MOON LIT MONDAY

AKIRA(アキラ)(HARISS,SIDE-ONE,NENCHE) の BLOG de DJ

FOUNTAINS OF WAYNE

2009-05-31 23:03:52 | Weblog
俺、前のバンドSIDE ONEが解散した時、本当に音楽やめようと思ってた時期があったんだけど

またやりたいと思うきっかけの一つになったのが

このFOUNTAINS OF WAYNEとの出会いです。


当時音楽に興味がなくなっていた自分に

まだまだ自分の知らないGOOD MUSICがあるんだーと目の前が開けたのを覚えてる。


それは俺にとっての唯一の生きがいで、


まだこっちにも歩いていっていいんだよってゆるされたような感覚で、


そしてそこからまたゆっくりと背中をおされたように俺の音楽の旅がはじまりだして、


それは現在も続いてる。



俺この時代のパワポバンドやギタポバンドが

かなりストライクで

WEEZERとASHとWANNADIESなんかはファウンテインとあわせて四天王の呼びたい。



FOUNTAINS OF WAYNEはニューヨークで現在も活躍中の90'S POWER POP BAND。

二人のソングライターがいてプロデュースもその二人がこなす。

ベースのアダムとヴォーカルのクリスの二人。

アダムはivyという女性ヴォーカルギタポバンドを他にもやりながら

いろんなバンドのプロデュースもやってて最近ではテイラー ハンソン(HANSON)、ジェームズ イハ(ex

SMASHING PUMPKINS)、バン E カルロス(CHEAP TRICK)という夢のような4人でTINTED WINDOWSというバンド

もやっている超売れっ子です。

 それに比べクリスは割と地味です。でも俺的にこのクリスの方が好きなのです。

クリスの声も好きだがクリスの書く曲が好き。

例えば1stアルバムの1曲目Radiation Vibeと2曲目Sink To The Bottomという

90'Sパワーポップの歴史に残る黄金律があるんですが

この1曲目をクリスが書いていて2曲目をアダムが書いている。

どちらも甲乙つけがたい素晴らしい曲なのよ!これがっ!

