さて、
俺にとって重要な出会い。
北海道、札幌。
今の自分のルーツのひとつになってると思うロカビリー。
そして札幌の仲間達。
その中心人物。斉藤くん。
札幌ロカビリーシーンの一時代を作ったイベントTEDDY BOY NITEのオーガナイザーであり
バンド カルトヒーローズのヴォーカリスト、そしてDJ SAITO、という顔を持つ先輩だ。
初めて斉藤君を見かけたのは札幌地下街のパルコ入り口あたりでたむろしていたひと際目立つ派手な人がいて
それが斉藤君だった。俺18か19才くらいで,当時札幌ではロッケンという髪を七、三リーゼントにして
チームのスイングトップを着て鍵をジャラジャラつけるスタイルのロックンローラー?みたいなのが多くて
(俺も一時期そんな格好してたが)そんな中で斉藤君のスタイルは完全にネオロカスタイルで俺の中のイメージでは
一人ロンドンしていた印象が凄く残ってる。
そんな斉藤君のようなスタイルのロカビリアンはいなかったので、それをわからない人達は王子様みたいとかパンクだとかいろいろ言ってたが(俺も後々言われた)
斉藤君はそんなのは関係ねえや、ほっとけ、だせー奴には言わせとけ、っていうMY WAYなスタイルだった。
それがまたかっこよかった。
ワタル、ユウジとSIDE-ONE結成してからはよく家に遊びに行ったりした。
斉藤君は当時の俺たちにとってロカビリーという学科の先生だった。
だからSIDE-ONEの一番最初のライブで斉藤君に『おめーらいいな』って褒められた時は、
ああ、俺たちやっていけるなっていう思いの基準になった。
何が凄いかって相当のロカビリーマニアでロカビリーロックンロールの事で知らない事はないってくらいのマニアで
レコードコレクトも凄いんだが、
そこにはちゃんとした哲学と論理があることだ。
時にはブライアンセッツァ―もダメだしくらってたほどだ。
そこが凄く素敵だなと思った。
普通ファンになると盲目になる。
でもダサイとこはダサイという曲がらない哲学。
ストレイキャッツが基準ではなく斉藤君が、もっと言うと自分の信念が基準だった。
きっと俺たちはその信念を学んだんだと思う。俺のなかでも音楽に対する哲学みたいなものがそこで芽生えて、
現在も音楽を作って演って行く上での指針になっている。
なんかそこに札幌ロカビリーの何かが俺はあるような気がしてる。
SIDE-ONEの一番最初のライブのはじまりでで俺が絶叫してぶっ倒れる。そして失神している俺にワタルがキスした瞬間イン
トロが始まる。そんなくだらない青二才の演出が懐かしくもあり、くだらなくて、恥ずかしいけど、
人を一生懸命楽しませようとした思いはあったんだなと思う。
そして東京にSIDE-ONEが出て行ったあとに始まった札幌TEDDY BOY NITE。いろんな歴史を刻んでそして15周年の今年
幕を閉じるのです。でも札幌ロカビリーの魂は今もみんなの心の中に生き続けて、
そして引き継がれていくのです。