就職で茅ケ崎に就職し、一年経とうとした頃、
ふと、焼酎飲みたいと思って、Hotpepper湘南版をめくった。
藤沢に、ちょっと気になる店があった。
カウンターのみ、8席。暗めの店。
壁一面に、焼酎一升瓶。150種弱くらい。しかも芋9割。
所狭しと焼酎が並んでいた。
マスターは50代くらいかなー。
長髪のロマンスグレー、そしてロマンスグレーの髭。
優しい雰囲気。でも寡黙。
そして息子。これまた寡黙。
余計な話はしない。
私も最初だったし、酒を飲みに行ったから、そんなに話はしなかった。
いらっしゃい
何を飲みますか?
今日は仕事だったんですか?
ロック?ストレート?お湯割り?どうします?
余計な会話はなかった。
でも、お酒飲んで幸せそうな顔をしていると、
「良かった」といって目を垂らして微笑む。
そんなんで6種類くらいの焼酎を飲んで、幸せだと思いながら帰ったんだよね。
その飲み屋はビルの3階。帰りはエレベーターまで送ってくれた。
またどうぞ、お待ちしてます。
本当に心地いい時間だった。
沈黙が苦にならない店っていうのも、本当に大事だと思う。
月に2回くらい行った。
私は銀座に通うようになり、横浜に住処を移したけれども、
行きつけの美容院が藤沢だったから、そんなに苦ではなく、
足を運んだ。
すこしずつ、すこしづつ、会話が増えた。
マスターはどんな人なのか、なんでここにいるのか、
どうして焼酎が好きになったのか、
少しずつ、知っていった。
たまには2人でカウンター越しに、
買ってきたんだよ。店に置くかどうか、継続して入荷するかどうか決めたくてね。
なんてことで勝手に品評会やったり。
息子(30代)は寡黙だった。
そんなときも、キッチンで仕込みをやっていた。
前には出ない。口下手に人見知りが輪をかけていた。
2年くらい経過した。
ぽつりぽつりの会話が、つながっていく。
いつも私は一人だったけど、いわゆる常連さんともお話させてもらえるようになり、
寡黙なマスターが大きい口をあけて、目がなくなるほどに笑ったりしているのも、
見るようになった。
息子は変わらず、寡黙だったけど、常連さんとはぽつりぽつり会話していた。
びっくりした。
そして、マスターは実は写真家で、波乗りもしたり、
あぁ、そういえばマリンスーツ似合うよなあと思うほど、
そのころには
本当にいろいろなお酒を教えてもらうようになった。
私は一人だった。彼氏いなかった。
社会人になってからの4年間、本当に酒ばかり飲んでいた。
でも、すさんでいなかったと思う。
すさんでいたに違いないんだろうけど、でも、幸せだった。
彼氏できたら、絶対連れてくるんだ。なんて思っていたし、話していた。
ここで飲んでいる暇があるんだったら見つけてこいよ、なんてことを
言われるくらいになっていた。
幸せになってほしい、幸せになれよと言いたいねぇと言われた。
仕事楽しかったから彼氏は二の次だったけど、元気をもらっていた。
さらに一年後。
仕事が忙しかった、店にも行けなかった。
新しい仕事をやり始めたから、一息つく時間がなかった。
そして、彼氏もできた。遠距離だったけど、嬉しかった。
茅ヶ崎に戻ることも決まった。
全てを片付け、茅ヶ崎に帰ってきた。
あの店に行こう。
半年以上、行けてないだろうか。
茅ヶ崎に戻ってきたんだよ。
またちょくちょく来るから。
いいお酒飲ましてね!
んでさーんでさー、彼氏!!!できた!!!
