去年の最終ブログからもう1年以上経ってしまった。続きをもっと早く入稿したかったが自分でこのブログで何を読者の皆さんへ伝えたいのかはっきりしない状態であり自分の病気を伝えて共感を得るつもりもない。同じようにインフォームドコンセプトを受けた方とは心境や治療に関してブログで語り合いたいとも思われるがあまりあからさまにしたくない情報もありこのテーマについてはENDiとします。ただ今は死と向き合い苦しい状態であり体がどんどん変化していく様は大変つらいです、この1年で耳が聞こえなくなり視力が大変悪くなり次々出てくる自分の体のデータに一喜一憂しお先真っ暗な日々が続いているのです。この次にここでいつどんなテーマでブログを書けるかはわかりませんがここで絶筆とします。
最後の投稿は2014年5月5日で某銀行での出来事に不満を持って訴えたくて書いたものだった。
あれからもう5年ほんとに大変お久しぶりなのだ。だいたいこのブログの基本テーマが「リタイア
してから」(リタイア世間山話)で、毎日過ごしていて気になったことなどを書き綴っていけば面白
いと考えた。だけど毎日の行動は日に日にパターン化され見慣れた光景に感動などとは程遠く 以
前興味のあった事ややりたいと思っていたことなどは時間が経つにつれにその気持ちが薄れてしま
っている。仕事や行事などでいろいろ自分に制限や抑圧を受けているとそれから抜け出したいと思
う気持ちが自由を求めてこんな事をやりたいとかこんな夢を叶えたいなどその時にできないことを
夢見をするがその束縛を解き放たれたときに果たして本当にやりたかったのかというとそうでなか
ったのだ。
さてここからが本題、どうして5年ぶりの復活ブログをかくことになったのか。心が奪われるような
書かずにはおれないことにとうとう出くわしてしまった。それも興味や感動などとはまったく別次元
の話なのだ。そう自分の体に関すること。インフォームドコンセプト《がん告知》をうけたのだった。
以前に書いていたように健康のため毎日毎日歩いていた。一日20、000~25、000歩ぐらいか。
毎日コースを変え近隣だけでは無く大阪 京都方面へも出かけ健康そのものだったのだが。以前書
いた2014の銀行事件前後肩こりがひどく按摩器などで首筋や肩を毎日朝から揉んでいたが首が回
らなくなり車を運転するときに右折や左折で横や後ろ確認ができにくい状況になってしまった。そ
れでも普段の生活に特に支障もなく生活リズムは変わらなかったのだがある日右後頭部の首から少
し上に異変を感じた。頭を風呂などで洗っているとそのあたりにこぶのような出っ張りがある。抑
えると硬い。後頭部の首に近いところは頭を保護する骨と首の筋肉が重なり元々平たんではなく手
で触手しても少しの出っ張りや左右の違いはあるので特に気に留めなかったのだがなじみの床屋で
髪をしていると主人に医者に見てもらったらと勧められ近くの内科へ行った。結局紹介状で専門病
院へ行くことになる。次回へ
基本中の基本がおかしい。顧客のお金は銀行の口座へ入れて初めて
個人の所有物から銀行へ移る。その印として通帳でその残高が表記
されるのだ。数えている間はまだ顧客の金であり返却要求があれば
そのままありのまま返すのが本当のところだろう。私は銀行員に
誤って機械の中に落ちている紙幣はないのか尋ねたが機械の中を見る
事が出来るのはこの機械を取り扱える専門の担当で今ここにはいないと
いう。ではどのようにして私の金がこれで全部と証明するのかというと
それは機械が打ち出した表があるという。その表は数字の羅列で2列に
同じ数字が上から何行か並んでいた。この同じ数字が誤りでない事を
証明しているらしい。要するに処理して数えて束にするべき数字と処理を
実際して束を作った数字らしい。しかしそんな表は何の証明にもならない。
実際の束が全部100枚ずつあるのか調べたのかと言ったら今からそのチ
