第4砲台は火の山砲台の第1~第3砲台と造りが異なり、当砲台だけで独立した造りとなっています。
これは海峡を守る役割を持つ第1~第3砲台とは別に、当初の設計を変更して内陸に存在する
下関要塞本部を守る役割を追加した事によるものです。このような第4砲台の形は堡塁砲台と呼ばれます。
中心にコンクリートとレンガと石で築かれた地下倉庫(掩蔽壕)があり、その上を更に
土で大きく覆い山のような形に整え、中央に観測所と司令室、両脇に28センチ榴弾砲を2門
置きました。この大きさの構造物の周りには、岩盤の上に石とレンガで積み上げた壁(堡塁)が
取り囲んでいました。堡塁の東側には海峡に向けて大砲を据え付けた砲座が築かれ、堡塁の
北側には内陸部に向けた大砲を据え付けた砲座が築かれました。
堡塁部分には12センチカノン砲と15センチ臼砲がそれぞれ4門あったとされます。
明治時代に築かれた第4砲台は、昭和に入り上空に向けた大砲(高射砲)を据え付けるために
一部を新しく作り直したようです。
これは海峡を守る役割を持つ第1~第3砲台とは別に、当初の設計を変更して内陸に存在する
下関要塞本部を守る役割を追加した事によるものです。このような第4砲台の形は堡塁砲台と呼ばれます。
中心にコンクリートとレンガと石で築かれた地下倉庫(掩蔽壕)があり、その上を更に
土で大きく覆い山のような形に整え、中央に観測所と司令室、両脇に28センチ榴弾砲を2門
置きました。この大きさの構造物の周りには、岩盤の上に石とレンガで積み上げた壁(堡塁)が
取り囲んでいました。堡塁の東側には海峡に向けて大砲を据え付けた砲座が築かれ、堡塁の
北側には内陸部に向けた大砲を据え付けた砲座が築かれました。
堡塁部分には12センチカノン砲と15センチ臼砲がそれぞれ4門あったとされます。
明治時代に築かれた第4砲台は、昭和に入り上空に向けた大砲(高射砲)を据え付けるために
一部を新しく作り直したようです。
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