多分結婚すると思う。学生だから5年くらい先だけどね。
ということで祝い酒がてら、お願いしまーす。
たくさん話すべ、なんて思いながら、
店の前にきた。
店の灯りはついていなかった。
いや、ついていたけど、準備中って感じの明るさだった。
なんでだろう?と思って扉を開けた。19:00。間違いなく飲み屋はやっている時間だったから。
「どうもこんにちはー!! あれ、久しぶりですよね!?」
息子だった。あの、寡黙な息子だった。
訳がわからなかった。こんな笑顔なんだーなんて、びっくりした。
しかし…マスターの姿がない。
買い出し行ったのかなとか思った。
息子は感ずいたのか、話してくれた。
親父、死んだんです。
寡黙な声で息子が言った。
聞き間違えた、空耳だと思った。
おととい。写真撮りに沖縄行って、そのまま。
訳が分からなかった。
心筋梗塞で。
訳がわからなかった。
でも、好きなことやっているときに死んだから、本望でしょうね。
…
で、今日は店の酒、飲むだけ飲んでください。
俺は営業できる免許ないので、タダです。その代わり自分で食べるつまみ作ってください。
訳がわからなかった。
息子、こんなに喋ってる、親父死んだ、
そういえばマスターの名前わかんない、
呑めって言われたって
彼氏できたって言いたかった
てかマスターいない、この世にいない、なんで!
もうめちゃくちゃだった。
そうしているうちに、常連さん来て、
まあ飲もうよ、マスターもそうしてほしいって言っているよ。
なんてまさにご都合解釈なんてしちゃったくらいにして。
2008年晩秋。
涙出なかった。言葉は理解できたけど、わかんなかった。
初めての経験だった。
幸せになれよ、って言ってほしかった。
マスターの声で「幸せ」という言葉を聞くのが、本当に好きだった。
私は苗字で呼ばれていたけど、今の姓で呼ばれたかった。
もう少しで結婚記念日。
今回はセレブもつ鍋を家でやろうと思っていて、
それに合う焼酎を探していて、思い出した。
酒を思い出していて、この思い出に辿りついた。
寂しい気持ちにはなるけど、悲しくはない。
なんでだろう。本当にいぶし銀の人だった。
今回は違うお酒にするけど、
この店にいくきっかけを作ってくれた、さつま寿 旬。
そういえば、旦那に飲ませたいって思ったんだっけか。今年は買ってみようかな。
ねぇマスター私、結婚2周年もう少しだよー。
あー本当に言いたかった!!!
ふと、焼酎飲みたいと思って、Hotpepper湘南版をめくった。
藤沢に、ちょっと気になる店があった。
カウンターのみ、8席。暗めの店。
壁一面に、焼酎一升瓶。150種弱くらい。しかも芋9割。
所狭しと焼酎が並んでいた。
マスターは50代くらいかなー。
長髪のロマンスグレー、そしてロマンスグレーの髭。
優しい雰囲気。でも寡黙。
そして息子。これまた寡黙。
余計な話はしない。
私も最初だったし、酒を飲みに行ったから、そんなに話はしなかった。
いらっしゃい
何を飲みますか?
今日は仕事だったんですか?
ロック?ストレート?お湯割り?どうします?
余計な会話はなかった。
でも、お酒飲んで幸せそうな顔をしていると、
「良かった」といって目を垂らして微笑む。
そんなんで6種類くらいの焼酎を飲んで、幸せだと思いながら帰ったんだよね。
その飲み屋はビルの3階。帰りはエレベーターまで送ってくれた。
またどうぞ、お待ちしてます。
本当に心地いい時間だった。
沈黙が苦にならない店っていうのも、本当に大事だと思う。
月に2回くらい行った。
私は銀座に通うようになり、横浜に住処を移したけれども、
行きつけの美容院が藤沢だったから、そんなに苦ではなく、
足を運んだ。
すこしずつ、すこしづつ、会話が増えた。
マスターはどんな人なのか、なんでここにいるのか、
どうして焼酎が好きになったのか、
少しずつ、知っていった。
たまには2人でカウンター越しに、
買ってきたんだよ。店に置くかどうか、継続して入荷するかどうか決めたくてね。
なんてことで勝手に品評会やったり。
息子(30代)は寡黙だった。
そんなときも、キッチンで仕込みをやっていた。
