内からだけでなく、私のように別のヨーロッパ諸国からも続々と日本人が集まり、
一日目は300人、二日目は500人近くが参加した模様。


そんな参加者を迎え撃つ企業は・・・



な・・・なんと!!!驚きの・・・






11社!!!







なんじゃそりゃ~~~~!!!???




スウェーデンからわざわざ飛んだというのに・・・

インターンも休ませてもらって来たというのに・・・





11社ってことはないやろ、コレ





これには会場に着いた参加者の誰もが口々に文句を言っておりました・・・
そりゃそうだ、11社相手に300人がどうしろっていうのさ・・・




でも不満ばかり言っていても仕方がない。
せっかくロンドンまで来たんだから、やれるだけの事はしないと!!!





ぶっつけ本番面接にトライ!!!





とにかく企業の人と顔を合わせられるのは二日間しかありませんから、
事前のアポだとか、エントリーシート送付だとかは全て当日にします(汗)



持参したのは英語の履歴書=CV(curriculum vitaeの略)のみ。
各企業のブースに行って、必要があればその場でエントリーシートに記入、
椅子に座って面接の順番を待ち、自分の番が来たらCVを見せていざ面接スタート!!!




いやぁ、自分で言うのもなんですがね。



面接には自信があるんですよ、わたくし・・・



母から受け継いだ“しゃべり好き”が功を奏して(笑)
面接だけはだいたい上手くいってしまうんです・・・





で、上手くいってしまいました





ある会社の最終選考に残ってしまいました






今流行りのITコンサルティング会社です。



<一次面接>

◎留学して一番学んだ事

◎留学して失った事

◎営業職(この会社は技術職か営業職しか募集してなかったから)に対して
 持っているイメージとは?


などについて聞かれること30分。



「はい、じゃあ次のステップに行ってくれる?」



次のステップ・・・それは・・・筆記試験!!!




やばい~~~~!!!何の準備もしてない!!!!
しかも一時間って・・・結構本格的やないの!!!




<筆記試験>

どういう問題だったかというと・・・。


『あなたには助手がいます。
 助手はあなたの命令に従って全ての計算を行います。
 以下の命令サインを使って、助手に問題にある計算式を計算させなさい。

 [命令サイン]

 WRT=紙に書け、の命令

 ADD=足し算をしろ、の命令

 SUB=引き算をしろ、の命令

 MUL=掛け算をしろ、の命令

 DIV=割り算をしろ、の命令

 STOR=白紙の紙に計算で得た数字を書き込め、の命令

 STP=止め、の命令



 《例題》

 7+5=Z (X=7,Y=5)

 《解答》

 WRT X
 ADD Y
 STOR Z
 STP    』






・・・わかりますかね???


IT系の会社だから、プログラミングとかそういう事を念頭においた
情報処理能力を問うテストだったみたいなんですが、
まず問題の意図を飲み込むのに10分かかりました(笑)



この命令サインを使った問題が第一部と第二部と続き、
残る第三部ではまた新たな意味不明命令サインが登場し、
最期は半狂乱のうちにテスト終了~~~~





「はい、では次のステップに進んでください」




って、合格かよ、おい!!!!



高校を卒業してから全く使ってなかった脳ミソの
“理系パーツ”を久しぶりに酷使しての筆記試験、
なぜかパスしてしまい、とうとう二次面接に。


専務取締役との面接でございます。



<二次面接>

◎イギリスの大学院で学んだことについて聞かれる
 (平和学と国際法について説明)

◎苦手な事について聞かれる

◎エントリーシートの特技欄に書いたバレーボールについて聞かれる

◎将来のキャリアプランについて聞かれる


この専務取締役さんがとっても気さくないい方で、
私が中学と高校でバレーボールに打ち込んでいた話をすると
「体育会系の人間の方が、企業社会では上手くやっていけるんですよ」
と、私の面接というより途中から彼の“ビジネス論”披露に

彼曰く、
「どんなに頑張っても、結果が出ない時の方がいっぱいある。
 スポーツで頂点に立てるのは一人か一チームだけ。
 他の人間は皆“負け”たことになるわけだけど、
 スポーツをやってきた人間はそこがきちんとわかってる。
 どんなに努力しても、報われない事の方が多い。
 でも結果が出せなかった時に、それまでの自分の努力に価値を見出すことが
 容易にできるのは体育会系なんですよね」


