大井川流域の索道・林用軌道 など中部圏の産業遺構史料調査&探索、趣味のボヤき

投稿頻度は多くありませんが、ゆっくり気長にお読み、お待ち頂けますと幸甚に存じます。

川根(志太)電力索道のこと ①

2020-05-25 17:05:00 | 探索記録
初めに

川根電力索道(志太電力索道)とは
大まかに言えば藤枝地方から千頭方面まで大井川流域の荷物運搬及び堰堤、‪發電‬所建設資材運搬、大井川鉄道建設資材運搬の為に建設された索道施設である。鉄道が開通後、列車の貨物扱いによる荷受減少により、昭和14年に廃止。
※廃止年は文献によりデータの違いがあります。
伊久身村教育記念誌は昭和16年、ネット各サイトなどでは13年ともあるため不明。この廃止日が一般顧客向けに対する廃止で、事実上、法人の荷受け(資材運搬)は数年の間行われていたので廃止年がずれ込んだのでは?との推測。

現代で有名な遺構を挙げれば、地名駅にある保安隧道(北、南側)が有名であり「日本一短いトンネル」として名を挙げた。

その他概要(基本情報)
運転開始日 大正14年8月 
区間 瀧澤(瀬戸谷)〜中平 停車驛

中平〜地名は15年開通。
地名から澤間間は昭和5年に開通。

停車驛一覧
・瀧澤
・檜峠
・中平(伊久美)
・上河内
・奥山
・桑野山
・櫟峠
・地名
・下泉
・田野口
・堀之内
・田代
・岸前山
・小長井
・澤間

屈曲所一覧(独自調査)
・坂下
・檜峠
・上河内
・桑野山
・櫟峠

荷物に対しては勿論運賃が発生するが、寝台特急の様な等級が、各品目に振り分けられていた。
瀧澤〜地名で米(一俵)の運賃は650銭
中平〜地名で木材(標準60貫)の運賃は850銭

搬器一台につき100貫(375㌔)積載可能。



創業時社長  笹野甚四郎
昭和5年地点  彭木(サカキ)嘉津馬
昭和8年地点  八木乙吉

正式社名  川根電力索道株式會社
本社  静岡縣志太郡藤枝町鬼岩寺177番地

上記は社内文書、及び各文献を参考にして調査した内容です。

索道に関する画像や史料などのデータは長年調査して参りましたが、殆ど見ることはできませんでした。私の所有している史料の範囲で調査及び探索は今後も継続して参りますので、お付き合いのほど宜しくお願いいたします。

一先ず当時の風景をご覧下さい。

大井川 東川根村小長井全景
左に見られる吊橋は川根大橋(初代)。


因みにこの写真にも索道は小さく写っております。

旧版地形図と所有文献を照らし合わせると地図の索道表記の地点はほぼ間違いないと見て良いと思います。但し、小長井の停車場など集落内の動線はまだ未探索になりますので不明とさせて頂きます。廃止から80年近く経過していますので、市街地では電柱のように撤去後も基礎が大きく残っているとは考えにくいです。市街地の荷物の落下事故防止のため、宅地中心部を通る箇所は少なく、停車場も街の中心にある訳では無いので探索は困難を極めると予想されます。

まだ史料はありますが、少しずつ公開して参りますので、お付き合い宜しくお願い致します。

次回は索道の動力方式、受電関係について書き込む予定です。

以上



八光山林用軌道のこと

2020-05-21 09:41:00 | 探索記録
国土地理院旧版地図昭和27年だったか?
福用駅から分岐する林用軌道の表記が見られた。
林鉄にしては距離は極端に短く、また大井川鐵道が経営及び管理していたものではなく、別会社、又は森林組合が管理していた軌道と思われる。

大正14年に大井川鐵道創立したが、それ以前の写真を1枚。

大井川鐵道敷設工事全景 福用驛付近の一枚。
軌条敷設及び土盛工事は西本組が請負。

敷設工事時に林鉄の姿は見られないため、敷設と同時に工事が行われたか、またはそれ以降で昭和20年代まで活躍していたと推定する。
八光山森林軌道(仮名)は西に聳え立つ八光山から取った仮名であり、軌道跡と平行に白光川が流れる。
私有の廃止された簡易索道や、草木に埋もれた茶畑用のモノレールも道沿いに見られた。




それらしい石積みが、かつて此処に林業で発展した名残かもしれない。

軌道終点付近と思われる場所は開けており、真新しい人工物も見られた。(恐らく流量計の設備の一部?)



謎が多い森林軌道、これからも真相に迫っていこうと思います。

以上。