前には出ない。口下手に人見知りが輪をかけていた。
2年くらい経過した。
ぽつりぽつりの会話が、つながっていく。
いつも私は一人だったけど、いわゆる常連さんともお話させてもらえるようになり、
寡黙なマスターが大きい口をあけて、目がなくなるほどに笑ったりしているのも、
見るようになった。
息子は変わらず、寡黙だったけど、常連さんとはぽつりぽつり会話していた。
びっくりした。
そして、マスターは実は写真家で、波乗りもしたり、
あぁ、そういえばマリンスーツ似合うよなあと思うほど、
そのころには
本当にいろいろなお酒を教えてもらうようになった。
私は一人だった。彼氏いなかった。
社会人になってからの4年間、本当に酒ばかり飲んでいた。
でも、すさんでいなかったと思う。
すさんでいたに違いないんだろうけど、でも、幸せだった。
彼氏できたら、絶対連れてくるんだ。なんて思っていたし、話していた。
ここで飲んでいる暇があるんだったら見つけてこいよ、なんてことを
言われるくらいになっていた。
幸せになってほしい、幸せになれよと言いたいねぇと言われた。
仕事楽しかったから彼氏は二の次だったけど、元気をもらっていた。
さらに一年後。
仕事が忙しかった、店にも行けなかった。
新しい仕事をやり始めたから、一息つく時間がなかった。
そして、彼氏もできた。遠距離だったけど、嬉しかった。
茅ヶ崎に戻ることも決まった。
全てを片付け、茅ヶ崎に帰ってきた。
あの店に行こう。
半年以上、行けてないだろうか。
茅ヶ崎に戻ってきたんだよ。
またちょくちょく来るから。
いいお酒飲ましてね!
んでさーんでさー、彼氏!!!できた!!!
多分結婚すると思う。学生だから5年くらい先だけどね。
ということで祝い酒がてら、お願いしまーす。
たくさん話すべ、なんて思いながら、
店の前にきた。
店の灯りはついていなかった。
いや、ついていたけど、準備中って感じの明るさだった。
なんでだろう?と思って扉を開けた。19:00。間違いなく飲み屋はやっている時間だったから。
「どうもこんにちはー!! あれ、久しぶりですよね!?」
息子だった。あの、寡黙な息子だった。
訳がわからなかった。こんな笑顔なんだーなんて、びっくりした。
しかし…マスターの姿がない。
買い出し行ったのかなとか思った。
息子は感ずいたのか、話してくれた。
親父、死んだんです。
寡黙な声で息子が言った。
聞き間違えた、空耳だと思った。
おととい。写真撮りに沖縄行って、そのまま。
訳が分からなかった。
心筋梗塞で。
訳がわからなかった。
でも、好きなことやっているときに死んだから、本望でしょうね。
…
で、今日は店の酒、飲むだけ飲んでください。
俺は営業できる免許ないので、タダです。その代わり自分で食べるつまみ作ってください。
訳がわからなかった。
息子、こんなに喋ってる、親父死んだ、
そういえばマスターの名前わかんない、
呑めって言われたって
彼氏できたって言いたかった
てかマスターいない、この世にいない、なんで!
もうめちゃくちゃだった。
そうしているうちに、常連さん来て、
まあ飲もうよ、マスターもそうしてほしいって言っているよ。
なんてまさにご都合解釈なんてしちゃったくらいにして。
2008年晩秋。
涙出なかった。言葉は理解できたけど、わかんなかった。
初めての経験だった。
幸せになれよ、って言ってほしかった。
マスターの声で「幸せ」という言葉を聞くのが、本当に好きだった。
私は苗字で呼ばれていたけど、今の姓で呼ばれたかった。
もう少しで結婚記念日。
今回はセレブもつ鍋を家でやろうと思っていて、
それに合う焼酎を探していて、思い出した。
酒を思い出していて、この思い出に辿りついた。
寂しい気持ちにはなるけど、悲しくはない。
なんでだろう。本当にいぶし銀の人だった。
今回は違うお酒にするけど、
この店にいくきっかけを作ってくれた、さつま寿 旬。
そういえば、旦那に飲ませたいって思ったんだっけか。今年は買ってみようかな。
ねぇマスター私、結婚2周年もう少しだよー。
あー本当に言いたかった!!!