ふ~ん、そうなのか、と興味深く聞いてると、

「試験や資格取得に一生懸命な人がたくさんいる。
 彼らの場合は、努力すれば必ず合格できるんだ、という思い込みがある。
 だからいざビジネス界に入って、仕事で結果が出せないと、
 『自分はこんなに頑張ってるのに何で結果が出ないんだ』
 と激しく落ち込んでしまう。
 『そういうものなんだよ、ビジネスっていうのは』
 と説いても、『そういうものって、どんなものですか』と
 全くその意味がわかってもらえない場合が多々あるんです。
 努力をしたから必ず報われる、なんてのはビジネスには存在しませんからね」


なんだか専務取締役の言葉に聞き入ってしまいましたよ(オイ、自分の面接やん!笑)



そんな話をしながら45分経過。



「じゃあ、今夜の夕食会に参加してもらいますね」




・・・・へ???夕食会???




ロンドンの、日本大使館やヒルトンホテルが並ぶグリーンパーク近くにある
日本食レストラン「菊」にて、夕食をいただいてしまいました


私も含め、最終選考に残った5人が参加。
和やかな雰囲気のまま夕食会も終了・・・。



いつ結果が出るのかは全くわかりません(汗)
メールが来るのか、手紙が来るのかどうか・・・。




でも、正直、ITコンサルティング業界なんかで
仕事がやっていけるのかどうか、自信がありません・・・。


別にその企業にものすごく興味があったわけでもないし、
11社あった中から適当に(本当に適当に・・・)選んで受けた面接が
思いがけず上手くいってしまい、思わぬうちに取締役専務との夕食会にまで
参加してしまったわけでして・・・




とりあえず、留学後海外でインターンシップなんぞをしてる私なんかにも
日本企業に就職する機会はいくらでもあるのだということがわかっただけでも、
今回のキャリアフォーラムに参加した甲斐があったというものです


“ITコンサルタント、ハル”誕生なるか、乞う御期待(笑)


ロンドンにて就職活動!

2005年11月03日 | ちょっとまじめな話
またしばらく更新できませんでした・・・

そしてまたしばらく更新できません・・・(笑)


週末はカイと一緒にストックホルム市内の色々な所を
ほとんど徒歩で見て回ってきました!

ミスター・ウォーカーの異名を持つカイ・・・。
とにかく歩くことをこよなく愛してるんです・・・
もともとそんなに歩くことがなかった私も
今じゃカイについててくてく、とことことひたすら歩きまくってます(汗)



で、明日から来週月曜日まではロンドンに行ってきます!!!

遊びじゃありません・・・観光じゃありません・・・


就職活動です!!!


ロンドンにあるオリンピア・コンファレンス・センターという所で
金曜日と土曜日に日本語・英語バイリンガル対象の
キャリア・フォーラムが開かれるので、参加してきます!


正直、フォーラムに関する冊子を見るだけで

「やっぱり自分には合わない気がする」

とは思ってるんです・・・



<数え切れないほどの“基本”>

メイク・・・ナチュラルメイクが基本。

爪・・・短く切りマニキュアは落とすか透明または薄いピンク。

脚・・・ストッキングは肌色が基本。替えも用意。

靴・・・中ヒール、黒色のパンプスが基本。

スーツ・・・紺かグレーが基本。

スカート・・・膝丈が基本。




いやぁ、コレですよねぇ、日本の就活マニュアルの“基本”は(苦笑)



そんなに“基本”を羅列しなくても、
とりあえず個人の“常識”感覚に任しておけば
そんなにヘンテコな格好をしてキャリアフォーラムには行かないと思うんですけど


マニュアル大好き、マニュアルが全て・・・



こんだけ参加者全員を“基本形”の枠組みに縛っておきながら、
冊子に並ぶ言葉は


「個性ある人材に期待」

「多様な価値観、個性の有機的連携が競争力を高める」

「自分で考え、自分で動く事、パフォーマンスこそが評価軸」



ときたもんだ(再び苦笑)



読んでるだけで疲れてるんだもの、
実際に会場に行ったら、同じ格好、メイク、髪型してる
参加者達に囲まれて余計に疲れそう・・・。


って、非常にひねくれた物の見方でごめんなさい


要は、「与えられた基準、枠組みの中でも個性を発揮できる人物」を
日本企業は求めてるんだろうけど、
そういう優秀な人材なんて、もっと大らかな環境で個性を発揮できる
海外企業とかに簡単に流出しちゃうんじゃないの?と思ってしまいます。




紺のスーツもグレーのスーツも持ってない私。
黒のパンプスを持ってない私。
スカートをはかない私。



・・・どこまで頑張れるんでしょうか、乞う御期待!


