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Apostrophes アポストロフ

ほとんど日記、時々、映画、たまにはニュースというランダムなブログです。

友人訪問

2013-12-19 | 日記
長野に小屋を建てるにしても、何の縁もない土地柄なので情報集めをしている。

設計よりも工務店が大事というのはよく聞く話。

当然、何か不具合があったらすぐに対応する地元密着型を
希望したい。

隣駅に住む友人から2件の推薦があったが、さらに欲しいと思い、
長野出身で、目下、近くの駅全体を設計されているある建築家を訪ねた。

久しぶりだったが、かなり痩せておられ、頭は真っ白、、、
ちょっとぴっくりしたが、肌はつややかだったので安心した。

海外の活躍も幅広く、ドイツ、ミラノなどにも作品がある。

ご自分の、自宅兼アトリエはコンクリートの無機質感がドアや扉の木質感でカバーされ、
コンクリートの床には床暖房が入り、快適な空間になっていた。

すぐにキースへリング美術館を連想した。

何かのサイトで、「長野の9000坪が東京の80坪になりました」とあった。

公私ともに、人生の節目、節目で、大きな決断をされてきたのだなと横顔を見ながら思った。

再来年の駅の完成が待ち遠しい。

カレーナイト

2013-12-18 | 日記
さっむぅ~い、この冬一番の冷え込み。

東京の山間部では雪との予報がでた。

家を出るときは、半信半疑だったが、一応、帽子に手袋、ブーツ、ダウンを着こんで銀座へGO!


今日はベジタリアン一家からビーガンカレーのお店に誘われた。

将来は信濃で隣組になる家族、

家のことも聞きたいし、要点をメモってるというので小雨のなか、がんばって参加した。

そこのカレー屋さん、カレーは淡泊なのにこってりで、薄味なのにがっつりだった。

久しぶりのカレーナイト兼忘年会!

