すーさんノォト

日々思うこと。
五七五で言ってみる。

四日、大厄日

2020-01-05 00:25:55 | ひとりごと


乾風吹く 無礼者らが 集い来る


狼になるか吾  眠れぬ真夜は


この42年間のうち、最も来客が少ない、最も楽な 稀にみる元旦となった。
漸く、念願のまずまず理想的な、お正月を迎えることができて、「あー、やっと人並みの、普通の元旦になった。私の希望に近づいた。解ってくれた。」と思った。
夫が、42年にして、やっと妻の、気持ちを汲んで、弟一族を過剰に歓待するのを辞めてくれた。
と思っていた。
勘違いだった。甘かった。
一日、姑を施設から一時外出させて、帰宅後間もなく、下の義弟夫婦と、次女来訪。
続いて、三男夫婦。
私達夫婦、姑 合わせて八人のすこし遅い、昼食会が始まる。
予定の人数、それに合わせた量のお正月料理。

夫と義弟達、その次女は食卓で。
妻達はリビング横の部屋で、ホットカーペットに座り、和やかに会話しながらの食事会。
こんなに、穏やかな正月の会は初めてのこと。
てんてこ舞いすることもなく、義妹達と和気あいあい、飲んだり食べたり。
夫たちも、気遣う者も居ない自分たちのお喋りに興じて、お酒も進んでいるよう。
あっちとこっち、勝手に盛り上がり楽しいひと時だった。
ところが一時間経つか経たないかのころ、
玄関のチャイムが鳴る。
三男の、下の娘夫婦が!来た。予定外!
ここの一歳半の娘が、暮れからインフルエンザにかかり、来れないと連絡があった。はずだった。
治ったので来た、という。三男夫婦は大喜び。というか、そういう予定だったよう。
特にこの娘の母、義妹は大喜び、大はしゃぎ。 
ここぞと、初孫を抱き上げあやす。
こちら、大急ぎで、三人ぶんの食器類をしたくする。席を作る。
和やかな空気は、一変、夫も白けた顔で、いつの間にか退席。二階に上がって行った。私がてんてこ舞いしてる間に。
静かな空間はいっぺんにくずれ、あとは、いつもの義弟たちのペース。
又いつ果てるとも知れない集会になってしまった。
一通り、この姪家族に酒など勧め、可愛くもない子どもにも、愛想をいい、二階に一旦引き上げる。
テレビを見ている夫に、腹立ち紛れの嫌味を言う。
なんか、随分無神経じゃない?インフルエンザは、完全に、治ってるの?という私に、夫切れる。
「仕方ないじゃないか!来ちゃった者は。」
そりゃそうだ。
だけど、アンタいつも、めんどくさくなったり、自分がやりたくないことは、そうやってシレッと逃げるよね。
だいたいアンタ、ここ数ヶ月言ってたこと、嘘だったの?ただのあなたさまの思い過ごし。
自分だけが思い込んでた妄想?
それだろね、もう弟たちには、遺産として、母親の貯金を三等分して、渡した。なので今まで通りの盆と正月の集会はやらない。
自分たちの子ども、孫は、自分たちの家でそれぞれやる様に。
我が家ではもう盛大に飲み食いはやりません。
と宣言した。と私に言い安心させた…のは一体。
かなり認知症も進み、12月に骨折した姑、今年からは外泊は無理、六時過ぎくらいまでには施設に戻らねばならない。
なので、それに合わせて、義弟たちも帰宅した。
つまり以前のように、9時頃まで我が物顔で居座るということはなかった。
少し険悪に、なった我々夫婦だったが、姑を六時半に送り、帰って来た私に、小さな声でおつかれ、と言う夫。今までなかった労いの言葉。
まあ仕方ないか。
夕飯がまだの私は一人、残り物を食べ11人分の洗い物を片付ければ、やっぱりいつもの夜中。

翌日、二日には、我が家の娘家族四人が、新年の挨拶に来た。
親子だからやはり違う。可愛い孫たちに和まされ、楽しい半日を過ごした。
そして、昨日三日は、夫婦で初詣。
嫁して42年(43年か?)初めてと言ってもいい楽なお正月だった。少し余計なのが途中参加したとはいえ。

