人をして知らざるしむるべからず。
君子の才華は、玉つつみ珠かくし、
人をして知り安からしむるべからず。
心のあり様は、裏表なく真っ直ぐに、周りから見てハッキリ分かるようにしておけば、人と良い関係を築けるよ。
能力のあり様は、わざわざ見せびらかしたり誇ったりせず、宝石を大切にしまう様にしておけば、敵を作らずにすむよ。
漢文では、”君子とは・・・”という話しがよく出てきます。
”聖人君子”の”君子”なんですが、だいたい「立派な人間とは、こういう人であり、そうあるよう努力しなさい。」といった話しの流れになります。
上の文も、その一つですね。
さて、人は社会的な生き物です。
社会と全く接点を持たない人間は、文明社会には存在しません。
例えば、食事ひとつとっても、
食材はどうやって確保するの?
火はどうやっておこすの?
調理はどうするの?
食器はどうやって準備するの?
自分一人で生きようとすれば、これら全てを解決しなければなりません。
よって,社会で生きている限り、他者との関係というものが必ず生まれます。
君子とは、そうした関係を上手く行かせるための作法を知っている人だと解釈すれば分かりやすくなります。
そして、その作法のエッセンスを抜き出してみたのが上の意訳です。
他人の陰口叩いているのを聞くと、自分も陰で言われているんだろうなと思います。
そして、その人はそういう人だからと、こちらも心を開かない訳です。
逆に、悪意がなく、あっけらかんとしている人との関係は、周りの人にとって気楽なんですよね。
誰しも若い頃は、能力こそが正義みたいなところが見受けられます。
仕事上、しかたない事なんですが、それが行き過ぎると、周りがバカに見えてしまう。
そうした心のあり方が、態度や言動から周りに伝わって、知らない間に味方が居なくなってることがあります。
能力を鼻に掛けるって話しなんですが、しょせん社会の中の一人でしかなく、個人の能力には限界があるんですよね。
大きな成果を生み出すのは、周囲と良い関係を作っている人であり、能力より成果の方が社会にとっては重要だったりします。
以上、「生きていく上で、何が大切か」というお話でした。
(。・ω・。)
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