過去、自分が携わってきた音源を、記憶を頼りに振り返る「セルフ・アーカイブス」を始めます。
まず1発目は
映画「人のセックスを笑うな」オリジナル・サウンドトラック盤。
ジャケの2人は、永作博美さんと松山ケンイチくん。
芸能人の方々をジャケに使った、まこと贅沢な装丁。
映画の撮影は 2007 年1月~3月まで。サントラの発売は翌年、2008年1月16日。
音楽担当が僕に決まるまでのいきさつ・・・は、CD のライナーノーツ(監督の井口奈己さんによる)に詳しい。
そもそも井口さんが、かなり古くからのフィッシュマンズ・ファンだった、ということのようだ。
映画音楽全部を任されるのはは初めての経験、(リトテンで一度、バンドでやったことはあるが)、さてどうするかということで、手探り、試行錯誤の毎日。
クランクインの前に、永作さんが自宅で服を脱ぎ捨てるシーンで、部屋のラジオから 1970年代の洋楽ヒット曲が流れてくる、というシーンがあったので、その歌物は先に必要だった。
録ったのはちょうど、3年前の今日。南青山の CRICKET STUDIO にて。
監督と私が選んだシンガーはずばり、TICA の武田カオリさん。
彼女も、前年の出産後、初 REC だということ。いきなりぶっつけ本番のレコーディング、というわけ。
バンドメンバーは僕が全て選んだ。ギターに TICA 石井マサユキくん、ベースはエゴ・ラッピンのバンドの真船勝博。共に、ケミストリーやハナレグミのバックもやっている強者ぞろい。
ドラムは、当時エゴ・バンドの一員だった菅沼雄太。しなやかなドラムを叩く、大好きなプレイヤーだ。
サックスはこれまたエゴの武嶋聡。
15畳くらいの、決して広くないスタジオで、みんなで「せーの」で1発録り。
ピアノは、1930年ごろに作られたという、超ビンテージの STEINWAY GRAND 。
鍵盤は、象牙で出来ている。美術工芸品の域。
練習で軽く合わせてみて、「じゃ録りまーす」の一言で、まずテイク・ワン。
ばっちり。
もう1回くらいやったかもしれないが、テイク・ワンが OK テイクになった。
何度もテイクを繰り返すと、だんだんまとまった音になってくるのだが、やはり最初にやったテイクに、全てのエッセンスが詰まっている。それは間違いなく。
その日は、テイク・ワン・ラッシュ。ダビングしたパーカッションやシンセ、サックス(武嶋くんお任せのラインによる、ブルージィで素晴らしい楽想)も全て1発OK にした。
武田さんも、1回録って、その次のテイクがOKテイクになったが、通常しょっぱなは実質、練習みたいなものなので、実質テイク・ワン。
やはりこの曲には、得がたいマジックがあったとしか思えない。
それだけに、思い入れもひとしお。発売から数年たった今も、多くの人たちの心を打つ楽曲として、愛されている、らしい。
「ANGEL」。
「ANGEL」も、相当な推敲を重ねて、譜面は消しゴム、修正液の跡だらけ、みたいな、かなり作りこんだ曲だった。
その後は、映画の撮りと、自分のソロ・アルバム「Le Ciel Bleu」の制作があったので、いったん一休み。
「みるめのテーマ」等のピアノ曲、その他の劇伴曲10数曲は、3月の終わりから1週間くらい、締め切りの 3日前くらいに仕上げたような気がする。
もう完全に、「火事場のバカ力」モード。
ただ、監督の井口さんの自分的尺度、イケてるかイケてないかのジャッジが、純度が高いというか、瞬時に判定してくれる人だったので、その辺は非常にやりやすかった。研ぎ澄まされたカンを持つ人である。
残りは、4月中旬に、河口湖スタジオを3日間押さえて、録りきったな。
初日は「みるめ~」とか、ピアノ曲をずらっと。仕上がっている映像をみながら、
「このシーンから始まって、ここのタイミングで曲を終わって下さい」みたいな、
映像見ながらピアノを弾く、シビアな作業だった。
夜に、東京からベースの真船くんとサックスの武嶋くんが到着して、スタジオに入ってきた瞬間、「待ってました!この曲弾いてくれる?」みたいな、あまりにも無茶ないきなり REC にも、素晴らしいプレイで応えてくれた。「ファミレス1」だったかな。
2日目は、古いレコーダから取ったみたいな、劇伴曲を。
ドラムの菅沼くんがその日 NG だった。でもリズム欲しいな、みたいな話になって、サックスの武嶋くんに急遽、スネアをスッタカスッタカ叩いてもらった。
さすが筋がいい。大阪の通天閣みたいな、くいだおれ人形みたいな、なんとなく浪花っぽい、コミカルなテイクがいっぱい録れた。