HIROSHIMA

2005年08月07日 | ちょっとまじめな話
(写真はBBCより)

昨日は八月六日。

広島に原爆が投下されてからちょうど60年である。


一週間位前から、BBCやCNN、ドイツの各メディアも
“HIROSHIMA 60th Memorial”として様々な特集記事を報道している。


その中の一つ、BBCの記事がとても興味深かった。



原爆を投下したアメリカのメディアの全体的な論調から比べると、
イギリスのそれは、連合国側だったとはいえ、
一般的に中立的な論調といえる。


ヒロシマの悲劇、人々の苦しみ、語り継がれる記憶、
なぜ原爆投下に至ったのか、
当時日本の軍部内で降伏に向けてどのような動きがあったのか、
アメリカが原爆投下という決断に至った経緯、
原爆を落としたエノラ・ゲイに乗っていた当時の米兵達の言葉・・・


それらが一つ一つ丁寧に記事としてまとめられている。



“原爆は日本を降伏させる唯一の手段だったのか”


それは永遠に答えの出ることのない疑問だろう、
と記者は述べている。


トルーマンは回顧録の中で、

「原爆という、使用可能な最終兵器が完成していたにも関わらず、
 もしそれを使わずにいたら、後でアメリカ国民に
 何と説明すればいい?」

と当時の最終判断に至った心理の経緯を説明している。

つまり、戦争を早く終わらすことのできる兵器が完成していたのに、
もしもそれを使わずに、無駄に戦争を引き伸ばしてしまっていたら、
後でアメリカ国民はアメリカ政府に激怒していただろう、
というのがトルーマンを含むアメリカ政府の思いなのだ。


エノラ・ゲイに乗って原爆を投下した兵士の一人は、
投下してからしばらくして広島を訪ねたらしい。
彼はその時の思いをこう話している。

「完全に破壊され尽くした町に立ち、
 ひどい傷を負った無数の人々に目をやる。
 自分がアメリカ人であると知ると、
 日本人は皆自分から目をそらしうつむいていた。
 彼らはきっと自分を恨んでいただろう。
 でも、彼らの目の中にも、戦争が終わったという安堵の色がうかがえた」

これはすごい見方である。
彼は本当に、被爆して酷い傷で苦しんでいた人々の目の中に
終戦への安堵の気持ちを垣間見たのだろうか。



アメリカ国内の世論は、今でも原爆投下に肯定的だ。
実際に被爆した広島と長崎の人々からすれば
それはとても受け入れがたいものだと思う。


でも逆の立場であったら、
同じような世論形成に日本もなっていたのではないかと思う。



歴史に「もしも」はない。

「もしもあの時もっと早く降伏していれば・・・」

「もしも原爆が投下されなければ・・・」



これらの「もしも」で救われた命はたくさんあっただろう。
でも、歴史は変えられないのだ。
ヒロシマとナガサキは起きてしまった。



「あんな非人道的兵器を無実の市民を殺すために使ったなんて」
という怒り。

「原爆投下で日本の降伏が早まり、救われたアメリカ人の命は多いのだ」
という自負。



あの過去を巡る、この二つの思いは衝突し続ける。



私は以前、殊にヒロシマとナガサキの事になると、
どうしてもアメリカの態度や意見が許せなくて憤っていた。
「原爆投下を肯定するなんて許しがたい」
と、いつも強い怒りを覚えていた。

それが、日本を離れてから少しずつ変わってきたのだ。

もちろん、原爆投下を許せるようになったわけではない。


相手を受け入れることができるようになった、と言えばいいだろうか。
冷静にアメリカ側の意見が聞けるようになった。
決して賛同はしない。
ただ、なぜ彼らはそう考えるのか、という点について
理解をしようと努力できるようになった。
それと同時に、客観的に「原爆投下」という歴史と
向き合えるようになった気がする。

「日本人なのだから、ヒロシマとナガサキに関して
 客観的になる必要はない」

という意見も聞こえてきそうだが、それは間違ってると思う。


やみくもに怒り狂っていても仕方がない。
主観的な感情のままでは、いつまでたっても歴史と対峙できない。
“歴史を見つめなおす”とよく言うけど、
それは客観的になって初めてできることだと思っている。
歴史を見つめなおすということは、
歴史を受け入れることから始まるのではないか。
それは決して“自分側”の歴史だけではなく、
相手から見た歴史をも受け入れる必要があるように思う。



