令和3年1月3日(日)
名古屋市主催 史蹟散策路コース 天白区
「❺姫街道とハイキング」の続きです。
コースを歩いていると、またまた池が現れました。
ここは大堤池ですね。
水鳥がいました。
赤ずきんが池を覗き込むと、隠れていたカルガモが出てきましたw
ごめんねぇ~
池の周りを進んで行くと、道路に出ました。
信号を渡って、住宅街を抜けて行きます。
割と大きな道路へ出ました。
この道をしばらく真っ直ぐ進んで行きます。
左の方に寺院らしい建物が見えてきました。
「秀伝寺」です。
曹洞宗。
明応2年(1498)僧宗栄の創建。文禄元年(1588)の冬に焼失して廃寺となっていた。
その後、徳川家康の命により、日進村龍谷寺から満嶺徳充和尚を招いて慶長17年(1612)再興された。
御本尊の釈迦牟尼仏は、享保10年(1725)に作られたもの(WEBより)
日進村龍谷寺は、白山宮のお隣にあるお寺さんですね。
お参りします。
(○'ω'○)ん?
境内で住職さんとお子さんかな?
サッカーの練習しておりました。
挨拶して、お参りさせてもらいます。。
コースへ戻って、再び道沿いの歩道を進んで行きます。
交差点に道案内がありました。
姫街道(旧平針街道)
これですね。。
案内通り左へ進んで行きます。
この道が街道なのかな?
(○'ω'○)ん?
この右へ続く道が「姫街道」のようです。
右へ進んで行きます。
道幅は街道っぽいですが。。。
特に街道っぽいものは残っておらずw
神田 かつら
いつからあるのだろう。。。
姫街道(平針街道)は、慶長1717年(1612)徳川家康の命により、三州岡崎から名古屋城への近道として造られた。
この街道は、江戸時代の主街道である五街道の一つ東海道に対して、姫街道とも脇街道ともいわれた。
街道の両側には松並木が続いていたが、太平洋戦争中、造船などの必要から伐採され、今では跡形もない。
街道開通に際して人馬の継場(つなぎば)が必要であったことから、郷の島にあった16軒の農家に移転を命じ、
街道ぞいに移り住まわせ、「平針宿」が誕生した。
その後、足助街道、熱田街道の交わる交通の要所として発展し、本陣、脇本陣も設けられ、宿場として大いに賑わった(WEBより)
お堂がありました。
御嶽神社と書かれていました。
お不動様ですね。
四国西国秩父坂東霊場巡拝供養塔。
四国、西国、秩父、坂東。。
お遍路さん出来ない人のために建てられた供養塔のようです。
大きな通りへ出ました。
地図が見辛くてよくわからないので、とりあえず真っ直ぐ進んでみます。
(○'ω'○)ん?
変わった歩道橋があったので来てみました。
真ん丸な歩道橋でした。
歩道橋を渡って、真っ直ぐ進んで行きます。
道沿いに真っ直ぐ進んでいますが、コースはよくわからずw
平針西口の交差点です。
信号を渡って、さらに真っ直ぐ進んで行きます。
飯田街道
ここの交差点を右へ。
もうこの辺りへ来ると、駅っぽい感じがします。
これは駅ですね。
もうすぐゴールです。
「地下鉄 原駅」に到着。
無事ゴールすることが出来ました。
(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪
今回のコースは、天白区の史跡散策路を歩いてみました。
街中にもいろいろな史跡が残っているのですね。
名古屋農業センターは残念でしたが、また日を改めて行ってみたいと思います。
姫街道は豊川のコースにもありましたが、結局抜け道かしら?
別名脇街道とか言われているみたいですね。
名古屋市の史跡散策路は、まだまだたくさんあります。
また歩いてみたいと思います。
本日の総歩数は15029歩、総距離9.2キロでした。
ご覧いただき、ありがとうございました。