どちらかというとSink To The Bottomのほうが人気あるかもしれないんだけど

俺はこのRadiation Vibeの方が好きなんです。

なぜかというとロックンロールを感じるからなんです。

ココで言うロックンロールっていうのは1954年のビルヘイリーのロックアラウンドクロックから

1964年ビーチボーイズのオールサマーロングまで。


BEATLES出現前夜までのおおよそ10年間の音楽。



BEATLES以降、音楽にまつわる全てがかわったのです。


良くも悪くも。


クリスはそのBEATLES以前の匂いをしっかり感じるんです。

BEATLESが憧れたBUDDY HOLLYからPHIL SPECTOR, CAROLE KINGに連なる本物の匂い

この本物をBEATLES は表現できなかった。


でもかわりのもの凄いものを表現した。


それが現代の潮流になってる。



ちょっと話がずれちゃった。この話はまたいずれ。ゆっくり。



写真のジャケットは2ndアルバムの『UTOPIA PARKWAY』

名曲揃いのアルバムです。

こういうアルバムを俺も作ってみたい。



素晴らしい青春の青空と夕暮れと


弱ッちい泣き虫ナード君の応援歌がここには封じ込められています。













HILLBILLY BOPS

2009-05-27 21:04:13 | Weblog
俺の影響うけた日本のヴォーカリストは坂本九と宮城宗典。

今日は宮城君の話をしたい。

俺が初めてその存在を知ったのは中学三年の頃、当時の

アイドル雑誌にHILLBILLY BOPSが載っていた。

当時日本のロカビリーバンドはまめにチェックしてたので最初はその中の一つのバンドという認識だった。

当時はBLACK CATS、THE BOTSやBE-BOPSのGENE VINCENT LIKE な感じも好きだった。

HILLBILLY BOPSはその当時の俺には今一つに感じられた。なんとなく前出のバンド達はリーゼントスタイルで

硬派なイメージだったのに比べHILLBILLY BOPSはなんか軟派な感じで宮城君もリーゼントにしてなかったので

高校生の俺にはピンと来なかった。そうして1stアルバム以降しばらく聞いていなかった。

その3年後19の春、宮城君が死んだという新聞記事を読んで衝撃をうけた。

その後当時高校生だったユウジから借りたこのベスト盤を聞いて愕然とした。さらなる衝撃が走った。

宮城君のBLUE MOON OF KENTUCKYに心底ビビったんだ。

そしてこんなにいい曲をやっていたHILLBILLY BOPSに驚き感動した。

そこからどっぷりはまってありとあらゆる雑誌、音源、映像を探しまくって研究して

宮城宗典のヴォーカルスタイルをコピーした。

SIDE-ONE以前に PUZZLEというバンドをやっていた俺はそこで『二人の為の甘いバラード』をカバーした。

その後の横山君のはいったHILLBILLYも好きだった。むしろHARISSはそこに一番近いかもしれない。


そう。好きだから

必死に追いかけた。


宮城君がモリッシー好きで後ろポケットに花をさしてるのを真似したり、

耳鳴りのする丘が鳥取砂丘で作られた歌詞だと聞いて鳥取までいって砂丘にのぼりその音を聞きに

いったり

東京に出てからはお墓参りにいってお父さんと会いしたり、そこで当時THE ZIPGUNSというバンドをやっていた

現cruyff in the bedroom のハタユウスケに出会ったり

永瀬正敏さんがFOR THE BOYSというタイトルで『夢見る頃を過ぎても』をカバーしたり

SIDE-ONEでデビューしてからは、山崎まさよしさんと対バンした時、元KITTYのスタッフの方に出会いHILLBILLY

話しに花が咲いたり、

jim樋口さんと競演したり、小西竜太郎さんと対バンできたり、悦也さんと酔っぱらったり、

HARISSになってからは今スタッフでお手伝いしてくれてるムツミちゃんがHILLBILLY BOPSのみなさんから

妹のように慕われていてやっとやっとツヨピンに出会う事ができたり、


それでも


もしここに宮城君がいたらどうなってたんだろうとたまに想像してしまいます。

きっと怒られるんだろうなと思います。しっかりしろやって。

俺は自分で自負してます。俺は誰がなんと言おうとHILLBILLY BOPSの直系の後輩です。

なのでこれからもあなたの教えてくれた我が道を行きますよ。

先輩。








pillows

2009-05-26 22:45:00 | Weblog

数少ない自分が聞く邦楽の中で好きなバンド。pillows。

pillowsは大好きなんです。

実はギターのピーさんが先輩です。俺が18の頃、北海道は札幌で4丁目プラザというビルがあって

そこに札幌名物のzippo屋&雑貨屋さんがありました。

そのお店を経営してるのが石黒商会。社長はモーニング娘の石黒彩のお父さんです。

石黒商会は本当にいろんな人が働いていました。札幌で知らない人はいないほどの名物おじさん、亀仙人のような

いでたちのエツさんやいつもGOLD GYMのTシャツをきた変なおじさんタカさんや元BLACK CATSのベーシストハジメさん

あげたらきりがないほど個性まるだし人間の巣窟でした。そこにpillows加入前ペルシャというバンドのギターをやっていた

ピーさん、そしてペルシャのヴォーカルのトクミツさんがいました。

ちなみに怒髪天の増子さんは当時石黒商会に面接にいって落ちたそうです。

俺は当時このトクミツ店長に相当お世話になっていました。ペルシャのラストライブも見に行きました。

ピーさんはその頃から大人気でピーさんの周りにはいつも風がふいていました。

間もなくピーさんが札幌のそうそうたるメンバーでpillowsっていうバンド組んで東京に行くからというので

みんなで送別会をしました。本当に俺はその頃リーゼントのただのぺいぺいでした。

その頃からいつかピーさんの所まで自分も行きたいというのが目標になりました。

それは今も変わってないです。

東京にでて俺もデビューしてやっとピーさんにCDが送れるようになり『頑張ってるね大ちゃん』
(俺大ちゃんってその当時呼ばれてた)