日本人として、世界のどこにいようと私はヒロシマとナガサキを背負っている。
もちろんそれだけではない、日本の戦争の歴史、全てを背負っているのだ。
体験してないから知らない、では絶対に済まされない、重い歴史だ。

「その事を忘れるな」

毎年八月六日に、自分にそう言い聞かせている。

倒産する中小企業

2005年06月03日 | ちょっとまじめな話
従姉妹の携帯からメールが来た。

「家が大変なことになってしまって・・・
 ハルちゃんが帰ってきた時、いつ会えるかちょっとわからない」

従姉妹の住む家は私のお父さんの実家。
お父さんの弟にあたる叔父さん家族とお祖母ちゃん(お父さんのお母さん)が同居してる。

数年前に亡くなったお祖父ちゃんのお父さんの代から
小さいながらも鉄鋼部品を作る会社をやっていて、
今社長をしてる叔父さんが三代目。
いわゆる中小企業、いや小企業だけど、
バブルのはじける90年ごろまではとても順調で
会社の業績も右肩上がりだった。

90年代半ばから一転した。

注文が来ない。
営業に出ても受注できない。
取引先からは裏切られ、銀行も融資に冷たくなった。

99年春、倒産の危機に襲われた。
会社も、会社の土地も、家も、土地も、全て捨てる覚悟をした叔父さんだったけど、
うちのお父さんを含む兄弟や親戚から何とか
応援資金を寄せ集めて、その時の危機はどうにか回避することができた。

その後、相変わらず業績は厳しかったけど、
公共事業もあったせいで継続して受注を獲得できたので
何とか会社の経営状況を立て直すことができた。

・・・できた、と思ってた。


最近、いつも注文をくれてた会社が別会社に吸収合併されることになった。
新しくなった会社から注文は一切来なくなった。

来週末までに払わなければならないお金が作れない。


また応援資金を集められるかもしれない。
でも、それで営業をつないだとして、もう注文をもらえるあてもない。

「倒産」


誰にもお金の詮索をすることなく、叔父さんは静かに決断したらしい。


会社の詳しい事は私にはわからない。
でも、今月末か来月には、会社だけでなく
今住んでいる家も土地も全て捨てなければならない。


お祖母ちゃんは嫁いできてから70年ずっとあそこに住んでる。
お父さんが生まれて育った場所でもある。
私も生まれてからずっとあの家に慣れ親しんできた。
中学生まで駆け回ってた庭にはたくさん思い出がある。

そこに、私ももう戻れなくなることが何より悲しくて、
自分の人生の一部を失うようで、寂しくて仕方がない。


「景気が上向いてきた」

日本経済全体ではそうなのかもしれないけど、
まだまだ中小企業には厳しすぎる現実がたくさんある。
大企業が効率化に走った時、そのしわ寄せを食らうのはその大企業自身よりも
そこを頼りに細々と営業を続けてきた下請けの中小企業だ。
何千億、何兆もの利益を上げる大企業の足元に、
その利益のために死んでいく小さくても精一杯頑張ってきた会社が
たくさんあったことを、どうか忘れないでほしい。


送電線と癌の関係

2005年06月03日 | ちょっとまじめな話
今朝イギリスのニュースチャンネルSky Newsを見てたら、
国民の健康問題について調査している機関が
「送電線の鉄塔付近に住んでる住民の、
 とりわけ子供の白血病(血液の癌)にかかる確率が
 非常に高くなる」
との研究レポートを発表したといっていた。

それによると、鉄塔付近の半径200メートル内に住んでる
子供の白血病にかかるリスクは、
そうでない子供のそれより70%も高くなり、
600メートル(700メートルだったかも)内の場合は
20%高くなるらしい。


イギリスにいる間、こうした鉄塔や携帯電話の電波基地局の建設に
猛反対する市民の様子がよくニュースで取り上げられていて、
皆口々に「癌になるリスクが高まる!」と叫んでいた。

日本でこういう光景、見たことがない気がする・・・。
メディアで取り上げられないだけだろうか。
携帯電話を耳にかざすことで電波が脳に悪影響を与えるっていう
話は日本人はよくするけど、癌になるリスクは聞いたことない。
それとも実際にはそういう事実があるのに隠されてるだけなのか・・・。

まして送電線の鉄塔近くに住むだけで
子供が白血病になる危険が高まるなんて・・・。
この研究レポートは、まだまだこれからも調査を進めるので
今回の結果が全てではないとは言ってるけど、
このニュースで、鉄塔の近くに住んでる小さい子供を持つ家族の中には
引越しし出す人も出てくるかもしれない。

