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西南戦争から 日本は道を誤った

2018-09-28 04:00:39 | 日記

明治維新で日本は 新しく出発しようとした

勝海舟が 咸臨丸で アメリカに行き

見聞きした 市民平等の 理想を

日本にもたらそうとした

それで 日本の兵制は 武士を排し 民が主流となった

農民に 銃を持たせ 軍とした

陸軍卿 山形有朋は そういう風に 日本陸軍を

つくった

しかし 西南戦争 薩摩の 西郷隆盛と 新日本陸軍と

とが 熊本 田原坂で 相対したとき 変化した

実にこの 田原坂の戦いが 日本の道を誤らせた

きっかけに 成ったのである

薩摩軍は 武士たちであった 銃で戦う政府軍は 農民が

多かった 接近戦になると 聞きしに勝る 薩摩武士の

抜刀の攻撃におびえ 政府軍は 敗走する

武士が 怖かったのである それで負けた

山形は 武士には 武士でと 勧められるがなかなか同意しない

なにせ 日本陸軍の 根幹をなす問題 市民による新しい軍隊である

結果として 仕方なく 武士を投入する

当時 警察は維新の戦争ののち あぶれた大勢の士族から

なっていた 会津出身者が大勢いたその警察を 山形は投入した

かつて 薩摩を中心にした 政府軍は 会津 松平 を倒していた

その会津の 元士族が 会津の復讐と言って 夜陰に紛れ

田原坂の薩摩軍の背後に 周り 抜刀隊 として 襲い掛かった

農民軍として 政府軍を侮っていた 薩摩軍は驚き 敗走する

しかも この抜刀隊に 山形は銃を 持たせなかった

後 この肉弾戦が日本陸軍 の精神論的 柱となっていく

結局 西南戦争は 士族なくして 勝利できなかったのである

しかも 復讐心 会津の復讐心がこれを制してしまった

市民平等の軍隊も ここに復讐心の前に 士族の精神に

飲み込まれて しまった

抜刀隊の精神は 第二次大戦で

日本軍が 最後に とる無茶な特攻精神となり

ここ薩摩の 飛行場から 生還をきさない

体当たり 特攻隊となっていく

不思議な縁である