店を出ると、何だかさしてる傘が重くなった感じ。。

みぞれのような雪のような。。。

皆、背を丸めて急ぎ足、

いよいよ本格的な冬到来だ。。。




チキンスープ

2013-12-17 | 日記
98歳で亡くなった母は、冬になるとストーブの上に鍋をかけ、鶏のがらスープを作っていた。

ショウガやネギやくず野菜と一緒に親鳥のガラを入れ、煮立ったらひたすらあくをとる。

子供のころは動物の標本のような骨だけのがらがグロテスクすぎて苦手だった。

あく取りが終わると、あとはただ弱火でコトコト。。。

居間中、もゎっとする湯気が立ち込めて暖かかった。

子供が寝るころ、ストーブは消え、スープもようやく出来上がり。

楽しみは毎朝、スープの具が変わること。

卵スープは一番人気、次がわかめスープ、時にはお正月でもないのにおもちをいれた雑煮風スープもあった。。。

どれも適度なコクがあり、熱すぎてよく舌にやけどした。

体の芯から温まるチキンスープ。

母が最後まで足腰が丈夫で、肌の艶がよかったのはコラーゲンたっぷりのチキンスープのためかなとも思う。


商店街の鶏専門店で良質のがらが手に入った。

「いまどき、ガラからスープを取る人なんていませんよ。」と言われた。

母と同じように、葱やショウガをたっぷり入れて寸胴鍋で3時間、コトコト、、、チキンスープができた。


西洋では風邪をひくと、チキンスープを飲むという。

今、息子もお嫁さんは風邪らしい。

チキンスープを飲ませたいが。。。

イチロー語録

2013-12-16 | 日記

遅い夕食を済ませ、ちょっぴりのワインの酔いで、TVはnews 9が流れっぱなし。。

通常、エンディングは徐々にフェイドアウトしていくが、今日は一瞬、パシャッと画面が変わり、まっ暗くなった。。

低音のナレーターで「プロフェッショナル」は始まった。

今日は「イチローインタビュー」。

2007年からずっと独占インタビューをしてきたらしい。

それを編集した「イチロー語録」的番組だった。


正直言って、私にとってイチローは「敬して遠ざかる」派。

以前からイチローのことを「修行僧」のようだと思っていたが、番組でも全く同じ言葉を使っていた。


経験から生まれた、熟成された言葉が宝石のように光っていた。

「今、言えることは、到達するのに近道はない、ということです! (毎日、毎日同じ繰り返しで)遠回りのように見えるけれど、
結局、それが一番の近道なのです」

「もう、今日はいいや、止めようか、と思うときもあるけれど、それは自分が堕落していく始まり、それが一番怖い、だからやるのです」

「もう40歳。だからといってがむしゃらになるよりも自然な自分でいいと思う。、、例えば、朝、糊のきいたワイシャツをビシッと着て家を出たご主人が、帰りはワイシャツがちょっとよれよれになっている、あぁ、仕事、一生懸命したんだなぁ、と奥さんは思うだろう。帰りもピシッと糊がついたままだと??じゃない??  それでいいじゃないですか。」

「4000本安打の達成の裏には8000本の失敗があった。そっちのほうを僕は大事に思う」

先日の試合のこと、、9回裏、ヤンキーズはすでに9対0で勝ちはもうわかっている。
そこで監督はバッターに若手ルーキーを登板させ、最後に代打でイチローを指名した。

「何という屈辱!」と反射的に私が発したと同時に、イチローも「最大の屈辱だった」といった。

「しかし、、、」とイチロー。

「屈辱を全身で受け止め、そこから、一層、日々の努力に力を入れる。」

「だから、僕の野球人生は「屈辱」と「努力」の繰り返しなんです」と締めくくった。


人格者として松井ははNYの人に感銘を与え、イチローの実績は感動を与えた。

メジャーリーグへの道をつけた野茂もまた古い日本人の精神性をアメリカ人に示した。

彼らがどれだけ日本をグローバル化したか。。。

1万回の言葉のアピールよりも明解だ。


冒頭、インタビューは自宅で行われた、と言ったので、ならばあのかわいい愛犬「一弓」(いっきゅう)が出てくると
待ちに待ったがついに出なかった。

残念。。。


誕生会

2013-12-14 | 日記
皆、忙しくしているので、遅れたけれど、今日、私の誕生会をするという。

息子が企画し、娘、息子夫婦、それに、モンゴルの海さん、麦さんも招待し、賑やかな食事会となった。

何と言っても彼女たち、22歳の若さにはかなわない。

若い二人のちょっと艶やかで、かわいすぎる話題に、娘、お嫁さんたちはgirl's talk、、、

「22歳かぁ、、半分でも頂戴!」状態。

真ん中に座る夫は全くの「無言」状態。

主役の私は「あいずち」が関の山。

その歳、その歳の美しさはあるけれど、22歳はやはり、直射日光! まぶしいすぎる。。。

プレゼントは、寒い信濃生活の楽しいグッズ、、帽子とポシェット。。

楽しいことはいくつになっても楽しい。


カリグラフィーの作品展

2013-12-13 | 日記


カリグラフィーの第一人者と言えば小田原真喜子氏だろう。

本も沢山出しておられるが、宮中での晩餐会に列席した外国の要人が、彼女のカリグラフィーの美しさに魅せられ、持って帰られたという有名な話があるほど(きっと名札か食卓におくネームプレートか)。。

今日、ミキモトで開催中の小田原真喜子氏の作品展を見に行った。

作品のひとつひとつが、デザインといい、文字の美しさといい、圧巻のものばかり。

素朴なペン一本で、美しい文字を書き、絵を描き、全体がアートになっている。

もともとは聖書を写す作業から始まったというが、信仰の力と美への希求が表裏になって発達したものだろう。

作品も聖書の言葉から書かれたものが多かった。

But now faith, hope, and love remain--these three. The greatest of these is love.

「大事なものは信仰(信頼)と希望と愛です」(コリントの手紙13章13より)


