第一ブログのほうに、忙しくて、コメントを書き込むことが出来ない旨、
お知らせを書き込みましたが、その理由は、父の葬儀のためでした。
去る10日深夜11時半頃、病院にて息を引き取りました。
4年間寝たきりの生活で、よくがんばったと思います。享年85歳でした。
今年一杯は、もってくれるだろうと、家族は思っていたのですが、
父の身体は、限界に来ていたようです。
10日の夕方病院に行き、見舞ったときには、少々意識は朦朧としていましたが、
こちらの言葉には、ちゃんと反応していました。
鼻にかかる酸素マスクがじゃまくさいらしく、
マスクをはずそうとしするので、
それをさえぎって、「マスクはずしちゃだめだよ!」と言うと、
やけくそ気味に、「わかったー!」とはっきりした声を出しました。
おお、これだけ元気に声を出せるなら大丈夫だろうと、
安心して家に帰りました。
家に帰って、のんびりしていたら、11時近くに、
突然、病院からの電話で、すぐ病院に来て欲しいと連絡が入りました。
さっきまで、元気そうだったのに、なんで?という感じでした。
びっくりして駆けつけた時には、すでにもう父の心臓は、
電気的にしか動いていない状態で、呼吸は止まっていました。
最終的に、死亡時刻は、11時34分となりました。
あまりに、急だったせいか、最初母は涙も出なかったようです。
それでも、父の死に顔は、おだやかで、寝ているときの、
父の顔そのもので、少々笑っているような顔にさえ見えました。
苦しまずに逝けたのかなと思います。
それが、最後を見取ってやれなかった家族にとっては救いでした。
それから、葬祭互助会の方に連絡を入れ、
10日の深夜に病院から霊柩車で、遺体を自宅に運び、
そこから互助会の係りの方と、
2時半近くまで葬儀の打ち合わせをしました。
係りの人も大変だったと思います。
雨の中、一人で遺体を運んでくれ、その後打ち合わせをし、
次の日の朝には、また、我が家に打ち合わせに来なくてはなりませんでしたから。
一通り打ち合わせも終わり、寝ないと身体にこたえるからと、
横になったのが、3時半ごろでしたが、朝まで全く眠れませんでした。
11日は、午前中のうちに、葬儀場の係りの人が来て、
再び葬儀の打ち合わせをしたり、
隣組の方たちがお見えになって、
ご焼香した後に、12日の通夜、13日の葬儀の打ち合わせをしたりと、
あっという間に時間が過ぎました。
今まで、隣組なんて、回覧板回すのが目的の組織かと思っていました。
なんのためにあるのか、存在意義がさっぱり分からなかったので、
年寄りに任せておけばいいだろうというくらいの認識しかありませんでした。
しかし、その隣組が、葬儀の時には、いっせいに動き出すのですねえ・・。
都市部では、すでに隣組など無いところもあるでしょうし、
田舎でも、若い人達は加わらない人が多いようです。
しかし、我が家では加わっていたので、今回の葬儀では、
隣組の方々に、受付や、記帳、駐車場の確保、
来たお客様へのお茶出しなどをお願いしました。
それでも、当日になると、不明な点がいろいろ出てきて、
そのつど、私に質問されるのですが、私も初めての経験で、
何をどうして良いのかさっぱり分からず、ほとんどお任せすることにしました。
すったもんだはあっても、通夜・本葬と無事終わり、
父のお骨を持って、家に着いたのは、昨日の午後3時ごろでした。
父が亡くなった日と、次の日は、結構雨が強くて、
遺体を運んだり、祭壇の準備が大変だったのですが、
通夜と本葬の日は、良いお天気に恵まれました。
良いお天気であって欲しいという、家族の願いが通じたようです。
しかし、今回の父の葬儀を通して、つくづく思い知らされたのは、
今まで世間とのつながりを、ないがしろにしてきてしまったことです。
オウムでは、現世の人間関係なんて、
川の流れに浮かぶ木っ端のようなもので、
