アメリカ駐在中はニューヨーク、マンハッタンの国連本部の近くに住んでいたが、車を持つことは費用もかかるし、さほど必要性も感じないため、車を持たない駐在員が多かった(それに事故の危険もあり)。たまたま、自分は事務所がマンハッタンと対岸のニュージャージーの2か所にあったので、ニュージャージーの事務所に行くには車があると便利、と言う事情もあった。それに、やはり自分の意志で行きたいところへ気兼ねなくいってみたい、ということと、アメリカの象徴ともいうべき自動車文化に直接触れてみたい、という気持ちから、日本やイギリスと同様、車を買うことにした。
いざ車を買う段になって同僚ののアメリカ人管理職の所有している車を見渡してみると、フォードやGMと言うのは少なく、日本車またはドイツ車、あるいはスウェーデン製ボルボが大半を占めていて、彼らはアメリカのメーカーを勧めない。日本車は日本での価格から見ると(為替相場にもよるが)割高に感じられたし、結局ドイツ車にしようということで、いくつか販売店を回ってみた結果、まずは安全第一を考えてベンツと言う選択となった。Cクラスだと取り回しも良いし、それほど目立つこともない。小切手を持っていったらその場で運転して帰っていいという感じだった。
マンハッタンでの車の維持費は安くはないが、たまたま会社の規定で現地法人の責任者は住宅や駐車場の費用が会社負担だったことも幸いした。しかし、事故や車を運転中の不測の事態に対しては自己責任であり、リスクが伴う。こういうリスクと背中合わせの状況を受け入れていたというのは無謀と言うのかもしれない。しかし、駐在中に発生した同時多発テロの直後には、何かと自分の車が役に立ったし、週末に出勤しなければならない時に迅速に動いて日本とのやり取り円滑に行うをことが出来たのは自家用車を所有していたことによるものだ。ただ、アメリカ社会は銃社会で車のトラブルで銃を持ち出し、ギャング映画さながらに発砲されるという事件も報道されていたので、基本はいつでも譲りの精神で運転していた。友人からは、よくも事故や事件もなく過ごせたものだ、と呆れられたれたこともある。
20年少し前、当時のNY州の運転免許試験(アメリカは州ごとに免許が必要であり全国一律ではない)は自分の車で試験を受けるというものだった。友人か誰か、免許証を持っている人に運転してもらって試験場に行き、試験官を乗せて路上でのテストを受ける。左折右折、急停止、並列駐車、転回などを規則に従って安全に出来るかをテストするものだった。少し前に買った自分のベンツで行ってみると試験官が待っていた。黒人の丸々と太った中年女性、試験場の建物から自分の車に行き、乗り込む時から試験が始まる。きちんと周囲の安全を確認してから乗り込むかどうかを見ているのだ。そして早口で試験についての注意点を話す。これは最低限の英語力があるかを試すもの。そうして乗り込んできた彼女が最初に言ったことは、Poshな車に乗っているね、ということだった。こういう言い方をするのは、こちらに対してあまり好意を持っていないように思えて少し不安になった。しかし、動き出してみるとそういったことは杞憂で、幸いミスもしなかったので、すんなりと合格としてくれた。
ところで、ニューヨーク郊外には1時間も走ると春の緑の綺麗なところや、秋の紅葉の見事な場所がいくつもある、特にハドソン川を少し上流に上って行ったところの、川越しに望む紅葉はスケールも壮大で素晴らしい。同時多発テロのあった時期でもあり、私用でNYを離れるのには躊躇するものがあった。そのため、かなりの強行軍になったが、首都ワシントンやボストンなどにも、早朝出発して夜遅く戻る、日帰りドライブをした。それ以外にも、例えばワシントン・アービングの生家に行ったり、近郊の美術館へもしばしば足を伸ばした。これらは、やはり自分の車があったからだと思っている。
マンハッタン以外に対岸のニュージャージーにも事務所があったので、仕事の溜まった週末など、事務所の近くの大きな駐車場に車を止めて置いて仕事をすることもあった。自分一人で車に乗っているのであれば何か起きても自己責任だが、他人を乗せているとなると責任は重大だ。特に将来ある女性を乗せた時などは、やはり緊張してしまう。
ニュージャージー州の事務所で休日にやり残した仕事を終えて帰ろうとすると週末出勤していた日本人の女性職員も帰り支度をしている。日本語で話せることもあって、少し雑談をした後、どちらの方向に帰るのか聞くと、同じマンハッタンで、自分の家から10丁ほどのところに住んでいると。すでに暗くなってきており、セクハラ問題などが一瞬頭をかすめたが、一方で、週末の人気の少ない街をニュージャージーから一人で帰して事故でもあったらこれまた不味い。ちょうど車で来ているので帰り道だし、家の近くまで一緒にどうか、と聞くと、それでは遠慮なく、ということになった。
しかし、部下でもあり、さすがにやはり車の中で二人きりになるいささか気詰まりではあった。当たり障りのないことを話しながら、ニュージャージーからマンハッタンまでのトンネル(橋はあるが上流にあるので遠回りになるため)を。長いトンネルを走っていると照明のライトがボンネットに映って流れていく。そうして、今度はイーストリバー側の通称FDRを通て彼女の家についた。無事送り届けてほっとしたことを覚えている。こういうことに神経を使わなければならないのがアメリカ社会だった。
ニューヨーク郊外、ハドソン川の秋
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