見始めてまもなく、(私の)先生が近づいて、「今ちょうど小田原先生が見えたのよ、紹介するわ」と言われた。

まぁ、どんな方だろう、、いつも想像していたが、まさかここでお会いできるとは。。。

スレンダーな50代の現代的な雰囲気の方だった。

(アメリカに行っておられたからか、)手を差し出された。

もちろん、私は右手を出した。

きっとうまくなるだろう、と信じることにした。

みしらず柿

2013-12-12 | 日記



毎月一回、果物が届くようになって早や、半年。

来月が最後になるようで、名残惜しいというか、楽しみがなくなるのが残念。

いつ届くか、何が届くか、何もわからない。

そこがびっくり箱的ワクワク感を高揚させる,なかなかの企画もの。


息子夫婦が「ガストロノミー、、」何とかという会社に依頼し、サプライズプレゼントをしてくれたのが始まり。

何といっても極上の果物、というのがそこの売りで、今まで一度も裏切られたことがない。

もも、マスカット、梨、リンゴ、そして、今月は柿が届いた。

その都度、写真を二人に送るが、今日はお嫁さんから、「どこの柿ですか?」ときた。

「会津のみしらず柿よ」と返事をすると、すぐに、

「奈良かなと思いました。その名前、枝が折れそうにたわわになる柿のことで聞いたことがあります」

あらためて能書きを読むと、

「こんな美味しい柿は「未不知」(いまだ知らず)という意味とある。

?????

夕方、サイトで調べると、いろいろ意味があって、

「、、 身知らず柿の名前の由来は、柿の木が重みで折れてしまうほどの大きさのたわわな実を付けることから名付けられたという説、

あまりにも美味しい柿なので身の程知らずにたくさん食べてしまう人間の様が由来とされる説、

昔々身知らず柿を足利将軍に献上した所、「未だかかる美味な柿を見知らず。(こんなにも美味しい柿を私はいまだかつて知らなかった)」と将軍が絶賛し、気に入って名付けたという説などがあります。、、」

とあった。


なるほど。。お嫁さんの解釈も、能書きの解釈もあるらしい。


それにしても、我が家の「雑学クィーン」、よく知っているなぁ。。

彼らの分、せめて2個ぐらいは残しておかねば。。。


「present」

2013-12-11 | 日記
今日は、「恋愛相談」など書く日ではなかった。

先日、「皇太子妃雅子さまは9日、50歳の誕生日を迎え、宮内庁を通じて感想を発表された。」とあった。


私もこれにならって、「11日、67歳の誕生日を迎え、○○庁を通じて感想を発表された。」とすると、

「ーーこの日が無事に迎えられて感謝の気持ちでいっぱいでございます。

ひとえに、今はなき両親、そして夫、子供たちの支えがあったればこそと感慨をあらたにしております。、、。」となる。


いや、まじめなはなし、

若いときは、夜に、感謝の気持ちを新たにした。

「今日も一日、元気で過ごせた。ありがたいこと」と。


しかし、年をとると、それは朝に変わる。

「あぁ、今日も朝が迎えられた。ありがたいこと」と。


だから、「今」を「present」(プレゼント)という。


今日だけでなく、しばらくいただけるだろうか、この「present」。。。


恋愛相談(?)

2013-12-11 | 日記
月曜日だったか、時々、恋愛相談(?)にのっている隣の学会の友人(35才の女性)からランチに誘われた。

道みち、「彼、新聞に載ったんですよ」と、ボジョレヌーボーの日、ワインを試飲している写真を見せてくれた。

うぅ~ん、なかなか素敵、というと、ほんとですかぁ、、と、嬉しそう、、

小顔が丸ごとピンクになった。


いまどき珍しく控えめで芯の強い女性、前職はワインの仕事をし、ソムリエの資格ももっている。

相手はその仕事仲間で7才年下という。

彼女は3人妹弟の長女で下の二人はめでたく結婚、親御さんも彼女のことが心配の様子。

しかし、まだ彼のことは話していない。


メールもパッパッでなく、忘れたころ、超短文がもどってくる。

一体、なんでしょうね、これって、と相談される。

まだ20代だし、結婚なんて視野に入ってないのかしらねぇ、気持ちがあるんだったら、押したほうがいいのでは?と無責任に答える。

彼は多忙で、なかなか会えないが、彼女はその分、一途に思いを深めている模様。


うぅ~ん、ちょっとせつない。。。


「先日、深夜にメールが来ていたのを見落とし、土曜日の朝、返信すると「お茶でもしよう」となった。

転職の相談やこれからのことをお互い、淡々と話したが、結局、核心には至らなかったという。

まぁ、じれったいわ、直に伝えれば、、とまた無責任なアドバイス。

「そう思って、その夜、『また会いたくなっちゃった』とメールしたんですよぉ」。

ピンクの小顔が真っ赤になった。

彼女の性格からすれば、そんな言葉は、清水の舞台からまっさかさまに落ちんばかりの覚悟がいったはず。


うぅ~ん、女に恥をかかせないで、と陰の声。。。



「彼のどこがいいと思ったの?」とあらたまって聞いてみた。


「どんな境遇でも絶対不幸にならない人、一生、絶対、幸せな人っているでしょう? 彼はそのオーラがある人なんですっ」と言い切った。

うぅ~ん、なるほど、その感度、正しいかも!


