★★★ 伯 太 藩 (伯太陣屋) ★★★

伯太藩は、江戸時代和泉国泉郡伯太周辺を領有した藩。
藩庁は伯太陣屋(現:大阪府和泉市伯太町)
藩主:渡辺氏(譜代)

野本藩

2100-08-01 | 概要1
野本藩(のもとはん)は江戸時代前期、武蔵国比企郡野本周辺を領有した藩。
藩庁は野本陣屋(埼玉県東松山市)。

藩祖は徳川家康に仕え「槍半蔵」の異名をとった渡辺守綱の嫡子・重綱の五男で、武蔵国比企郡に3000石を領有していた吉綱である。
吉綱は4代将軍家綱の側衆として仕えていたが、寛文元年(1661年)大坂定番に昇進し1万石を加増され大名に列した。
ここに野本藩が成立した。なお、渡辺宗家は、尾張藩 徳川家の家老として1万4000石を領している。

藩領は比企郡、河内国志紀郡・古市郡、和泉国大鳥郡・泉郡に分散していた。
2代方綱には嗣子が無く、尾張藩家老である宗家より養子として基綱を迎えた。
基綱は元禄11年(1698年)武蔵国内の所領の一部を近江国に移されたのを機に、
和泉国大庭寺に陣屋を移したため廃藩となった。

歴代藩主
渡辺(わたなべ)家
譜代 13,000石 (1661年~1698年)

1.吉綱(よしつな)
*渡辺 吉綱(わたなべ よしつな、慶長16年(1611年)- 寛文8年6月19日(1668年7月27日))は、武蔵野本藩の初代藩主。伯太藩渡辺家初代。

尾張徳川家の家老・渡辺重綱の五男。母は杉浦盛嗣の娘。正室は高木正成の娘。子は渡辺近綱(長男)、渡辺利綱(次男)、渡辺方綱(三男)、渡辺則綱(四男)、娘(内藤信通正室)、娘(山田常紀室)。官位は従五位下。丹後守。

幼名は大学。半丞。元和9年(1623年)から徳川秀忠に仕え、3520石の所領を与えられた。後に中央詰、御書院番士、小姓組番頭、書院番頭を歴任する。寛文元年(1661年)11月8日、大坂定番となり、河内国内に1万石を与えられて1万3000石の大名となった。幕臣として、その後も重用された。寛文8年(1668年)6月19日、58歳で死去し後を三男の方綱が継いだ。法号:浄閑吉綱院。墓所:愛知県豊田市寺部町の守綱寺。

2.方綱(まさつな)
3.基綱(もとつな)

重臣
*今井弥一右衛門
*向山利右衛門

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