春愁・秋思(しゅんしゅう・しゅうし)

冬の雪、秋の月、夏の風、春の花
萩の花が好きだった人を思い出す

初めての俳句(09)~(17)

2019年11月01日 | インポート
我のさんぽ道(1<奥の細道ではなく>
2019年10月23日(水)吟行と称して姨捨から鬼無里に友とドライブ。
前日は即位礼のため予定していた美術館が休館で行程を調整した

・姨捨の長楽寺→・久米路橋→・信州新町(昼食)→・小川村の高山寺→
・鬼無里のギャラリー(見学と館長の話、スイーツ)→・郷土資料館→帰路
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≪09≫ 姨捨(おばすて)は  筆持つ人と 刈(かり)田あり

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姨捨の高台から見える景色は刈取りが終わった棚田の先の千曲川と善光寺平、
絵を描いている方がいた、こんな景色の良い場所で秋の一日を過ごすのもいいだろうなと思った。

季語=「刈田」


≪10≫ 踏切を 先に渡りし 秋の風

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姨捨駅に停車する列車はスイッチバックで行ったり来たりするため遮断機がなかなか開かない
しかし秋のさわやかな風は先に渡って行ったようだ
これから秋の吟行に行く私たちを先で待っていてほしいと思った。
          追句(もう一句) ”遮断機の 先で待ってる 秋の風 ”


≪11≫ 芭蕉句碑 下五の月が 我も見え
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●芭蕉翁面影塚
    “俤(おもかげ)や姥一人なく月の友” 松尾芭蕉

よくこの近くまで来ていたが「俳句の聖地」と言われるほどの場所があったことを初めて知りました。
長楽寺の境内や周辺にはたくさんの句碑、歌碑が並んでいた。その俳諧たちが姨捨で詠んだ名句の句碑をいくつも鑑賞していたら、昼間なのに自分も実際に名月を見たような気持ちになりました。
 「下五」は 俳句の五七五の 下の五のこと 昔の俳諧の方たちの句の下五に「名月」「秋の月」が良く詠まれていたので・・
    追句(もう一句) ”芭蕉塚 名句に見えし 名月や”

≪12≫ 牧閉す 名物と知り 焼く煙

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吟行のお昼は有名な信州新町のジンギスカンをいただきました、
軍事用の羊毛のため羊の飼育が盛んな土地で そのいわれ歴史を知った味はまた格別でした。

こんなむずかし季語があるそうです
   「薬喰ひ」くすりぐひ=体力をつけるために、寒中に滋養になる肉類を食べること。獣肉を食べることを嫌った時代があったので、これを薬と称して鹿や猪などを食べた。
   「成吉思汗鍋」ジンギスカン鍋と読む

     追句(もう一句) ”名物や いわれ知っての 薬喰ひ ”

季語=「牧閉す」(まきとざす)は冬が来る前に牧場を閉鎖し、牧場がひそりして寂しい頃

≪13≫ 枝に留(とど)まる 楓一葉 寺の庭

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紅葉が始まり いち早く楓が赤くなり落ちた場所がまだ緑の残るつつじの枝に引っかかったようだ。
自分だったら寺の庭にいても この世に未練残さず いさぎよく散れるのだろうか
 追句(もう一句)”落ち切れぬ 楓ひとひら 風を待つ ”
         ”枝に掛かりし 楓ひとひら 寺の庭 ”

≪14≫ 天を衝く 塔を取巻く 柘榴(ざくろ)熟(う)む

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高山寺の境内に植えられた柘榴の木にオレンジ色の実がなり、三重の塔に向かって差し上げているようだ
仏教ではザクロのことを吉祥果(きちじょうか)と呼び孫繁栄をあらわす縁起のよい果物とされている。お釈迦さまの「法華経」の中に出てくる鬼子母神(きしもじん)伝説はザクロと非常につながりがあるそうです。このお寺の境内に何本もザクロの木が植えられているのもそんな関係からなのでしょうか。
     (ボツ一句) ”三重の 塔に膝着く 柘榴かな” ・・・・・「三重」と言わなくても塔でわかる、柘榴の擬人化はつまらないのでボツにした句

≪15≫ 響流十方(こうるじゅっぽう)  病む胸ゆする 秋の鐘

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高山寺で鐘楼台に上り鐘を撞かせてもらった
想像以上に響き、残響も長く続いた、合唱したその手を思わず自分の胸に当てしばらく鐘の振動が体に感じていた
この鐘に刻まれた文字を見ると
「正覚(しょうがく)大音(だいおん) 響流(こうる)十方(じゅっぽう)」
御仏の教えは四方八方それに上下で十方、」 つまりあらゆる世界に響き渡るという意味だそうです
きっと病んでいる私の胸にも響きご利益があるのではないかと思いました。

  あの津波で流された陸前高田の泥の中から取り出された鐘にもこの言葉が刻まれているそうです

≪16≫ 麻刈りて 人形丸背(まるせ) 郷土館

鬼無里の郷土資料館を見学した。こんな山奥の村だが昔は麻の栽培で暮らしを立てていたとのこと
麻の繊維までの作業工程を蝋人形で展示してあった
下を向いた人形の背中が本の「丸背製本」のように丸く曲がり当時の人々の苦労が感じ取れた

季語:「麻刈りて」

≪17≫ 久米路(くめじ)峡 悲話の娘の紅葉かな
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この土地に悲しい伝説があり、
真っ赤なつつじの紅葉は伝説の悲しい娘の心のように思えた。

明日をもしれない娘のためにたった一度、庄屋の蔵から一握りの小豆を持ち去り、そのため父は橋の人柱として処刑された、元気になった娘が「あずきまんま食った・・」と外で歌っていたから露見した、それから娘は言葉を発しなくなり、ある時キジが鳴きながら飛び立ったところ漁師に撃たれたのを見て「キジも鳴かずば撃たれまい」と声を出した・・・
追句(もう一句) ”久米路峡 幼女の悲話の 紅葉かな ”
         ”紅葉や 乙女の悲話の 久米路橋 ”

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台風19号の被害から10日あまり
姨捨から見える長野市方面の千曲川の河原も茶黄色のヘビがうねった後のように見え
また 「久米路峡」を流れる水の色もまだ濁流だった

自分の中では ≪15≫の鐘の句が他の読み手の方には通じないかもしれないが挑戦した句だと思っています
≪10≫踏切は 友達や奥様に褒められました

あれから 何もしなければ 何もない日々が過ぎるだけです、だから自分の体調の範囲で出かけたいと思っています
そして
何かに感動したり興味を持ったりすることができればいいと思っています

俳句入門の本をまだ 半分も読んでないもう少し勉強