goo blog サービス終了のお知らせ 

過去をいきてるひとには要はない。明日を生きることこそ夢がある。

2018-01-10 08:00:23 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

「どうしてって きかれてもなあ。」

「時たまだが 親しい人から 『どうしたら 長生きできるんでしょうね。』ときかれる。」

こんなことに 自信をもって 人に告げる言葉 をもたない。何と情けない生き方しかしていない。

私は 生来が 超のんきものである。

兄とは 6歳ほど年の差があるが とてもしっかり者の孝行息子 いい子のお手本であった。

勉強を強いられると逃げ回る わたしの手を引きづって 中学受験に励む 兄の姿を陰から

そっと のぞかせて 「兄ちゃんは あんなに努力してるんだよ。見習いなさい。」

でも、そんな兄より 私は陰で勉強しているという自負心をもっていた。

私にも中学受験の時が来た。難関の中学である。兄も敬遠した学校である。

私が願書をもっていったとき 母は全く信用していなかった。

「中学浪人は許さないよ。落ちたときはここに行くのよ。」と言って満蒙少年開拓義勇団の

願書と同時に提出させられた。

予想通り 中学に合格したのは 私一人だった。もしあの時中学におちて 満蒙義勇隊

に入っていたら シベリヤ抑留のまた違った運命をたどったことだろう。思うに人生とは

凡て路線の選択に乗っかっているようである。本当に学問が身についているのは

一流主義ではない。生き方のすべてを網羅したうえでの 路線の選択能力のできているものを

刺しているようだ。兄は80歳で他界した。ビルマ戦線から命ながら得て帰還した兄だったが

身の不遇をかこっていた。「ビルマで死ねばよかった。」無性に腹が立った。

「兄さん そらビルマも 大変だったでしょう。でもな 内地もソリャ大変よ。240のB29の

爆撃受けた経験ないでしょう。逃げ場失った人たちが 川に飛びこんで 一夜にして

10万人のひとがなくなったというはなしは 日本中にあった。」命拾えたことに感謝しなくちゃ。」兄に説教したこともあった。

 


成人式に臨んで 結婚についての ふつつかな助言

2018-01-08 11:35:55 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

一生を台無しにするような 結婚なら 結婚しないほぁがましだ。

至極 当然なことである。男から見ても おんなから見て この通説は当てはまる。

でも、結婚前にそんな事が わかりゃ問題ないさ。むしろ 恋すりゃあばたも笑窪というではないか。層なんだよ。それでだまされる。

「馬には乗ってみよ。人には添うてみょ。」

なんていうけど 大体 みんながまんだよ。そうしているうちに にっちも さっちもいかなくなっ

て やけのやんぱちになってしまっとる。こんなこといかんよ。

よくいわれている 通説に「父親に育てられた娘は避けよ。」と言われる。酷なことだが

男心が分からない。飲み友達でも家に連れてこようものなら まず数日は口も利かないだろう。

結婚式で父親が 娘抱きしめて 涙している 。情けない。

男だけの兄弟の仲の末っ子の女の子独り。この子も慎重に。

要するに男も女も自立した者同士でないと 結婚してもどちらかが犠牲になる。

そんな事でいい家庭なんかできようはずがない。凶悪事件でも親族間の事件が

圧倒的に多いという。夫婦だって本をただせば 他人なの。

親しき中にも礼儀あり。常識をもった者同士でないと寄りかかり夫婦はつぶされる

ご時世だ。嫉妬心 怨恨 いかんな。最低。自分が世帯主のようにふるまっている

専業主婦。感謝の気持ちもない奴。学歴なんか あまり関係ない様だ。コンプレックスの塊

これも厄介だ。


幽霊の正体見たり 枯れ尾花。

2018-01-07 19:44:32 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

お千代 三吉 目を覚ませ。鳥がさえずる目を覚ませ。」

55歳の若さで あの世にたびだった 養父の 歌である。朝寝坊の わたしの枕許で

歌ッてゆくれた。

「安倍よ 麻生よ 目を覚ませ。日本の国が 泣いてる 目を覚ませ。」

日本の 明るい夜明けを 迎えるために 席を退いていただきたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

