ゲストはノンフィクション作家の柳田邦男さんで、この問題をどうみるか解説。番組の内容と柳田さんのお話から私が分かったこと、同感だったことは、「出版社の編集者としての努力、誠実さが欠落していた」ということです。
柳田さんは、出版を良いとしても悪いとしても、いろんな要素を整然と区分けしながら、今後の社会の在り方や表現問題を考えなければならない、また、「少年Aがものを書くという必然性は理解できる」としています。
ただ、出版社の言い分として「社会的意味があると考え出版に踏み切りました」とあるけれども、手記自体に「どのように更生したのか」という“社会的に1番意味がある部分”がすっぽり抜け、犯行の詳細と、少年院を出た後の苦労話、第三者的な文学的表現まであり、しょく罪の言葉は通り一遍だったそうです。
私はこの本を買っても読んでもいませんが、「本当にしょく罪意識があったら(遺族が苦しむむごたらしい事を)表現するわけはない」との言葉に共感しました。
柳田さんは、「表現の自由」と「遺族の感情」への対立は本来どうしなくてはいけないかとの質問に、次のように答えました。
「表現の自由っていうのを守らなければいけないんですが、(中略)社会化する過程で出版の編集業務っていうのは、ものすごく重要な意味を持つ。」
さらに続けてこう指摘し、番組を締めくくりました。
「編集者が、これでは遺族を傷つけるからここはどうする、こうするとか、なおかつ被害者側、遺族側等のすり合わせに対して十分な配慮をすること。それは自己規制ではなくて、むしろ表現の自由を守るための編集者の基本的な努力だと思う。」
加害者が「表現したいことを表現したいまま」出版するには、遺族を無視するという形しかなかったのでしょうか。このやり方では、売らんかなでゴリ押ししたと言われても仕方がありません。出版社が遺族に、時間がかかっても理解を求め丁寧な配慮を怠らない努力をしていれば、批判はあったとしても不買運動は無かったかもしれないし、「社会的な意味」の深い本が、もっと多くの人たちに届けられたのではないかと感じます。
全文記事→ NHK クローズアップ現代
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