ェックを行うと言って中座してしまった。それから何分待たされたか15~20
分位だっただろうか。出てきて間違い有りませんといってのけた。どうした
のか聞くと全部数えたという。どれだけ数えたのか知らないが意外と早かっ
たというと手の空いた者を何人か集めて行ったという。それに機械の中の
チェックは手筈が整い翌日に行い報告するという。当事者不在でチェック
を行い間違いないと言っても誰も信用できない。その様子を見たいと言ったが
出来ないと答える。結局『間違いない』の一点張りで押し切られた格好で
しぶしぶ帰宅した。腹がたった。今時のキャッシュデイスペンサーで入金を
中止するとどうなるのだろう。札束を入れ機械が数える。自分の覚えている
数字と違う。おかしい。ここまでは何度か経験がある。しかし数え損なった
札が出てきてこれは数えられていないからもう一度機械に入れろという事で
でその分を入れると数字は合っているしまた入れ直すと今度はちゃんと数え
て最終的に問題なく入金処理が終わってしまってきたのだ。その辺の所を妻
に聞くと確か取消ボタンがあったはずでやった事はないが取り消しは出来ると
の事だった。例のお札数え機には取消ボタンなど存在しなかったと記憶している。
PS 前回の入稿から7ヶ月以上そのあとが書けなかった。突然の体調不良など
理由は色々あったがやっと最近体も動かせるようになってきたので忘れないうち
にこの忌まわしい件を読者の方々に報告したい所です。
あらかじめ輪ゴムで束ねていた札束2~3つを見せて銀行の
窓口で入金を告げるとなにやら手続きをしてカードのような物
をもって奥の機械に案内する。そしてそのカードを機械に
差し込み 私に札を投入口に入れて数え終わったら機械の
完了ボタンを押して係員を呼べと言う。私は一束づつ入れて
いくとカウンターが95と指した。これはいかん すぐこの作業を中止
して自分で確認したいと思い係員を呼んだ。輪ゴム一束100枚の
はずだったのだが。しかしタンス預金だったからもう大部前のことで
記憶は飛んでしまっている。
それで来た係員にこの入金を中止して今入れた札を全部返して
欲しいと言ったら意外な答えが返ってくる。「それは出来ません
この機械は札を数えながら100枚づつ纏めて束を作ってそれを
行内で再利用するので 今入れた客の金はどこからどこまでか
わからない。だから取引を中止するのならカウンターの示す95枚
の万札をいま銀行にある他の札で返すことになる。」
わたしはこの答えに唖然とした。機械が絶対に正しい 客は信用
できないといっているのだ。こんなやりかたおかしくないだろうか。
私は「機械が何かの間違いで数え損なった可能性はないのですか」
長い間暑くて体調が万全ではない今日この頃。少し涼しくなってきたかと
思ったら昨日は台風崩れの強風に大雨で我々の所は被害こそなかったが
午後数時間この大嵐が暴れまくって大変な状況だった。時々光り雷鳴
とどろき大粒の雨粒が殴りつけるようにふってくるが風が強いためその雨が
風によって波紋のような模様を浮き上がらせる。自宅マンションから見える
こんな光景はなにか心に不安感が広がる。突然電話がなって出てみると相手の
声色のような音は聞こえるが言葉になっていない。とぎれとぎれの音の塊は
何を言っているのかわからない。嵐で回線の状態が悪いようなのですぐに
きった。
それが通り過ぎてそして今日曇り空だが雨は上がり風も収まりなによりいい
のが涼しくなったことだった。やっと夏がおわりそうだとほっとした気持ちに
なりお出かけした。今日は銀行へ入金に行った。なにやら大地震が近々ある
とインターネットのポ-タルサイトのヘッドラインに書いてありもしもの場合
大急ぎで着の身着のままで逃げないといけないから大した額ではないが
タンス預金のようなものは銀行に預けておいた方が安心だと妻に言われた