無常のものと、切り捨ててしまっていましたから、
別に付き合いがなければ、なくてもいいやという感じでした。
しかし、現実問題、このような葬儀のような場合には、
地域との連携や、親戚との協力が結構必要になります。
たしかに、地域のつきあいや、親戚の付き合いは、
ほどほどにしないと、うっとおしいのですが、
オウムの信徒、サマナのように、全くしないというと、
いざという時に、誰の協力も得られないということになってしまいます。
オウムの元信徒、元サマナの方々も、世間で生きていこうとする場合、
冠婚葬祭の知識や、常識を身につけ、
最低限のお付き合いは、した方が良いかもしれません。
*今日は、私の誕生日ですが、なんともさびしい誕生日になりました。
お知らせを書き込みましたが、その理由は、父の葬儀のためでした。
去る10日深夜11時半頃、病院にて息を引き取りました。
4年間寝たきりの生活で、よくがんばったと思います。享年85歳でした。
今年一杯は、もってくれるだろうと、家族は思っていたのですが、
父の身体は、限界に来ていたようです。
10日の夕方病院に行き、見舞ったときには、少々意識は朦朧としていましたが、
こちらの言葉には、ちゃんと反応していました。
鼻にかかる酸素マスクがじゃまくさいらしく、
マスクをはずそうとしするので、
それをさえぎって、「マスクはずしちゃだめだよ!」と言うと、
やけくそ気味に、「わかったー!」とはっきりした声を出しました。
おお、これだけ元気に声を出せるなら大丈夫だろうと、
安心して家に帰りました。
家に帰って、のんびりしていたら、11時近くに、
突然、病院からの電話で、すぐ病院に来て欲しいと連絡が入りました。
さっきまで、元気そうだったのに、なんで?という感じでした。
びっくりして駆けつけた時には、すでにもう父の心臓は、
電気的にしか動いていない状態で、呼吸は止まっていました。
最終的に、死亡時刻は、11時34分となりました。
あまりに、急だったせいか、最初母は涙も出なかったようです。
それでも、父の死に顔は、おだやかで、寝ているときの、
父の顔そのもので、少々笑っているような顔にさえ見えました。
苦しまずに逝けたのかなと思います。
それが、最後を見取ってやれなかった家族にとっては救いでした。
それから、葬祭互助会の方に連絡を入れ、
10日の深夜に病院から霊柩車で、遺体を自宅に運び、
そこから互助会の係りの方と、
2時半近くまで葬儀の打ち合わせをしました。
係りの人も大変だったと思います。
雨の中、一人で遺体を運んでくれ、その後打ち合わせをし、
次の日の朝には、また、我が家に打ち合わせに来なくてはなりませんでしたから。
一通り打ち合わせも終わり、寝ないと身体にこたえるからと、
横になったのが、3時半ごろでしたが、朝まで全く眠れませんでした。
11日は、午前中のうちに、葬儀場の係りの人が来て、
再び葬儀の打ち合わせをしたり、
隣組の方たちがお見えになって、
ご焼香した後に、12日の通夜、13日の葬儀の打ち合わせをしたりと、
あっという間に時間が過ぎました。
今まで、隣組なんて、回覧板回すのが目的の組織かと思っていました。
なんのためにあるのか、存在意義がさっぱり分からなかったので、
年寄りに任せておけばいいだろうというくらいの認識しかありませんでした。
しかし、その隣組が、葬儀の時には、いっせいに動き出すのですねえ・・。
都市部では、すでに隣組など無いところもあるでしょうし、
田舎でも、若い人達は加わらない人が多いようです。
しかし、我が家では加わっていたので、今回の葬儀では、
隣組の方々に、受付や、記帳、駐車場の確保、
来たお客様へのお茶出しなどをお願いしました。
それでも、当日になると、不明な点がいろいろ出てきて、
そのつど、私に質問されるのですが、私も初めての経験で、
何をどうして良いのかさっぱり分からず、ほとんどお任せすることにしました。