日本だと鉄塔が近くにある土地は安い、っていうのはよく聞く。
でもそれは鉄塔が倒れる危険だとか、
送電線が切れて垂れ下がる危険だとか、
そっちの類の危険性が理由だと思ってた。


イギリスの研究機関がこれだけ癌のリスクを強調してるのに、
日本ではそういう指摘がほとんど聞かれない・・・
どちらかが嘘をついてるか事実を隠してるんだろうか・・・。

実際に鉄塔付近に住み、白血病で我が子を
亡くした母親達の一人が登場して癌のリスクを訴えてるのを見て、
因果関係がまだはっきりしていないとはいえ、
彼女達の訴えが全て嘘だとは思えない、と感じた。

思わぬ効用・・・

2005年06月02日 | ちょっとまじめな話
昨日登場したローズマリーですが、
「食べてよし、飲んでよし、肌につけてよし」と
その万能ぶりに感動して今日もさらなる効用について調べてたんですが・・・

予期せぬ効用を発見してしまいました。


ある産婦人科のホームページにこのような事が・・・↓

「ローズマリーは月経を促す作用があるので、妊娠中の方は
 できるだけ口にするのは避けてください」

な、なんと・・・そんな効果まであるんですか、ローズマリー!!!

ショックやぁ・・・
妊娠したら食べられへんのかいな、ローズマリー

なんかこういうの聞くと、ほんま「女の方が損してるわ~」って思う(笑)
だってローズマリーに限らず、
妊娠中の10ヶ月プラス授乳期間中は
お酒飲めないのよ~!!!(ソコかい!ってツッコミが聞こえてきます。笑)
1年半~2年もお酒が飲めないなんて・・・拷問です
ツワリよりもそっちの方が私には大変そう(オイオイ)。
私の場合、赤ちゃんを産もうと決心する時は
違う意味でかなり心の準備が必要と思われます(痛)



妊娠といえば、今日こんな記事見つけました!

四つ子のママ、再び四つ子妊娠 オーストラリア

すごーい!!!
2歳になる長女、既に生まれてる四つ子、そして妊娠中の四つ子、
トータルで9人ですよ!!!
双子ですら、嬉しくてもいざ授かったらものすごく大変そうなのに、
四つ子を二回産むなんて・・・想像できん

気になった部分は最後のところ、

『夫妻には政府から計数千ドルの出産奨励金が支給されるほか、
 スポンサー企業から紙おむつやミルク、ベビーフードの無料提供がある。』

なるほど、こういうサポートが得られるのか・・・。
日本だったらどうなるんだろう?
ここまで“手厚いサービス”が受けられるなら
四つ子を二回妊娠するのも悪くないか、と思ってしまうのは私だけ?
それがなきゃ無理だわな、9人自費で育てるのは・・・。
よっぽどの富豪でない限り。
でも富豪夫婦に限って子供がいないケースが多いような気もする・・・。

以前、日本で子供一人を育てるのにかかる費用は
一番安く見積もっても2500~3000万円かかるなんて記事を読んだ覚えがあるけど、
それじゃあ子供を産みたくても産めないよね・・・。
出生率1.29・・・仕方あるまいて。
希望と現実の間で、お金がないから・・・という理由で
産みたい子供を産めないのがこの数字の実態なんじゃないかと
私なんかは思うんだけどな。
「産みたいだけ子供を産む権利」なんてないのかもしれないけど、
産みたいだけ産める社会にしない限り
出生率は上がらないし、少子化は止められないように思う。

って、こんなの政治家だってわかってるはずなのに、
何で変えられないんだろう、社会システム。
政府が何もしないから少子化問題が解決しないのに、
よく聞くのは一方的に全て女性のせいにする男性政治家の発言。

森前首相が、子供を産まない女性は社会の役に立たない意の発言を以前したけど、
首相在任中ろくに仕事もしなかったアンタに言われる筋合いはないと思ったね(笑)
支持率7%だったくせに~!



日本から見たらずっと子育て支援が整ってるように見えるドイツも、
実はスカンジナビア諸国や隣のフランスと比べると
かなり未整備な部分が多いらしく、
日本と同じように出生率はどんどん下がる一方らしい。
それでも、子供一人に2500~3000万円かかる日本の異常な状態から見たら
ドイツでの子育てにかかる費用はかなり安い方だと思う。
その分給料からゴッソリ税金分持ってかれますけど・・・(それも痛い)。


突然ですが、知ってました?

