今日 坂西伊作さんが亡くなっていたいう連絡がはいった。
大変お世話になった人であり、一番がんばっている所を見せたい人だった。
僕がSIDE-ONEの時に所属していたレコード会社『アンティノスレコード』のA&R。最高責任者。
そしてプロモーションビデオの監督としても有名だったisacさん。
井上陽水さんのプロモ撮影を見学させてもらった事があるんだが
isacさんの真剣な眼はいつも怖かった。
そのisacさんにSIDE-ONEでプロモをとってもらった事がある。
『たぶん僕らは』という4枚目のシングルだった。
最後まで僕の作る曲や詩にダメだしをされた中で
唯一いい曲だとほめられた曲だった。
ダメだしされる度に、なにくそと思い、いい曲を作るためにいろんな事にトライした。
それが今の俺のベースになっている。
isacさんに最後にあったのはSIDE-ONEが解散してから人に曲を書いていた時期に
ひょっこりその製作現場に顔をだしに来て
『アキラ、がんばれよ。音楽は生きてる証だろ』って言われたのが最後だった。
それも、もう8年前ぐらいの話だ。
HARISSでは結局最後まで会えなかった。もう少しで会えるような気がしていた矢先の事だったので
ビックリしたというか肩の力が抜けた。
そしてまだまだ生きている証を俺はisacさんに見せられてないと思うので
見せられるようになるまで頑張ります。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
人生を一分の隙なく走り抜けた人に
こういったら本当に怒られそうですが
安らかにお眠りください。
大変お世話になった人であり、一番がんばっている所を見せたい人だった。
僕がSIDE-ONEの時に所属していたレコード会社『アンティノスレコード』のA&R。最高責任者。
そしてプロモーションビデオの監督としても有名だったisacさん。
井上陽水さんのプロモ撮影を見学させてもらった事があるんだが
isacさんの真剣な眼はいつも怖かった。
そのisacさんにSIDE-ONEでプロモをとってもらった事がある。
『たぶん僕らは』という4枚目のシングルだった。
最後まで僕の作る曲や詩にダメだしをされた中で
唯一いい曲だとほめられた曲だった。
ダメだしされる度に、なにくそと思い、いい曲を作るためにいろんな事にトライした。
それが今の俺のベースになっている。
isacさんに最後にあったのはSIDE-ONEが解散してから人に曲を書いていた時期に
ひょっこりその製作現場に顔をだしに来て
『アキラ、がんばれよ。音楽は生きてる証だろ』って言われたのが最後だった。
それも、もう8年前ぐらいの話だ。
HARISSでは結局最後まで会えなかった。もう少しで会えるような気がしていた矢先の事だったので
ビックリしたというか肩の力が抜けた。
そしてまだまだ生きている証を俺はisacさんに見せられてないと思うので
見せられるようになるまで頑張ります。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
人生を一分の隙なく走り抜けた人に
こういったら本当に怒られそうですが
安らかにお眠りください。