すったもんだはあっても、通夜・本葬と無事終わり、
父のお骨を持って、家に着いたのは、昨日の午後3時ごろでした。
父が亡くなった日と、次の日は、結構雨が強くて、
遺体を運んだり、祭壇の準備が大変だったのですが、
通夜と本葬の日は、良いお天気に恵まれました。
良いお天気であって欲しいという、家族の願いが通じたようです。
しかし、今回の父の葬儀を通して、つくづく思い知らされたのは、
今まで世間とのつながりを、ないがしろにしてきてしまったことです。
オウムでは、現世の人間関係なんて、
川の流れに浮かぶ木っ端のようなもので、
無常のものと、切り捨ててしまっていましたから、
別に付き合いがなければ、なくてもいいやという感じでした。
しかし、現実問題、このような葬儀のような場合には、
地域との連携や、親戚との協力が結構必要になります。
たしかに、地域のつきあいや、親戚の付き合いは、
ほどほどにしないと、うっとおしいのですが、
オウムの信徒、サマナのように、全くしないというと、
いざという時に、誰の協力も得られないということになってしまいます。
オウムの元信徒、元サマナの方々も、世間で生きていこうとする場合、
冠婚葬祭の知識や、常識を身につけ、
最低限のお付き合いは、した方が良いかもしれません。
*今日は、私の誕生日ですが、なんともさびしい誕生日になりました。
こんな事位しか出来ませんが・・・。
Hayley Westenra - Amazing Grace
http://www.youtube.com/watch?v=1pK4PtJiOPE
たいへんでしたね。
死にまつわる儀式は送る側が少しずつそれを受け入れる為にもあると思います。
父の死亡記事になってしまって申しわけないです。
すばらしい歌声をありがとうございました。
そうかもしれませんね。
送られる方は、どんな意識状態なのか分かりませんが、
送る側は、気持ちの踏ん切りをつけるのに役立ちます。
ご愁傷様です…
でも白龍さんが毎日しっかりと看てあげられていたので、お父様もきっとよろこばれてたと思います。
私も10月の終わりに祖母が亡くなり、もうすぐで49日です。
今年はどういうことか5回も身内の葬式がありました。
昔、無理矢理オウムの書籍を送りつけてみたり、オウムの行事を最優先し親族との付き合い等から極力遠ざかっていたので、葬式では親戚の人には気まずい思いをし、故人には申し訳ない気持ちでいっぱいになりました…
>でも白龍さんが毎日しっかりと看てあげられていたので、お父様もきっとよろこばれてたと思います。
ギリギリで最後の親孝行が、ほんの少し出来ました。
間に合ってよかったです。
>私も10月の終わりに祖母が亡くなり、もうすぐで49日です。
>今年はどういうことか5回も身内の葬式がありました。
リラさんのお宅でもそうですか。
我が家も、昨年末から、身内のお葬式が5件続いています。
父の兄弟は、今年になって、父を含めて3人逝きました。
こんな年もあるんですねえ・・。
ほんとに今年は、アーレフが分裂しただけでなく、
総理大臣が突然辞めたり、
自民党が大敗したり、大変動の年だと思います。
>総理大臣が突然辞めたり、
>自民党が大敗したり、大変動の年だと思います。
天候もおかしいでつ。
ちょっと、
うちの近くの地点の気象庁の最低気温のデータ(11月)を見ましたが、
何と、大暖冬だった昨年より高いんです。
ラニーニャ現象だと、寒冬になるはずなんですけどね。
雪は降るでしょうけど、変動が激しくなるかも。
たとえば、大雪が降ったと思ったら、
急に20~25℃の初夏の暑さがやってくるとか。
もし、こうなったら、
わたしのブログに書くことになるかもしれません。
下旬から寒くなるという予報でつ。
嗚呼。
たしかに天候もおかしいですね。
今日はだいぶ寒くなってきたようですけど。
お悔やみ申し上げます。