旧民進党の分裂騒ぎが 一向に方向が定まらない。立憲が民進党の同一会派に否定的なのは

理解できる。希望や民進党の中には 統一より 自分の党の保身が優先している。とおもわれる。

政権との立場も 希望と立憲では相当な違いを含んでいる。立憲ももう二度と前者の轍を踏むまいと警戒している。

肝心な時 態度豹変したら困るのである。連合との距離感も影響する。

少なくとも現在の聯合は政権と事を核えるのは 避けている。御用組合と言われても仕方ない。

##################################################

テレビという ものは厄介だ。安倍総理ではないが「印象づけ」そのものである。

陸山会事件での小沢氏の映像の取り扱いは 小沢氏の人格破壊の道具として使われた。

国民は なかみが分からないが 小沢というやつは 金に汚い奴だ。ほとんどそう思ったに違いない。

阿部一強もこうして根を張っていったのだろう。

&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&

年から年中 政権は選挙運動しているようなものだ。官邸が「おれたちに刃向かうものは

締め上げると物騒なこと 裏で検察警察という国の組織を動員して 日常の活動やっているのだ。

財界と政権がつるんだら 何をしでかすか 分かったものではない。野党はもっとズーズーしくなければならん。ただし国民に刃向けたらしまいだよ。安倍の弱点もそこだ。

阿部は「国民の財産・生命を守るというが 」それも虚言である。

 

うそをついて恥じない厚顔、野党統一も そこを承知の上で結束されるようにねがいます。

 


:原野に立って・・・・・2

2018-01-05 15:07:53 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

 憲法大9条のこと。

新憲法が 9条が 永久に戦争を放棄した。という思いは占領軍の押しつけのあるなしにかかわらず

当時の日本人の 総意みたいなモノではなかったのだろうか。

いくら強がりを言っても あの時の日本は完全に崩壊していた。

国内に敵を迎えて 戦争したことがないから 分からなかったことが やっとわかってきた。

空を覆うB29の期待から 雨のように 降ってくる焼夷弾、爆弾、機銃掃射 地獄です。

あの姿になってどうして「国民の生命財産がまもられる」そんなものではありません。

目の前で両親が兄弟がもがきながら死んでいく。そんな姿をまた見たいのでしょうか。

私は 最近よく思うのですが、これから先 武器を持つ国は「最終兵器」の開発に血眼になるでしょう。彼らはもはや地球破壊の犯罪者になるのです。

私たちの帆はが危機に瀕しているのです。宇宙から地球を見て「嗚呼地球というのは美しい」

と感傷にふけっているときは いいのですが 、地球を汚したように 宇宙もよごしていくのでしょうか。

いまこそ 国連は賢人会議を設定すべきです。ボランティアでは少ないのです。

北朝鮮の核の問題にしても 彼らには「核持つ国は世界中に広がってきてるじゃないか。」

何故 おれたちの国が核を持つことに文句つけるのか」という 言い分になんと答えたらいいん

だ。核をもった国をどうして説得せよというのだろうか。日本が危ないからやめてくれ。

さもないと 制裁を強めるぞ。と言ってみてもつうずるはずがない。

だからと言って これをつぶしていくためにある国が核を使えば世界の方々で連鎖反応が

怒ってくる。地球の自転に変化を与えないのか 不安である。地球上が放射能で覆いつくされないか

心配しないのだろうか。「若者を再び戦場に送らない。」という母たちの願いはかなわないのだろうか。。

世界の叡智に期待するしかないのか。

 


新年を迎えて。原野に立つときの思い出。・・・・・・・1

2018-01-05 14:42:18 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

今年 平成29年度も 日の出を拝むことができた。

「思えば 遠くに 来たものだ。」歌の文句じゃないが この90年を顧みて 痛感した。

誰にも 起こることかもしれない。その中には 幾たびか 死に向かい合うことも

あったはずだ。それでも 思いだにしなかった 卒寿を迎えることができたものの

なんとなく 生き恥さらしているようで誠に申し訳ない。

阿部総理の 新年のあいさつの中に「私たちは 戦後の 被占領中の悪しきしきたりから

脱却して 新しい 日本の国柄を作り上げなけれはならないという 趣旨だったおもうが

彼らには そのように祖国が頼ってきた道が 誤りだったと思っているのだろう。

「石にかじりついても」という 言葉が存在した。あの当時日本国民は医師にかじりついても

という 思いで美を暮らしたものだ。いかに戦争というものがさんなものであったか。

骨の髄まで 分かったはずなのに。不戦の誓いは 占領軍から押し付けられたものではなかった。

原爆の野に断つ 独りの幼い少年が 原爆で家も両親も 親戚も失ったのであろう。妹をせおって

立ち尽くす 姿。ローマ法王はその写真を見て これは 世界に発信しなさいと言われた。

綿派が見たそんな光景は あの少年だけのことではなかった。名古屋駅で 大阪のホームで

浮浪児たちが 親にはぐれた子供たちの群れが 放浪していた。いまの日本の大臣さんたちは

そんな姿見ていらっしゃらないらしい。宗教界もマスコミもすっかり戦争をしらない世代になったのだろうか。末恐ろしいことだ。