2005年05月31日 | ちょっとまじめな話
「何(いず)れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」

という言葉があります。
ちなみに意味は
『どちらもすぐれていて優劣の決めがたい意』。
アヤメとカキツバタ、頭の中でどんな花か正確に想像できますか?

私がよく拝見させていただいてるブログで
たまたまこういう話題が出てですね・・・
話は発展して、アヤメとハナショウブの話になり、
アヤメとショウブをパソコンで漢字変換すると
どちらも「菖蒲」という同じ漢字になる、という事実を発見し、
「じゃぁアヤメとショウブは同じ花なのか?」
という疑問にまで発展しました(笑)


私の頭の中では、アヤメもショウブもよく似た花、
としかこれまで認識してなかったんですが、
人生25年目にして驚愕の事実を突きつけられてしまいました


「アヤメとショウブは同じ花か?」

まずショウブを広辞苑で調べてみたんです。

【ショウブ:菖蒲】
『(前略)古くは「あやめ」と呼んだが、アヤメ科のアヤメ・ハナショウブ
 の類とは葉の形が似るだけで、全くの別種。』


アレ?私が想像してるのでは、アヤメもショウブも同じ形してるのにな・・・。
それに大体、ショウブとハナショウブって
同じ「ショウブ」って名前なのに別物なの?


そこで次にハナショウブについて調べてみました。

【ハナショウブ:花菖蒲】
『アヤメ科の多年草。(中略)俗に
 「しょうぶ」というが、節句に用いる
 ショウブ(サトイモ科)とは別。』


え?!ショウブはサトイモ科!!!???

ビックリです・・・


さて、ここできっと皆さんの頭の中も
アヤメとハナショウブとショウブの区別がつかず
ごちゃごちゃになってることでしょう。
以下をご覧くださいませ、一目瞭然です!↓

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/izure.html

(Fujikoさん、ありがとう♪)


ショウブって、こんなんだったんだ・・・。
これ、花じゃないよね?
何なのこの変な棒は・・・(笑)


この事実がわかった後、
昔うちのオカンが節句によく「菖蒲湯だよ~」と言って
湯船に入れていた葉っぱがショウブではなくて、
アヤメがハナショウブだったんだということがわかりました
だって実家の庭にあの棒状の花がついたショウブなんてなく、
アヤメかハナショウブの花しか咲いてませんでしたから・・・

この話題の詳細はコチラへ。



この話でハナショウブが出てきたのは、
実はうちの出身地三重県の県花がハナショウブだからなんです。
みなさんは自分の出身都道府県の県花が何か、
ご存知でしょうか?
「県の木」っていうのも合わせて存在するそうです。
愛知県の県花がカキツバタらしいんですが、
三重県のハナショウブと見分けつけるの難し過ぎ・・・

県花一覧、興味があったら見てみてください。

京都のシダレザクラなんて、まさに京都!という感じで素敵

マジっすか!?

2005年05月26日 | ちょっとまじめな話
旧日本兵2人、ミンダナオ島で生存か 政府確認へ


ちょっと・・・こんな事って・・・

60年ですよ、第二次世界大戦が終わってから・・・。
彼らが戦争が終わったことを知ってたのかどうか、
知っててそこに残ってたのかはこれから大使館職員が
直接会って確認するとのことだけど、
二人とももう80歳代・・・
もし終戦を知らずにそこにいたとしたら・・・

言葉が見つかりません。


終戦を知ってても知らなくても、
これまでミンダナオ島に放ったらかしにされてた二人の人生。
きっと戦死したものとして日本の家族も
二人の消息をたどろうともしなかったはず。

何か手段はなかったんだろうか・・・
彼らに終戦を知らせ、帰還させる方法・・・
政府はもっと孤島に残された全日本兵を帰還させるべく
努力をするべきではなかったのか。
強制的に送るだけ送っておいて、
後はこんな形で放置するなんて・・・。

60年・・・長すぎる。
日本に帰ってきても、残りの人生はそう長くない。
無責任な国のおかげで、60年を失ってしまった二人に、
政府はどういう言葉をかけるんだろう。


二人が現地で結婚してるのかどうかもこれから調べるとのこと。
結婚して、子供がいて、孫がいて・・・
そうあってほしいな、と願う。
孤独に60年を過ごしたのではなく、
少なくとも現地で新しい家族を築いていたのなら、
失われた60年も無意味では決してないはず。