ずっと前、何かの流れで「今から、家に来る?」と軽く誘われ、自宅を訪問すると、

個性的な建築家仕様の素敵な家! 魅力的な母親! 近くには祖父母が住み、彼の作る料理は最高だったという。

絶対に割り勘などしないし、時々おじいさんのような判断をするし、「立ち居振る舞いが好きなんですっ」。


その判断、きっと正しいかも。。


平成の世の大正ロマン、、

成就を祈るのみ。。。。












むかごご飯

2013-12-10 | 日記
土曜日、映画を見終わって、子供の城の前に行くと、青空市場が沢山出ていた。。

毎週末10時から開いているそうだ。

夫と一緒なのでゆっくりは見られなかったが、秩父の農家の店が「むかご」を山積みして売っていた。

山芋の子供で、塩ゆでもいいし、むかごご飯も懐かしい。

4袋買って、早速、夕飯にむかごご飯を炊いた。

ほくほくして土の奥深い匂いがする。


翌日の日曜日、急に息子夫婦が家に寄るという。

珍しいので、急いでむかごご飯を用意した。

お嫁さんは「まぁ、むかごご飯!」とずばり。。

「何でもよく知ってるね」と夫はいつも驚く。

生のむかご一袋を持たせたところ、夕方、炊き方をメールで尋ねてきた。

今日の夕食なのだろうか。

明日のお昼のおにぎりだろうか。。。



すれ違い

2013-12-09 | 日記
確かにあの方だった、いや、間違いないと今でも思っている。


出先からの帰り、私鉄のホームに電車が到着し、どっと人が降りてきた。

こちらはそれに乗ろうとし、押し分けてドアのほうに向かった。

あっと思ったのは、「もう年をとり、足腰も弱ってきました」と先日、電話で話した方。

「私たちは同じ沿線なのでどこかでばったり、ということもありますから」と名残惜しく電話を切ったのは先日のこと。


口はへの字に結び、足は弱って、目も力がなかった。

フルート教室に通っておられたが、今日はフルートもなかった。

あっと思い、振り向いて声をかけようとしたが、人の波にのって行き過ぎた。

躊躇させる何かがあった。

大企業の役員まで勤めあげられた方だが、年月はかくも残酷なことかと思った。

今は、声を懸けなかったことを悔やんでいる。




倍返し

2013-12-09 | 日記
*「公園の父、本多静六先生」からここまでが依頼を受けて書いた原稿でした。

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木曜日は電車の中吊りを楽しみにしている。

週刊文春と週刊新潮が裏表でぶら下がると気付いたのは先日のこと。

「骨太計画の骨折シナリオ」、「シャブアンド飛鳥」では笑ったが、先日は、「韓国へ倍返し!」とでかでかとトップ見出しが躍っていた。

きた、きた。。

そう、これはヒット中のドラマで、視聴率30%を超えようとする「半沢直樹」の殺し文句、「やられたらやりかえす」「やられたら倍返し!」の応用編。

大手銀行の融資課次長の半沢直樹が上司にはめられ、やり返すストーリー。

分かりやすい勧善懲悪的な内容と脚本のテンポの速さが心地よい。

どこの職場にもいる嫌な上司への暴言をたたきつける半沢に、リーマンだったら一度はやってみたい痛快劇が次々と展開する。

まるで時代劇の現代版で、強きをくじき、弱気を助ける筋書きが今夏の清涼剤となった。

しかし、内容はともあれ、銀行とはこういうところなのだろうか。

「もし、○○が取り返せなかったら」「もし、融資先が倒産したら、、」、つまり、リスクを真っ先に考える仕事は、新卒の若者が就く仕事といえるかどうか。。。

もちろん、りっぱな「バンカー」もいるだろうが、おおむね、上司、さらにその上の上司の指示に従う一兵卒、帰りは赤ちょうちんに寄らずにはやりきれない。

「銀行とはどういうものか?」の半沢の問いに、常務は「日本の基盤!メガバンクが経済を回すんだ!」という。