バイオリンは阿部美緒さん。本来だったら数人でカルテットとかでやる局面も、ダビングで全部演ってくれた。デモが元々鍵盤で作ったので、バイオリンで出ない低い音域とか、弦をゆるめて弾いてくれた。
偉大なるフレキシビリティ。
腕のいい人ばかりなので、あらかじめ用意した譜面をさくっと見て、難なくばっちりこなしてくれた。ほんと有難かった。
高原にあるスタジオ。シカの群れが、10頭くらい遊びに来たこともあったな。
3日目は映画のテーマ・ソング、フィッシュマンズの名曲「いかれたBaby」を。
バンド全員そろって、せーので録音。
春らしい、ふんわりとやわらかい質感の、いいテイクが録れた。
途中、時間が余ったので、シンガーの MariMari ちゃんと、「なんかやってみっか?」ということで、ほんとに遊びのつもりで、「いかれた Baby」をピアノと歌で演ってみようかと。これに関しては、録ってるつもりはなくて、ほんとにちょっとした気まぐれで。
これも1発。なかなかいい演奏だったのだ。
あれ、ひょっとして、今の、レコーダー回ってなかったかな~?と思って、コンソールのほうに目を送ると、「今の録ってたよー^^」とのエンジニアのお言葉。
曲のド頭がブツ切りで始まっているのは、そういう訳。
「いかれた Baby ( unplugged )」が収録されているのは、そういったいきさつ。
この曲も「奇跡」だ。そして、MariMari と、この曲を一緒にREC している、という事実に、魔法のようなめぐり合わせを感じていた。その時。
河口湖で録った10数曲。最終日、夜中のスタジオで、25:00 くらいから始めたかな?駆け足で、全てミックス作業。終わったのが 06:30 だったような。
これはきつかった!
河口湖からの帰りに、エンジニアの山口泰さん(この人も偉大なフレキシビリティの塊)と、日帰り温泉行って、どこかで手打ちそば食べて、すごく救われた気分だったな。
さてこれで全て終了、お疲れさまでした!!!という段階で、エンディングに使う予定だった「いかれた~」が諸般の事情で使えないらしい、という事態が勃発しまして。
監督とプロデューサー含め、頭を抱えて悩んだあげく、やはりフィッシュマンズのカバー、という点には是非ともこだわりたい、という監督のお言葉。
かくして、やや勢いのある楽曲「MY LIFE」が選ばれた。私がフィッシュマンズに在籍していた頃、直に携わった楽曲を。
じゃあ、いつRECするんだ?という話。映像と音楽の音合わせは、1週間後に迫っている。・・・この辺の流れはライナー・ノーツにも書かれているが、私が直近に、大阪のスタジオで、別企画、別制作のアルバムを録音する、という予定になっていたので、じゃあそのプログラムが夜中に終了してから、朝までそのままスタジオを借り切ってやりましょう。皆さん大阪にお越し下さい、と。
かなり無謀なプランニング。でも、もうそれしか手がなかった。
ちょうどその時、別企画のRECでバックをお願いしていたのが、大阪のスカ・バンド、仲のいい The Miceteeth の面々。
ドラムの金澤くんとか、ベースの和田くんあたりは、中学生のころ、私がいたころのフィッシュマンズをクアトロで見たことがある、と聞いていた。
じゃ、流れ的にばっちりじゃん?と、自分の中で閃きまくった。
谷町4丁目の WANSK STUDIO で深夜のレコーディング。MariMari ちゃんも駆けつけて、怒涛のセッション。
5,6 テイクくらい録ったかな。井口さんが選んだのは、多少ヨレてはいるものの、
モリモリと勢いのあるテイク。
0泊2日で、皆さん帰京。
映像と音楽の音合わせ、その前の日の話。ギリギリ、セーフ。
もっともっと、書きつくせないエピソードもあるのだが、感嘆したのは、監督井口さんの閃きと、直感。何度助けられたことか。
このサントラ盤に関しては、実質上、井口さんと私の共同プロデュースと申し上げて差し支えないと思う。
そしてプロデューサーの西ヶ谷氏(東京テアトル)、いつも温かく見守ってくださった、アソシエイト・プロデューサーの相良みどり女史(お元気ですか?)、またその他、多数関わって下さった、優しい優しいスタッフの方々には、今もって感謝の念を禁じえない。
音楽はもとより、映像制作も、今までなかった大胆な「間」と手法で持って、おそらく手探りの感もあったであろう現場だが、映画は結果、予想された興行成績を大幅に超える、大ヒット作となった。
このアルバムも、監督の類稀な感性によって、自分の知らなかったポテンシャルを存分に引き出してもらった、言ってみれば実に愛着の深い作品なのです。
発売後2年経った今も、ロング・セラー街道驀進中!
こちらで試聴できます。