でも、もし、一人で、孤独に、
ただひたすら60年という歳月を送っていたとしたら、
それは残酷すぎる。


とにかく今はさらなる情報を待ちたい。

食べ物を粗末にしちゃ・・・

2005年05月15日 | ちょっとまじめな話
今、うちに訪ねてくる予定のカイの友達を待ってるところです。

インターネットでニュースを読んでたら、
こんな記事を見つけました。


全米で食料の4~5割がゴミに、損失1千億ドル

人口や農業の規模を考えれば、
日本でゴミになってる食料はアメリカのそれより少ないかもしれないけど、
でも基本的に食料がゴミになる過程は一緒。
ゴミになる量が問題になるのはさることながら、
ゴミになるプロセスが生産・加工・流通・消費の
どの段階にも根付いてしまってる先進国の
社会の仕組みを考えた時、それらをいかに改善していくのか
(おそらく完全になくすのは無理なんだろうなぁ、残念ながら)
を議論していくのは絶対に必要だけど、難しい。
記事では「食料の大切さを教育する必要」について書かれているけど、
教育だけでは足りない。
(もちろん、人の意識改革から取り掛かるのは重要だけど)

ファストフードやコンビ二はとっても便利。
スーパーに行けばできたての惣菜がパックに入って売ってる。
でもそれが完全に消費されない時、
そこで働いてる人がある程度“持ち帰り”できるにしても、
(コンビ二で働く人の特権よね・笑)
処分される量は膨大だし、それが賞味期限が切れる数時間ごとに
繰り返されるわけだから、
一日にどれだけの食べ物がゴミと化すのか・・・。

マクドナルドでバイトしてた友達が、
揚げたてのフライドポテトも10分(いや、5分だったかな・・・)
経つとゴミになるのよ、
と言ってるのを聞いた時はショックだった。



ゴミの問題はまず自分の周りから。
この場合はいかに食料をゴミにしないか、というのを
自分の生活の課題として取り組む必要があるわけなんだけど、
普段から気をつけてるつもりでも、
よくよく慎重に自分の生活を振り返ると、実に多い。

買いすぎて、腐らせて捨てるもの。
そして・・・食べ残し。


「必要な分だけ・・・」を心がけてるつもりなんだけど、
いつも「買いに来たついで、多めに買っておこう」と買いすぎる。
それから冷蔵庫に入れっぱなし、なかなか調理する&食べる機会がなくて、
気づくとかなり傷んでしまってゴミに・・・。


今はカイがいるから、食べ残しはかなり減ったけど(だってカイに全部あげるから・笑)、
一人暮らしの時(大学と大学院)には
かなりの食べ残しを捨ててた。


愚か過ぎる・・・あまりにも自分が・・・。
「食べ物を粗末にしちゃダメ!」といつも両親に言われて
育ってきたのに、決してそれを忘れたわけではないけど、
でも知らず知らず・・・いや、知ってて、
「仕方ないや」の一言で片付けて、
食べ物をムダに、そしてゴミにしてきた。


このまんまじゃ親にはなれない、そう思う。
(いや、妊娠してないですよ、私・笑)
将来子供を持ったとき、口先だけじゃない、
行動を共にできる親になるために、
自分もきっと我が子に「食べ物を粗末にしちゃダメ」って
いうだろうし、その時のために、
今から本当に、本気で、具体的に、こういう努力をしよう、
と考えなくちゃいけないと思います。

いや、「~しなくちゃいけない」じゃなくて、
「~する」と決意を持って行動します。

PMCs

2005年05月11日 | ちょっとまじめな話
イラクでの新たな邦人拘束事件を知りました。
フランスの外国人部隊に21年間所属し、
イラクにはイギリスの警備会社を通して派遣されたとのこと。

多くの日本人には、一体どうやって彼が外国の警備会社なんぞに
雇われてイラクに派遣されたのか、見当がつかないのではないかと思います。

大学院でInternational Peacekeepingを専攻した私も、
大学院の授業で“傭兵と民間軍事会社”について学ばなければ、
きっと今回の事件を理解できなかったと思います。

近年、とりわけアメリカ、イギリス、フランス、イスラエルで
急成長しているPrivate Military Companies (PMCs)の存在。
例えばアメリカのMPRIという軍事会社は、
元兵士や退役軍人といった“プロ”をおよそ30カ国から700人以上雇い入れ、
ロジスティック、トレーニング、部隊警備等の多岐にわたる分野で
サービスを提供しています。
一つの例としてアンゴラ紛争(1975年のポルトガルからの独立時勃発)では、
政府側と国連部隊の両者がPMCsに助けを求め、
結果、度を越えた兵器の投入と武力の行使が戦況を悪化させました。
(この時協力したPMCsの一つはExective Outcomes)