半沢は「銀行なんて、ただの金貸しじゃないですか。」「本来の銀行は、瀕死の病人がいれば助けようとする、病人がいれば手を貸す医者と同じなんだ!」と反論する。

城南信用金庫のトップは、3・11後、「原発反対」の意志表示をし、「代替エネルギーやエコ活動を目指す企業」に融資をすると表明、一気に預金を集めた。

社会の血液、お金をどうまわすか、メガバンクに慣れきった私たちは「グラミン銀行」を知ったとき、その自然な発想に目が覚めた。

銀行の原点のような気がする。

富岡製糸場

2013-12-09 | 日記
富岡製糸場を見学した。

富岡は、来年の世界遺産登録に向け、上州のからっ風も何のその、県、市、町が一体となって、今、熱い。

あれはいつだったか、フォーラム開催の準備で遅くまで残っていたとき、スピーカーの一人から「まだ仕事ですか、大変ですね」とメール、「ここは現代の女工哀史ですから」と冗談で返すと、「○○さん、それは違う。富岡の女工は当時、最先端のスーパーエリート集団だったんですよ」と言われてしまった。

確かに今日の説明でも、渋沢栄一のいとこの尾高が工場長、その娘、勇は女工第一号、寄宿舎の舎監に栄一の姪を起用するなど、全国から女工を公募するために、まずは身内で率先垂範、地方の子女にアピールした模様。

その結果、地元の群馬はもちろん、周辺のさいたま、長野、神奈川から目標の400名の子女が集まった。

そして技術を習得した後、故郷に帰り、指導者となって日本の絹織物の隆盛期を迎えた。

高崎を中心に伊勢崎、秩父、岡谷、八王子など絹織物が主産業となったのは有名な話。

明治政府は富国強兵を急ぐため、手っ取り早くお雇い外国人を多く使った。

フランス人ブリュナもその一人で養蚕、製糸業の指導にあたるため、工場内のコロニアル風の住居に住み、工女の指導に当たった。なかでも、注目されるのはヨーロッパ式の就労規則。

労働時間は8時間弱、日曜日もあり、場内には診療所を設け、厚生施設は充実していた。

国の模範工場として、しばらくは進歩的な、最先端の環境で輝いていたが、赤字つづきで明治年26には三井に渡した。今の民営化である。
その頃になると電気もつき、フランス色もだんだん色あせ、過重労働、夜間労働が始まり、「女工哀史」がはじまったと言われる。

国営の間は手厚い労働環境で守られていたものが、民営化になると利益優先になり、過重労働、夜間労働となるのは今に通じるものがある。

もうひとつ、工場内の操糸機が日産プリンス製だったことに驚いた。そういえば、トヨタ自動車は豊田自動織機から始まったし、織物技術と自動車産業はしっかりリンクしている。

さらに話題を広げれば、作られた絹製品は、高崎、八王子を結ぶ八高線で八王子に届き、八王子から横浜港へ、そして海外へ輸出された。それを「日本のシルクロード」と呼ぶ。

日本のおへそのような中心地、富岡から始まった産業が全国へ技術展開し、さらに新しい産業創出、それと同時に流通の発達、、複合的な発展は、現在、規模こそグローバル化したものの、当時の構造は変わらないのではなかろうか。

数年前から「大人の見学」が流行っている。

異業種の見学は実に面白い。


Lady SAMURAI

2013-12-09 | 日記
辺境の地がフィールドワークのある研究者、あるときはエチオピアの山岳教会の修復プロジェクトを率い、あるときはロシア、ルーマニア、ジブチ等々で活躍している。

その人が「いやぁ、すごいですね、最近は。まさかこんなところには、という辺境の地域に必ず日本人がいるんですよ」、そして、「それも全部、女性!なんです」。

仮にそれを表にでない「影」の場所とすると、この本は「光」の場所で活躍している女性の本。

もともと理数系が専門でカナダの大学に入ったが、たまたま日本史専門の教授のアシスタントとして資料を調査しているうちに、今までの日本史の教え方、理解の仕方に、「何だか変!」と感じ、それなら日本史をちょっと勉強してみようと転科。