からなのだ。そして銀行で事件に遭遇する。
この薬剤師はこの外科医お抱えなのだから先生の診察をまもるまもる。
私の疑問に答えて「尿酸が足の指の関節にこびりついていたのが血液の
尿酸値が下がったため血液に溶け出してまた悪さをして腫れているのだ」
と見解を述べてくれた。もともと7.1でちっとも高くない尿酸値が6.8と普通
になってそんな事になるのだろうか。もうそんなこといわれても全く信用
できない。結局私なりに下した結論としてこんど腫れが引いたら3週間
足を使わないでおこう。関節炎で患部がやられているので痛みなど
なくてもじっと我慢して患部が回復するまで動かさないでおこう。リハビリ
はそれからと決心した。結局歩いてもなんともない状況に至ったのは4月
の初めで発病から3ヶ月近くになっていた。医者に対する不信感だけが残った。
本当に痛風なのか。腫れが引いたら治っているのか。レントゲン写真だけで
判断できるのか。その都度病状を話しているので例えば足の親指と人差し指
を擦っただけで腫れてしまった状況とはやっぱり痛風なのか。ほんとに
疑問だらけだ。今回はもうひとつ大失敗なのが痛風を知らない老外科医が
いて初診でそこへ行ってしまった事だ。足の腫れ具合を見ただけで痛風を
診断し処方箋は消炎鎮痛剤の貼り薬だけというひどい医者なのだ。
この医者は5階建てのビルを建て内科等他の医院をテナントにして最上階
は自分のすまいとしているようだ。歳はもう70をとうに超えている感じだった。
私がこの医者はダメだと思い1週間で切り替えたからよかったがもしあのまま
通院していたらどうなっただろう。思い返すだけで気分が悪くなってくる。
こんな医者を野放しにして国民健康保険の収支が悪くて自己負担を上げていく
役所にも腹が立つ。医者の報酬は完成高払いではない。患者は治らなくても
いい、診察にきてくれれば収入になるのだ。治せない医者は早く退場させないと
診療報酬ばかりかさむ。どこの世界でも年齢と共に色々限界を感じて引退がある。
サラリーマンなどはまだまだ仕事が出来ると思っても定年があるのに医者には
ないのか。
写真 元町商店街 だいぶ前の写真 今も夜市やってんのかなぁ
自宅の外をほんの数十歩でも足を動かしたいと思う気持ちがどんどん
募ってくる。ここまでで最初の医者に行ってからもう20日位経っている。
家の中ではそろりそろりと両足で歩いている。よしこの感じで家の周り
を少しだけ歩いてみようと思い立って玄関で靴を履こうとして驚いた。
普段足先を靴の内壁に入れていくと靴と足の一体感でピチッと靴が足の甲
などにあたってこれが悪くない感覚になっているのだがこの時は左足の
親指辺りに強い圧迫感を感じて痛みもあり異常を悟った。結局つっかけを
履いて数十歩だけそれも左足を少しだけ前へ出したら右足は瞬時に追い
つかせるというぎくしゃく歩行だった。
この状態が数日続いたある日の夜テレビの前で足を投げ出して座椅子に
座っていたのだがなにげなくこの足の親指と隣の人差し指を合わせて擦っ
ていた。これは日頃からのくせというものなのだ。そしたら左足が瞬く間に
腫れてパンパンになってしまった。やっと回復していける兆しが出てきたのが
元の木阿弥でまたどん底に突き落とされた。以前のようにまた立つこともまま
ならなくなってしまった。しかしどうもおかしい。納得できない。この足はどういう
状況なのか。通風にはこんな状況があり得るのか。
もちろん翌日朝一番医者に行った。先生は「どうした」が開口一番だった。
2回ここに通ってそして "腫れも引いてきれいになりました。お酒を控えてお食事
に気をつけて。ではさようなら"で終わっている患者が10日も経ってどうしたと
いう事の意味は察知できたがそれはこっちのせりふだと言いたい。が診察は又
血液採取 レントゲン撮影を行い 足の親指辺りに直接注射 そしてシップ薬と