って言われるのがすごい励みになった。

丁度その頃97年ぐらいだったと思う。pillowsの『please, mr,lostman』というアルバムが出た頃、

side-oneでキャンペーンに行った先のレコード店で視聴したそのCDがすげーかっこよかった。

その後の「LITTLE BUSTERS」,「RUNNERS HIGH」は本当にマイフェオバリットアルバムだ。

さわお君の不変な歌詞とメロディ―にオルタナティブ風味が合体してすさまじいpillowsワールド

がひろがった。

俺も声を大にして叫んだ『明日をもってる』って。

ピーさんにはhariss一枚目のアルバムPOP SAVE US発売の時にコメントを書いていただいた。

ライブも見に来てくれた。その時『大ちゃんやっぱりいい歌というのが一番大事なんだよ』っていってた。

丁度アメリカツアー帰りで『言葉が通じなくともいい歌は通じる』っていっていた。

俺も常日頃いい歌を作りたいって思って生きている。

それが生きる証だと思ってます。

pillowsは今本当に凄い事になってます。20年でキャリア最高って本当に夢のような出来事です。

更に遠い雲の上にいますがピーさん俺もがんばります。












isacさん

2009-05-25 21:57:34 | Weblog
今日 坂西伊作さんが亡くなっていたいう連絡がはいった。

大変お世話になった人であり、一番がんばっている所を見せたい人だった。

僕がSIDE-ONEの時に所属していたレコード会社『アンティノスレコード』のA&R。最高責任者。

そしてプロモーションビデオの監督としても有名だったisacさん。

井上陽水さんのプロモ撮影を見学させてもらった事があるんだが

isacさんの真剣な眼はいつも怖かった。

そのisacさんにSIDE-ONEでプロモをとってもらった事がある。

『たぶん僕らは』という4枚目のシングルだった。

最後まで僕の作る曲や詩にダメだしをされた中で

唯一いい曲だとほめられた曲だった。

ダメだしされる度に、なにくそと思い、いい曲を作るためにいろんな事にトライした。

それが今の俺のベースになっている。


isacさんに最後にあったのはSIDE-ONEが解散してから人に曲を書いていた時期に

ひょっこりその製作現場に顔をだしに来て

『アキラ、がんばれよ。音楽は生きてる証だろ』って言われたのが最後だった。

それも、もう8年前ぐらいの話だ。

HARISSでは結局最後まで会えなかった。もう少しで会えるような気がしていた矢先の事だったので

ビックリしたというか肩の力が抜けた。



そしてまだまだ生きている証を俺はisacさんに見せられてないと思うので

見せられるようになるまで頑張ります。

本当に感謝しています。ありがとうございました。

人生を一分の隙なく走り抜けた人に

こういったら本当に怒られそうですが

安らかにお眠りください。















STRAY CATS

2009-05-24 20:31:56 | Weblog
今更のようだけど俺のルーツのひとつ。

STRAY CATS。

俺の中でSTRAY CATSはNEW WAVEなんだよね。

もうこれぞロンドンって思ってた。

初めて聞いたのは中1の頃兄貴の部屋でこのアルバムが鳴っていた。

学年が一つ上の兄貴がいて(ユウジが末っ子、俺次男坊)

その兄貴からロックンロールの洗礼を受けたんだ。

80年代初頭の北海道の熊石町という片田舎の中学にロックンローラーのチームがあって

その名もFIRST DANCING ROLLERSっていうんだけど、そこに兄貴が入ってた。

毎日が校内暴力、そして休み時間、授業時間にかかわらずロックンロールが校内中に流れていた

という類いまれな環境の中で(笑)俺のロックンロールはすくすくと育まれていきました。(笑)

