四国霊場八十八カ所(62・61・59~54番)

2016年12月31日 21時00分00秒 | 遊ぶ

四国霊場八十八カ所の六十二番・六十一番札所、および五十九番から五十四番札所を訪ねた。今回は、愛媛県西条市と今治市の8カ所を一日で完了するため、駆け足で廻った。

・六十二番札所:宝寿寺

弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806〜10)で、寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされたとされている。境内には今まで見た事の無いような顔つきの象が祀られており、心を和ましてくれる。

 

・ランチ

宝寿寺さんで「ランチに、美味しい店は近くに有りますか?」と尋ねたら、「イタリアンで、JR伊予小松駅前にMARUBUNさんがある。有名で、結構旨いよ。」との情報をゲット。早速訪ねたが既に駐車場が満車で諦めて次に行こうとしていると、MARUBUNで食べ終えたお客さんが車で出て行った。これはここで食べろという運命と感じ、素直に従った。オムライスとロッソをサラダとデザート付で注文したが、後でメニューを見直していてナポリタンを注文すれば良かったと思うが後の祭り。味は、薦められるだけあって満足!

  

・六十一番札所:香園寺

香園寺は聖徳太子(574〜622)の開基という四国霊場屈指の古刹であり、一方、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えている。安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが「天正の兵火」で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。

  

・五十九番札所:国分寺

往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。境内には握手をしている姿の大師像があり、握手をしながら願いを唱えると叶うとされている。

  

・五十八番札所:仙遊寺

境内は、山号になっている作礼山の山頂近い標高300mの高台にあり、今治の市街地を眼下に望める。その先には瀬戸内海に浮かぶ島々、さらには平成11年に開通した「しまなみ海道」も一望できる眺望豊かな地にある。寺院内には宿坊を有しており、天然温泉も備えて充実した設備で、宿坊からの眺めも素晴らしい。

   

・五十七番札所:栄福寺

瀬戸内海沿岸のこの近海では、海難事故が絶えなかった。栄福寺は、弘法大師が海神供養を修したことから、海陸安全、福寿増長の祈願寺として往古から信仰されている。駐車場から見える建物は近代的な面持ちで窓には「57」の数字が覗いているが、本堂・大師堂は歴史のある建物で、この組み合わせが妙にマッチしていた。

 

  

・五十六番札所:泰山寺

泰山寺には、水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説が根強く残っている。蒼社川という川がこの地方を流れており、毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていたため、村人たちは恐れ苦しみ、人取川といって悪霊のしわざと信じていた。この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法したところ、満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願が成就したことを告げた。また仁王門は無く、阿形・吽形が寺院の建物内に安置されていた。

 

  

・五十五番札所:南光坊

四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけである。正式には光明寺金剛院南光坊という。今治市の中心街にあるが起源は古く、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわる歴史を有する。仁王門には四天王が設置されており、これも今までにないパターンだ。

   

・五十四番札所:延命寺

今治の市街地から西北へ6kmほどのところに、延命寺の山号にもなっている近見山という標高244mの山がある。この山頂一帯に七堂伽藍の甍を連ねて、谷々には100坊を数えていたのが延命寺であったと伝えられる。

  

・観光

17時を過ぎたので来島海峡展望館を訪ね、来島海峡大橋を見た。本当は来島海峡大橋を渡って伯方島のさんわに行き、本場の塩ラーメンを食べたかった。だが今日は大晦日とあって15時で閉店しており、諦めざるを得なかった。別の機会に必ず行こうと、固く固く決意した。


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