尿酸値を抑える飲み薬だった。痛風ですかとおそるおそる聴いたらうなずいた。
そしてそれ以上はなにも聞けなかった。数日後また腫れが引いた所で診察
してもらいに行ったら尿酸値の結果は6.8だった。今まで高かったのがやっと
下がってきたとのたもうた。本当は痛風なんかではなく単なる関節痛なのでは
ないかと言葉を発したのはその後の提携薬局で薬をもらう時にそこの薬剤師
らしき人との会話であった。ここの医者に通ってから薬をもらう時何かと話した
がるこの薬剤師は症状を根掘り葉掘り聞いてくる。こちらもそれに応じて受け
答えしている内に腹が立ってきてしまう。彼が「尿酸をおさえるくすりやね。
どうしたん。あ 痛風か」「お酒いける口やね」「痛かったでしょう」など質問して
きたからだった。「私は酒がのめません」「特にきつい痛みはない。ただ腫れて
パンパンになって歩けない」 初回はこんな会話だったような。
写真 コアラのマーチ イチゴ味
長時間シャカシャカやると大きなボールになると聞いてやってみた。(ヒマ)
この医者はこの病気には素人だ!痛風患者をあまり扱っていない。このままでは
なおるものも治らなくなる。そう考えた私は医者を変えた。結局嫌った前回の医院
へ行ったのだ。ここの先生は腕は確かだが看護士やスタッフのしぐさが荒っぽかった
事がかすかな記憶に残っている。しかし今回行ってみると親分肌の看護士もいないし
あれやこれやと世間話をするレントゲン技師もいなかった。そして思った通り血液検査
やレントゲン写真を撮りその先生のくだした診断は ”痛風”だった。腫れた右足親指
の付け根あたりに直接注射をしプリン体抑制のため飲み薬2種類と痛み止めの薬
を処方しコメントはお酒は控えましょうとお食事にも気をつけてという事だった。そして
2~3日経つとパンパンに腫れていたのが嘘のようにきれいに引いて痛みも何もない。
血液検査の結果もあり3日後に訪れた時には左足の外見はほっそりして以前の何も
なかった状態そのものだった。血液検査の結果は尿酸値は7.1で 7以上が高いと
されるため痛風の診察も間違いではないとは思ったが0.1高いだけでは微妙だ。
この状態だったら即ウォーキングをやりたいのだがそれを尋ねるとまあそうせかさず
にと解りにくい返事だった。じぶんでもこの左足に全体重をかけるにはちょっと違和感
を親指辺りに感じたので1週間は家に籠もっていた。左足の親指辺りに負担を
させないように立って動く時は左足のかかとあたりに体重をかけ歩幅は出来るだけ
小さくした。1日の大半は座っているか寝ころんでいた。4~5日過ぎてくると家で
立ち上がって小幅歩きで左足全体で体重を支えても違和感がなくなってきた。
”よしだんだん治ってきた 外で歩けるのももう間近だ”と思ったのだがこれが
大きな誤りだった。
今年はもう春を迎える4月になったのだが今年初めからここまで残念な事態が続いてきた
題して『また顛末記』 リタイアした者にとってくやしい事件となってしまったのだ。
健康管理のため毎日午前午後あわせて3~4時間をかけて2万歩ぐらい歩いていたが、
間に少しジョギングを取り入れいつものコースを30分も早くこなす事ができてしまう。
そして去年年末辺りからこの方法がやみつきになった。
疲労感は増すのだが達成感や爽快感がそれ以上に増え気分がスッキリして気持ちいい。
しかしこれがよくなかったようだ。足に負担が増えてしまい左足親指の付け根あたりが
はれてきて靴の内面に当たり痛みが強くなってきてついに1月下旬、激痛で立てない位
になってしまった。
サロンパスを数日前から貼っていたが腫れは益々大きくなり痛みが堪えられないぐらい
になり医者の所へ行くことにした。
思えば2年前階段を駆け上がり最上段の着地に失敗して足の骨にヒビが入り1ヶ月
以上動けなくなったのだがその時の外科医院の対応に不満があったので今回は違う
所へ行く事にした。痛い足でなんとか自転車を漕いで行った所はかなりのお年寄りで