STRAY CATS はその後、札幌にでてSIDE ONEというバンドをユウジと組んだ時、初期は

完全なSTRAY CATSのモノマネからはじまった。とことん音楽からファッションから全て

コピーしまくったので、その頃は自分がブライアンセッツアーだと思ってたくらい大好きだった。

中学の時に初めて見たRUNAWAY BOYSのプロモの

ブロンドリーゼントのブライアンセッツァーをまねして

アキラも20歳のとき完璧なブロンドリーゼントにしてました。

今ハリスでウッドベースでやってるのはこのバンドとHILLBILLY BOPSの影響です。

自分のなかではその頃のSTRAY CATSのイメージでバンドをやってるつもり。

アキラ少年が受けた初期初動。懐古主義のそれではなくて常に時代の先端をいくロックンロール。

俺はSTRAY CATSのそこを見てたんだ。

こころはいつもNEW WAVE。っていってもジャンルのNEW WAVEというよりもそのまんま直訳した

『新しい波』

それが俺のロックンロールの一つのスタイルだと思ってる。

そしてSTRAY CATS はこのアルバムが最高に攻めてるぜ。まだ聞いた事のない人はまずこれから聞いてみて!



札幌

2009-05-23 23:47:36 | Weblog
いやー楽しかったぜ。

約一年ぶりの札幌。

POP SAVE US イン 札幌。spiritual loungeと共同企画という形だったが相変わらず

お世話になりっぱなしで、シンボくん、カワイさん本当にありがとうございました。

出演バンドも以外と共通の知り合いが多かった東京のマカロニボニー、前回も一緒にやらせてもらった男前のベース、ピー君と

ボーカルがかわいいムシニカマル。サウンドは超クールだよ!

そしてJAKE STONE GARAGE は俺たちも大好きなBUGY CRAXONE やらthe Blondie plastic wagonやら、さらにこの間

大阪で対バンして俺好みのパワポやってたthe HANGOVERSなんかと仲いいらしく話してたらどんどん今日知り合った

という事を忘れるぐらい打ち解けてしまいました。みんなありがとうございます!またぜひ対バンしたいね!

そしていろいろお世話になったエースカフェ 吉田君 ありがとうございます。

札幌は本当に何度行ってもあったかいとこだぜ。

やっぱり俺のルーツだという事を再確認。

そして今年はその札幌によく行く年になりそうだ。

9月は810,10月は俺の前にやってたバンドSIDE-ONEを一日限りでやります。11月はカウンターアクション。

また詳しい情報はわかり次第UPします!

写真はlive前乗りで来てたRADIO CAROLINE シンヤくんとTHE BAWDIESのマーシー君live 見に来て

くれました。全くここはどこなのよ?っていうくらいなまら楽しい夜でした!

 