そのうち、ハーバード大学で3年間、彼女独特の日本史講座で学生を魅了し、学内のかずかずの賞を獲得したと言う武勇伝だ。

内容はさておき、読後に強く感じたのは「リベラルアーツ」の重要さだった。

大学入試が9科目だった時代とわずか3科目、あるいは2科目の現在の入試はいかがなものか、という識者は多くいる。文系にも理系の知識が必要だし、逆もしかり。

余談になるが、キルトが趣味の友人、パッチワークのデザインはほとんどが二等辺三角形か直角三角形の模様が多い。そのサイズの割り出しに、「1・1・√2」、「1・2・√3」とつぶやいていると、そばにいた娘が、「えっ、キルトにも「数学」が要るの?」と驚いたと言う。
「いやいや、こんなこと、「数学」じゃない、「常識」だろうが、、」と言いたいが。。。

彼女の専門は理数系だが、文系に興味が及び、専門まで高めた力は、両方の融合と自在なスキル。ITを駆使し、ビジュアル化も得意、研究に必要な分析のスキルもお手の物。

底に潜む規則性や因果関係、予測など、文系、理系の総合的な知識が彼女のキャリアを開花させた。

世界にはこういう日本女性が今、至る所にたくさんいるのだろうと想像した。

ちなみに、日本史の講義の切り口は「Lady Samurai」。

歴史は(主に中世)、「Samurai」だけが作ったのではない、そこには、その影、いや表の統治者並みの「Lady Samurai」がきっといたはず、その掘り起こしのプログラムであった。

彼女も現代の「Lady Samurai」、

歴史をつくっている。

靴の製造は

2013-12-09 | 日記
昔読んだ英のミステリー本。
若い女性が電車にひかれて謎の死を遂げる。

刑事たちは身元の割り出しに急ぐ。そしてようやくこう結論づける。
「この女性は上流階級だ」

その理由はきちんと型どりをしたオーダーメードの靴からだった。

日本はオーダーメードの靴などほど遠く、「靴文化」はかなり遅れている。
そのため靴にはいつも悩まされる。
おしゃれ先行だと疲れやすく、機能優先だとデザイン性がない。

それはさておき、最近、気になるのが靴の値段だ。合皮ならわかるが牛皮でも5000円ぐらいから店頭に並んでいる。バッグにしても、デザイン・機能性があるちゃんとしたものがかなり安い。デフレとはいえ、安すぎる。どうしてだろうとずっと気になっていた。

先日、友人のブログに入り、そこから別の人のブログに飛んだら、バングラデシュのハザリバーグ(Hazaribagh)について書いていた。(以下そのブログより抜粋)

「、、この街はバングラデシュの主産業である縫製業の次に、多くの雇用と所得を生んでいる主要産業の牛皮加工産業の街、」

「この街から日本への2011年度の輸出額は約64億円で、国別で世界トップ。年間20万足を日本に輸出している。問題はそこで働く労働者の劣悪な環境だ。マスクもゴーグルも、そして手袋すらしていない。その柔らかい素手を、毒々しい化学薬品の海に浸しては、牛革をせわしなく取り出している。彼らの手は、目は、そして肺はどうなってしまうのだろう?ここには環境や健康、安全という概念は存在すらしないのだろうか…」

「バングラデシュには環境汚染を規制するための法律はあるものの、政府にそれを執行する力が無いという。バイヤーからの価格抑制圧力にさらされながら、利益最大化を目指す工場経営者達にとって、実効力を伴わないルールを守るインセンティブはゼロだ。」
そして、こう結んでいる。

「今自分の目の前にあるモノたちが、一体どこからどのようにやってきたのか、それに思いを馳せることが、ひょっとしたら先進国の消費者として巨大なパワーを持つ僕たちの行動を変え、それが回りまわって、この小さな世界のアチコチにあるハザリバーグを変える一歩になるかもしれない」と。

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もう個人の物の所有は飽和状態のはず、以上のことを考える余裕もあるはず、、

じっくり選べば「人とモノ」の関係も変わるはず。。