私の足をみるなりこれは痛風だと診断した。ビールが好きなようだとかうまい物ばっか
り食っているのと違うかとかからかわれたが酒はのめないし豪華な食事など食べた
事がない。そんな金持ち病にはとんと縁がないはずだ。医師の処方は消炎鎮痛の
貼り薬だけだったのに疑問が残ったが、骨折とかひびなどではないと少し安心して
家に帰った。
インターネットで痛風を調べてみる。1~2週間で治まって痛みも嘘のようになくなる
が実際に治った訳ではない。問題は血液の尿酸値を押さえないとこの発作をぶり返す
事になると書いてある。尿酸値は食品に含まれるプリン体の量を控える事で抑えられる
云々と続いてビールやレバーなどが高いとも記されていた。さあ大変だ。食事の献立
に気をつけていこう。ということで腫れが治まるまで約1週間処方の貼り薬で大人しく
していたのだが一向にこの腫れがひかない。ここでだんだんと疑念が沸いてきた。
血液検査も何もしない。レントゲンもとらない。走り出してだんだん腫れてきた経緯も
説明したから骨とか関節とかチェックが必要ではないか。それに診断時のドタバタ劇を
思い出した。自分が診断した痛風を説明する資料を私に渡したいらしいのだがどこに
しまったか忘れてしまい看護婦をよびそこら中の書類を 引っかき回し書棚や引き出し
を全部開けて15分ぐらいかけてやっと見つけてきたのは古ぼけてきたないコピーで
薬品会社が作った簡単な説明書だ。
写真 葉桜も一興(満開間に合わず やっと動けるようになったら)
あけましておめでとうございます。
どうしても去年の年内もう一稿入れたかったがなんだかんだでだめだった。
たわいないことなのだが年の瀬はいろいろある。会っておかないといけない
人と連絡をとりあい、机の上の山のような雑書類を片づけ買ったけど読まない
古本をブックオフへ持って行く。
それから年度末での色々チェックと対応があるのだ。自動車保険 火災保険
の更新や入会している各コンテンツなどの消滅ボイント確認とその対応
(ポイントを使う) そして肝心なのは株などの売買益整理である。微々たる
ものだが10%税金を取られており株価が戻りそうもないストックの含み損を
少しでも消して取られた税金を取り返す。
年末の一大イベントはやはり年賀状作成だ。実は年賀状作成ソフトは筆まめ
Ver8 でWindows2000で動くためほこりを被ったSOTEC PCSTATIONを
壊れない事を祈りつつ起ち上げる。喪中ハガキも幾らか舞い込んで香典など
の対応先もでてくる。そしてこの年末である週末TSUTAYAが準新作旧作
100円といわれればレンタルDVDのチェック。そして金土と2日計4本借りて
しまうとその視聴で約7~8時間かかる。大晦日の夜は紅白歌合戦でTVから
離れられない。
やっとやる気になったのが元旦というわけだがといっても書くテーマもピンと
こない。やっぱり昨年を振り返るしかない。
この一年なにをしたかと問われればよく歩いたと答えたい。その歩数は
約680万歩。歩幅65㎝として4420㎞にもなる。良い万歩計が手に入り
基礎データ(身長 体重 歩幅など)を入れておくと歩数やキョリ 消費カロリー
まで計算してくれる。
これをつけていくと結構楽しくなり数字を増やしたくなってくるのだ。
最近は歩くだけではなく少し駆け足をしたりして消費カロリー
を増やす事を心がける。今年実は夏にそれまでの体重約72~
3㎏を劇的に減らして64㎏まで落とせた。夏暑くて食事量も
減退するし汗も大量にかくのでこの時とばかりにゼロコーラや
お茶、ゼロサイダーなどでお腹を満たし空腹を我慢したら結果が
出た。しかし冬になってリバウンドがおそろしい。新陳代謝も落ちて
汗もかかないしお腹はくうくうなってつい食べ過ぎてしまうともう4㎏
戻ってしまったのだ。
さあ又新年ことしはどんな歳になるのか。