明日は、孫たちと近くのモールで遊び、買い物に付き合う。予定だった。
ところが、である。
その予定を覆される。
本日四日、11時に、二番目の弟の息子夫婦と、娘家族が来ると言う。(その娘家族の子らは三人ともインフルエンザに。なので来ませんと、元日にLINEが入った。)
でも来た!総勢六人。聞いてないよ!
なにそれ、もう三が日は過ぎてますよ!
私は昼には孫たちのところへ行く予定です!
唖然とする私に、夫は言い放つ。 

来る者は仕方ないじゃないか。

11時半に到着したご一行、ゆっくりして行くという。つまり昼ごはんは食べますよ。と。
なんたる図々しさ。非常識さ。デリカシーのかけらもない、こちらの都合無視!
仕方ないよねぇ、だって数十年歓待してくれた伯父の家、当然、食事くらい出すよねぇ。
急ぎ支度。
夫、俺が買いものするから、アンタは、時間に出かけりゃいいじやないか。とのたまう。
それだけで済むわけないだろ、すくなくとも皿茶碗、など出し並べてお茶の用意、
一通りのことをして、用事があるので、失礼すると詫びを入れ…

なんやねん!!!

孫と娘には、事情を言い小一時間遅刻すると連絡。
やっと家を出ることが出来、孫たちと遅い昼食を食べたが、心はどんよりしたまま、晴れない気持ちのまま。
帰宅して、やはりスッキリはしない。愚痴というか不満を言うともなしに呟くと、亭主一喝。
何をぐずぐず言うか!あんたにはそんなに迷惑かけとらん。来る者は仕方ないじゃないか。

いやいや、来るなら元旦にいっぺんの方がまだマシ。しかもインフルエンザにかかってるって、言ってたよね。完全に治ってるの?
オソロシイ、デリカシーもないし、非常識だよね。にむっつりする亭主。いや関係ない話をして、私を攻撃することも忘れない。
しかしおかしいだろう。中途半端な事をいい、適当な解釈で、私を騙した訳か。

ちゃんときちんと、あちらサイドに言ってくれ!
もう今までのような、接待はしないできない!と。

くたびれた。いつもよりずっとくたびれた。今年の正月。だらだらと。突拍子もなく、無遠慮にやって来る義弟一族。
夫にはますますあいそを尽かした。
この人に付いて行く気は、今全くない。

鎌鼬

2019-12-17 23:22:08 | ひとりごと

   



言の葉寒し 胃のキリキリする夜


鎌鼬 こどもが好きで 女々しくて


虎落笛 置き去りにさるる 子の心



先週、書き始めた文章、続きを書くエネルギーも文章力もなく、時間もなくて辞めてしまった。

腹はたったままだし、納得もしてない。
だから、せめて十七音にだけは、残そうと思い直した。

補足というか、最小限の説明と言うか…

ある御仁の発言に、我慢がならなかった。

「ばあば(その御仁からみて、義理の母。つまり私)家に泊まるのは、娘にとって『逃げ』になるから許可出来ない。」
娘とは、小学生の孫のこと。
あることから、学校生活が困難になった。
保健室での授業が、未だに続いている。
情緒の安定は一進一退。

御仁は、娘が教室での授業を頑張り、ある程度の成果を認めた時、「ご褒美」を与えた。
そのひとつに、自身の実家、自身の両親の元に一泊旅行させると言うものがあった。
孫娘は大喜びだった。
それは本当に良かった。それが励みや頑張る源になり、元気が戻るなら。
ところが、やはりそれは一時しのぎ。
でもきっと、そんな風に楽しい事、安らぐ事、癒されることを繰り返しながら、元の生活に戻すしかない。時間がかかるけど。
孫娘は、今度はもっと近場のばあばの家に来たがるようになった。
少しパワー不足や心身の衰えを感じる今日この頃だが、そんな事は言っていられない。
孫娘が望むなら、それで少しでも癒され回復するなら、と「お父さんとお母さんが了解してくれたらいつでもいいからね。」と伝えたところ、
此方に泊まらせる事には反対と言う意志表示。
何故?にの答えが、『逃げ』になるから。

我が実家は、『ご褒美』
義理の親の家は『逃げ』???
どう言う意味?いやどう言う事?

いや待て、その分け隔ては、ともかく
『逃げ』でもいいじゃないの?
事実、自分だって逃げさせてあげてんじゃないの?毎日学校へ車で送り、保健室授業を認め、わがままなどなどを許し、それ逃げじゃないの?
義理の親の家だけには泊めたくないと、言う
その理由が知りたい。
実家はご褒美、義理の親の家は逃げ。
(して、その心は???)