風邪

2009-05-18 21:53:30 | Weblog
風邪ひいて寝こんじまったよ。

丸二日ほとんど寝てた。

インフルエンザかと思うくらい体のふしぶしが痛かった。

でも高熱ではなかったからインフルエンザじゃないよ。今日直ってるし。

こんなに寝たの久しぶりだった。

ここんとこずっと忙しかったのでやっと休みが来たような感覚だった。

そして何回も夢見た。

あんまり覚えてないけど

田舎の海の夢だった。

温暖化で海が近くなっちゃった夢。



そしたら次の日、うちの田舎から荷物が届いて

そのなかにとーちゃんの作った切り絵が入ってた。

最近よくやってるらしい。

ちょっとさみしい北海道の海。

夷王山という山の頂上に神社があり、そこの鳥居からみた海。

この切り絵は田舎の雰囲気がよくでてるんだ。

とーちゃん、ありがとう。



NONA REEVES

2009-05-10 21:38:50 | Weblog
昨日、高橋君からのお誘いでNONA REEVESのライブを見に行きました。

渋谷CLUB QUATTRO 超満員。

NONA REEVES のLIVEを見るのは初めてだ。

昔、僕がSIDE-ONEというバンドをやってた頃、たぶんデビューもほぼ同じ時期だったと思う。

その当時渋谷系というジャンルとまではいかないまでもシャレたムーブメントがありその系統の

新人バンドというフレコミでアルバムを聞いた覚えがあるんだけど

実際オシャレでそしてクオリティーが高く、あー、この人も僕の敬愛するBEACH BOYSの

BRIAN WILSONを好きなんだーと思う曲があったのを強烈にインプットしていました。

俺、この時期、凄く自分のイメージどうりに曲がつくれなくて、いろんな曲をコピーしたりメロディーラインを

譜面に落としたりしてました。レコード会社からの圧力と自分の書きたい曲の間に挟まれ必死だった頃でした。

実はNONA REEVESの曲もコピーしてたんだよね。あーすげー転調だー、とか言いいながらやってました。

そんな事もありその後何年か越しでLIVEが見れて本当に嬉しかったっす。

LIVEはもうNONA REEVESワールドでした。その頃からずぅっとやってる訳ですから

重ねてきた説得力がちがったよ。

セカイを作りセカイを維持する難しさをやっと知った今日この頃なので

かなりその重みを肌で感じました。

いやー人生ってやつはおもしろいね。いろいろと考えさせられる一日でした!

いいLIVE見させて頂きありがとうございます!NONA REEVESのみなさん!

その後高橋君とムツミちゃんとハンバーガー食って帰路につきました。

そしてやっぱり渋谷CLUB QUATTROは素敵なハコでした!











iPhone culture magazine launch party「camp 」 

2009-05-07 23:20:28 | Weblog
おー!

EVERYBODY!

疲れちまったぜ!

連日連夜ごくろーさん!

いつもと違う雰囲気。 ハリス初O-nest

んー悪くない!

そして『iPhone culture magazine 「camp」』 とも何か面白い事ができるといいな!

写真はグレッチを持った新井君とツーショット。

ンーいい男は何をもっても似合うなー!


pop save us vol,13

2009-05-05 22:07:59 | Weblog
いやー昨日は本当にたのしかったよ!!!!!!!!!

APPLEDORE

かわいいかっこいいバンドでした。女の子の抱えるグレッチってキュート
でかっこいいね!それだけでもうロック!

近藤サン率いる近藤智洋&ザ バンドファミリア

なんか前に対バンした時より深みがまして近藤サンワールドが広がっていた。
見るものを安心させるワールドがここちいい。演る側はいつも勉強になります!

DJ
長嶋トモヒコ
選曲ナイスすぎて終止、俺と高橋君テンションあがりまくり。
hariss終わりにリバテイーンズのDON'T LOOK BACK INTO THE SUN
をかけてくれたのめちゃくちゃ嬉しかった!
長嶋君ね。本業 ダーリンハニーというコントグループやってて
タモリ倶楽部とかCS放送のmond21つていうチャンネルでレギュラー
やってるのでチェックして見てねー!

いやー本当楽しかったっす!来てくれたみんなも本当サンキュー!サンキュー!サンキュー!
俺、もっと楽しい事したいなーと思って最近いろいろ考えるんだよね。

実はもっとこういう事、いずれはしたいなーと思ってた事とか
いずれはこんな活動もしてみたいなー、って思ってた事とか
清志郎さんが亡くなって、もういずれっていってちゃだめじゃん!って
痛烈に思ったんだ。

 そして中田ヒデも言ってた。
自分が感じて自分が思った事を自分で行動していく。

もういずれって言うのはやめた。
もっと楽しい事しよう!こころから好きな事をしよう!
もちろんそれをやるには責任がつきまとうけど
そんなリスクは買ってでよおう!

なのでこれからのHARISSはもっともっと楽しい事してサプライズさせるので応援よろしく!!!!!