価値観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
価値観(かちかん)とは、何が大事で何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系のこと。
目次 [非表示]
1 概論
2 関連書
3 出典、注
4 関連項目
[編集] 概論
価値観の多様性と分布、変化
人々の抱いている価値観は多様である。ただし、多様ではあっても、統計的にまったくランダムに分布しているというわけではなくて、国や地域や文化圏ごとに、何らかの傾向がある[1]。 同一地域・国でも、時代とともに価値観は変遷してゆく例は多い[2][3]。 変化が速い国や地域では、親子で価値観が大きく異なるということもある[4]。
価値観の形成とその現れ
価値観の形成は様々に行われる。親から教えられることもある。書物を読むことで吸収することもある。組織や共同体に属することによって継承されることもある。また、個人的な体験をきっかけにしたり、思索の積み重ねによって、独自に新たな価値観が構築されることもある。
ある人が抱く価値観は、その人の具体的な行動となり、「ライフスタイル」や「生き様」などになって現れることは多い。
価値観の共有と共同体・組織
同じ価値観を抱く人同士では、そうでない人同士に比べて、互いの行動が理解しやすかったり共同作業がしやすく、接近する傾向がある、と言えよう[5]。そのようにして同じ価値観を共有する人々によって共同体が形成されることがある[6]
特に宗教的な共同体においては、顕著に価値観は共有されている。例えば、キリスト教徒の共同体、イスラム教徒の共同体、仏教徒の共同体などでは千年以上にわたり世代や時間を超えて価値観や生き様を継承し共有しつづけている、とも言える。
企業組織において、価値観は、企業風土や従業員の具体的な行動、顧客が受け取るサービスや商品のありかたにも影響し、結果として企業の存続/消滅 にも影響することがある。その企業に適していて社会的にも適切な価値観を構築し、それを従業員に提示し共有してもらう、ということは経営者・リーダーの重要な仕事である、とされることも多い[7]。
夫婦(これも一種の小さな共同体と言える)において価値観がうまく共有されているかどうかが、二人の関係に影響してくることもある。現代の欧米諸国や日本では、結婚前に互いの価値観を確認しあうということが、ごく自然な形で行われていることも多い。そのような価値観の相互確認をきわめて意識的に行うことを薦めている書籍もある[8]。もっとも、互いの価値観を実は良く知らないまま結婚したカップルでも、結婚後に互いの価値観を認め合い、それをわかち合うことで、無事円満に夫婦でありつづける方法を紹介している本もある。
人生観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
人生観とは、人間ひとりひとりが、自身ひとりの人生や人間全般の人生について抱く諸観念のこと。人生の見方。人生についての理解・態度。
目次 [非表示]
1 人生観の諸相
2 人生観の叙述
3 関連項目
4 外部リンク
[編集] 人生観の諸相
人生観には様々なタイプのものがある。獏としたものもあれば、極めて明瞭なものもある。簡潔なものもあれば、人生の目標・評価体系から生き方についての具体的・実践的な指針まで含んだ体系的なものまである。
人生観は情緒的な要素を含んでいることが多い。単に事実についての記述というよりは、むしろ態度決定や価値観に関係する面が大きい。
人生観は、その人の生きている時代背景、政治体制、社会的環境の影響を受けていることもある。思想、宗教などと関連する面もある。性別による影響も見られる場合がある。性格や気質によって生み出される面もある。
生涯あまり変化しない場合もあれば、年齢の影響を受けることもある。ある人がある時点である人生観を抱いているとしても、その後の人生で何らかの経験・体験をすることによって変化することもある。
幼いころから見て育った親の生き様や、親が語って聞かせた人生観が色濃く反映している場合もあれば、親の生き様への反発が人生観を形成している場合もある。かと思えば、親の生き様や人生観とは何ら無関係に形成される場合もある。人生の途上で良き指導者や尊敬できる人物に出会ったことで、積極的な人生観が形成されることもある。海外への旅に出た折に自国では見られない生き様をしている人々に触れて、根本的に人生観が変わる人もいる。
[編集] 人生観の叙述
人生観は、単に観念にとどまらず、意識的であれ無意識的であれ、それを抱く人の判断基準や、ひとつひとつの具体的な行動の選択などにも影響を与えて、長期的に見ればその積み重ねにより、その人の人生のあり方に広範囲の影響を与えていることは多い。
「人生とは~である」といった一般論の形式で表明・記述されていながらも、実際はその人ひとりの人生について語っているにすぎない場合や、自身に類似した極めて限られた属性を持つ人間の集団の人生についてしか語っていない場合も往々にしてある。その場合は「私の人生は~でありたい」「私の人生は~だった」などと読み直すことで、その語り手の人生や心情についての理解を深めたり、人生の多様性の一例として記憶し、その後の社会生活に活かすことも可能である。
現代の日本では、小・中学生の「未来の自分」「将来やりたいこと」などの題名で課された作文や卒業文集などに、人生観と呼べるものが現れることもあり、大人の文章とは異なり技巧に走ったり遠慮から本音を控えたりしていない分、かえって人生観の核心が現れていることもある。かつての日本に目を向けると、武士などが死にゆく時に残した辞世の句などにも、いかにもその人物らしい人生観が表現されているものもある。