肝心の娘(孫娘)の気持ちは?
この子の望みは置いてきぼり。
本当にそれで娘は幸福だと思っているのだろうか。









三兄弟会議終わる

2019-11-06 20:44:36 | ひとりごと




放屁虫 金で片付け 和解する


放屁虫 掃除機をもて 吸われけり


11月4日、義弟たちとの話し合い。結論から言うと、お金で決着をつけたらしい。
義弟が申し出た金額で。

夫が話し合いに先立って、義弟に発したのは、10月での
自分や家族に対する罵倒を、撤回し謝罪をしてくれ。という言葉。

義弟は、あれから自分の発言を悔やみ悪い事をしたと、謝ったと言う。
それで、夫は全て許した、ということらしい。
義弟の頼みを、望みをのみ、お金を渡すことを承諾した、という事にしたと。

基本的に、自分は弟達とは、揉めたくない、仲良くやっていきたい、と言う。

あらま、
あの、三回目の話し合いの後、義弟の無礼や暴言を絶対に、許さない。
縁を切る事だって辞さない。
毎日毎日同じ、恨み言を聞かせてた…
聞かされてた。私自身も義弟の発言の内容は許せない、と思っていた。
もしかしたら、もうこれで今までの、面倒な親戚付き合いもなくなり、盆正月の、地獄のような集会もなくなる…
毎回、ここに来る時、その他、会う度に取るぞんざい且つ横柄な感じ悪い態度に、嫌な思いをしなくて済む。良かったぁ。
偉そうに、我が娘たちの将来のことまで、言って、この実家、仏さんを絶やすことのないようと
命令口調で発言する。
盆正月の集会の際に。
娘も、だがその連れ合いは、更にこのへんな集会の居心地の悪さに、早嫌気がさしている。
出来るだけ参加したくない。
それがなくなれば、少しはこちらに来る時の気持ちも軽くなるだろう。

ところがなんのことはない、全てはちゃらに。

正月などの行事は、やめるわけにはいかないだろうと、しれっと宣う夫。

姑亡き後は、義弟たちに、遺産、家屋敷土地のことなど、一切口出す権利は放棄する、と言う覚え書きを書かせ印鑑を押させる。
なので間違いは無い、という。弟たちは、絶対に信用できるんだと。

覚え書きって、法的にはなんの効力もない、と司法書士。
私は義弟たちを全く信用していない。
こんな時に、お金を要求してくる輩、母亡き後、自分たちにも、遺産分与の権利あり、家屋敷は絶対に絶やすな、と言うに決まってる。
我々のすることにいちいち口出しして来るだろう。そういう人間だから。


夫のお人好しと言うか、もしかして無知?なのかの思いが湧いてくる。
自分に謝ったから全て許して、要求をのむなんて。
そりゃ、お金をくれるなら、謝るのなんて容易い事!ってのがわからないのか?
なんと、単純な長兄。良かったね、義弟たち。
良い兄さんを持って。

放屁虫(へひりむし)ミイデラゴミムシ、亀虫などのことを言う、秋の季語。

この日はダイニングの天井に張り付いていた。
夕飯の時に、見つけた。
食事中に落ちてきたり飛び回ったら嫌だ!
なので、椅子の上に乗り掃除機で吸い取る。
ごめん、カメムシ。
吸い取りたいのは、非常識で無礼な義弟のアホ発言だったり、夫のブレまくる言葉、なんだがね。

昨日の事

2019-10-23 19:47:55 | ひとりごと


揺るる草の穂 精霊めきて 昼の月


三回目となる、夫たち兄弟の「土地名義変更及び、親の遺産相続等」の話し合いが、昨日の午後、行われた。

いつものように、お茶とお菓子を出し、私は席を外す。
二週間、訪問出来ずにいた姑さんの施設に行く。    この三兄弟の母親である。
認知症は又幾分か進み、この二、三日は胃の調子も悪いと知る。
土曜日はコスモスを、施設の皆で見に行くらしい。
良かったね、コスモス綺麗だろうね、お天気が良いと、いいけど。
などとお喋りして、又来るからと手を振り、帰路につく。

帰宅すると、すでに義弟たちの車は無く、私が
車庫入れすると、すぐに夫が、勝手口から出てきた。
表情でほぼ察しがついた。夫の思い通りにはならなかった、と。
けれど、夫が話す内容に、それ以上に
愕然となる。