PMCsに雇われるのに、国籍なんて関係ありません。
今回イラクで拘束された斉藤さんも、
日本での自衛隊での訓練の後、フランスに渡り
外国人部隊でさらに経験を積み、
イギリスの警備会社(普通の警備会社とは明らかに違いますが)に雇用されて、
そこからイラクから派遣されたのでしょう、“戦場のプロ”として。
この警備会社がPMCsの一種なのかどうかはわかりませんが・・・。


こんな言い方をするのはおかしいけど、
この事件がきっかけとなって、
“平和な国、日本”の国民の中にも
自ら自分の身を戦地に置く人達がいること、
そしてそうした人達をいつでも雇い入れる準備ができてる
PMCsが世界にはたくさんあるという現実が、
ようやく日本人の目の前に現れたように思えます。

日本からイラクに送ってるのは
お金と自衛隊と、現地で働くNGOの職員だけ・・・
じゃないこと。
実は、日本人の一般人が“兵士”としてそこにいること。


人質事件が起きないと“イラク”は見向きもされないのが
悲しい日本の世間の現実です・・・。


銃撃戦で銃弾を受けたかもしれない斎藤さん。
とにかく無事に解放されることをただただ祈るばかりです・・・。

**************

と、かなりヘビーな話になってしまいました。
実はPMCsについて、大学院で論文を書いたんです。
だからこの事件について聞いた時、
自分がリサーチしてた事が頭によみがえってきて・・・。
もしストックホルムの研究所でインターンができるようになれば、
この問題も少なからず私のリサーチに含まれてくると思います。

60周年

2005年05月08日 | ちょっとまじめな話
今日は朝から雨、雨、雨・・・雹(!)

カイとずーっと家におりました(不健康)


今日はナチス・ドイツが無条件降伏してから60年。
ヨーロッパ各地で記念行事が行われ、
ドイツのチャンネルだけでなく、
CNN、BBC、Sky Newsといった英語メディアも全て
記念行事のライブ放送一色。


4月に起きた中国での反日デモで、
中国や韓国の指導者達に、過去の過ちに対する
日本政府の姿勢を厳しく非難され、
ドイツのそれと必ず比較されました。
町村外相が、ドイツの行った事と
日本の行った事を全く同一視するのはおかしい
と反論したりしていましたが、
たとえ犯した罪の“中身”や“性質”が違うにしても、
それでもなおドイツから学ぶべき事は本当に多いと私は思います。


ここで持論を展開すると、“超ハト派”が前面に出てしまって、
その上書く手が(キーボードを打つ手が)
止まらなくなりそうなのでやめときます・・・。



お友達

2005年04月22日 | ちょっとまじめな話
カイの大学時代のブルガリア人の友達が
訪ねに来てくれました。
現在就職活動中で、今日たまたまデュッセルドルフで
面接があったので、だったらその後うちに来たら、
ということで夕飯にご招待


彼、すごいんです。
母国語の他に、ドイツ語、ロシア語、英語が堪能
めずらしくないけどね、ヨーロッパで何ヶ国語も操れる人に出会うのって。

ほんっと、なさけなくなるよね、うちら日本人・・・
なんでこうも言語オンチな脳ミソを持ってしまったんでしょう。
やはり島国だからか・・・
日本語オンリー、一ヶ国語にしか対応できない脳みそと遺伝子に
何千年もの時間をかけてなってしまったのでしょうか・・・(笑)


ブルガリア政府から奨学金をもらってドイツに来てる彼、
いくら奨学金があるとはいえ、
生活費の大半はアルバイトで稼がねばなりません。
カイがいつも言うけど、
「彼だけじゃなくて、ドイツに留学してるブルガリア人のほとんどは
 本当に努力家で、働きながら勉強する、っていうのを完璧に両立してるんだ」
きっとブルガリア人だけでなく、
東ヨーロッパから留学しに来てる学生のほとんどが同じなんだと思う。
中にはとても裕福な家庭の子も確かにいる。
でもそんな子達は一握り。
バーミンガムで一緒に勉強してたポーランド人の友達も、
毎日のようにパブでアルバイトしてたし、
それでも授業の予習はいつも欠かさずやってきて・・・。

一方の私は、アルバイトする必要もなく、
時間はたっぷりあるはずなのに、
遊びすぎて予習もせず・・・最悪っ!!!
ダメダメ人間でした


“恵まれている”

その事をもっと自覚して、
責任をもたなきゃいけない、と改めて思いました・・・。