100坪強の土地名義変更はともかく、
母親の名義口座の1千万円を、今、三等分してくれ、と。
兄貴は信用ならない、このお金は、自分たちも貰える権利がある。
これから母親が何年生存するかわからないが、兄貴はこのお金を自由に、勝手に使ってしまうだろう。母親が死んでからの残金はいくらになるのか保証がない。今なら一千万。
年金は施設代以上の金額のはず、兄貴だけいい思いをするのは不公平だ。
それでなくても、親と同居して随分金銭面で得をしただろう。
その一千万を、今三等分するなら、土地は好きなようにしたらいい。

なんたる身勝手な、言い分!なんたる勘違い!
20年前、この新居を立てる際の苦労、その後の
生活状況を知るよしもない義弟。

そして二千万も出資したという、もう認知が入り出したころの母親の、虚言。
実際は、ほとんどが夫のお金。
四千万のローンも全く手伝ってもらう事なく、
十数年間払い、第一次定年の時に残高を払い完済した。

20年間、姑たちは私たちに、一切生活費を入れていない。
盆正月の、義弟たち家族、一族郎党、20人超えを毎年欠かさず、もてなし食事、お酒を振る舞い、奉仕した私は…
憤懣やるかたない。だがそれ以上に怒り、落胆したのは、夫だった。
「兄貴は信用ならない。」この言葉。
妻より娘たちより、なにより最優先させて大切にもてなしてきた、弟たちから出た言葉が、これとは。

しかし、もうこの際、言う通りに事を進めると決意したらしい。
自分がもしも早く死んだり、認知症になったら後に残った私や娘たちが大変な思いをするという。
早く決着をつけた方が、後々面倒なことにならないと。
私は正直、違う考えだが…だからこそ昨夜から今まで、悶々とし鬱鬱とし頭痛薬を三包飲み、やっとこれを書き始めたのだが。

なんと狡猾な、なんと腹黒い義弟たち。

そんな、発言をし挑戦状を叩きつけ、それでも今まで通り、盆正月には平気な顔で、一族郎等
飲み食いにやってくるのだろうか?
平気な顔で、母親の葬式に列席するつもりなのだろうか。
そもそも、母親が死んだら。を連発するアンタたちの精神が信じられない。




花野

2019-10-08 10:52:24 | ひとりごと




 



そろそろ一ヶ月になる。 
小四の孫が、全く元気を無くし、まるで心身を閉ざしてしまったかのようになってしまってから。

下校時の二、三時間と、土日のどちらか一日、娘が出勤のときだけ、一緒に居るだけだが、その変貌ぶりに、心が痛み どう対処、あるいはどんな言葉をかけたら良いのか、わからない日々だった。
この子の両親の苦労、心労は計り知れなかった。いやまだ過去形でもない。

でも、ほんの少しだけ、前進はしてるよう。
回復はしているよう。
蒼白かった顔色が、少しだけ血色が戻った気がした日曜日。
そして昨日、駐車場で待つばあばの車に乗り込むやいなや、「明日、四時間授業なんだ!友達と自転車で遊びに行くけどいい?友達のお母さんは良いって言ってるの!」
一瞬怯む(笑)ばあば。
「それはいいね、でもお母さんとお父さんにも聞かないと。ばあばはいいと思うよ、じいじも、⚪︎⚪︎が、全然自転車に乗らないって心配してたしね。」
頭の中で、色々考える。三人で自転車、それはそれで心配…事故がないよう、四時半からのスイミングスクールに間に合うかなど。後は娘達(子の両親)がどう言うか。
やっと、せっかく こんな風に積極的に外で友達と遊ぼうという気持ちに、前向きに上向いた気持ちを潰すようでは可哀想。
勿論、潰そうなどとは思わないけど、心配のあまり反対するかも…などなど。
でも、どうやら娘達の方がよほど、そういう風になってくれるのを待っていたかのよう。
夜、我が家に子どもたちを迎えに来た娘、すんなりと、承知した模様。
久しぶりの笑顔で、帰って行く孫娘。

どうか、うまく計画どおり、楽しい時間になりますように。
天よ、願いを叶え給え。天気予報は、曇り後晴れ。
今、突然の雨がやんだところ。
あの日以来、様々な催し、行事がキャンセルされ、事細かに計画表を作ってきた孫娘の楽しみを奪ってきたが、そろそろ希望を叶えてあげたい。楽しみはこれから。良いことはこれからが本番だよと、わからせたい。まだ10歳の孫へ。
人生はまだ始まったばかり。



常闇を 離れ蝶々 花野へと