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駒澤大学「情報言語学研究室」

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しゅくし【淑姿】しくし

2022-10-15 10:41:14 | ことばの溜池(古語)

 しゅくし・しくし【淑姿】
                                                                          萩原義雄識

  源順編『倭名類聚抄』の序に、
    竊以延長第四公主柔德早樹。淑姿如花。呑湖陽於蜩陂。籠山陰於氣岸。
    
   【訓み下し】
    窃(ひそ)かに以(もち)ひみるに、延長(エンチヤウ)の第四(ダイシ)公主(コウシユ)は、柔徳(ジウトク)早(つと)に樹(た)ち、淑姿(シクシ)花(はな)の如(ごと)く、湖陽(コヤウ)を胸陂(キヨウヒ)に呑(の)み、山陰(サンイン)やまかげを気岸(キガン)に籠(こ)む。

   標記語「淑姿」については、『日国』第二版の当該語見出し語には、初出語例として中世の『三国伝記』〔一四〇七(応永一四)年~四六年頃か〕巻第二・二一と巻第七・四から引用し、
    「宮中玲瓏として淑姿の像明かに」 
    「窈窕(えうてう)淑姿(シクシ)の玉皃を瑩(みが)けり」 
としていて、この二例を所載し、それ以前に充る『和名抄』は未載にしている。であるのあれば、巻第二・二一の語例でなく、此の『和名抄』序の語文を用例に据えた方が良いものとみる。同じく『和名抄』序から引用語例とした語に「きようひ【胸陂】」「セツケイ【折桂】」などが見えているので、尚更此の語例についても同様な形式で採録を期待するところとなっている。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
しゅくーし【淑姿】〔名〕(「しくし」とも)しとやかな姿。りっぱで美しい姿。*三国伝記〔一四〇七(応永一四)~四六頃か〕二・二一「宮中玲瓏として淑姿の像明かに」*三国伝記〔一四〇七(応永一四)~四六頃か〕七・四「窈窕(えうてう)淑姿(シクシ)の玉皃を瑩(みが)けり」*江戸繁昌記〔一八三二(天保三)~三六〕三・祇園会「垂髪高冠淑姿を誇る」
しくーし【淑姿】〔名〕⇨しゅくし(淑姿)

   
  東京国立博物館本『倭名類聚抄』十卷(昌平本)
  大東急記念文庫蔵『倭名類聚抄』二十卷本(天正三年菅為名書写)
  東京都立中央図書館河田文庫蔵『倭名類聚抄』(山田本)


コツバウ【忽忘】

2022-10-14 00:55:19 | ことばの溜池(古語)

2022/10/14 更新
 コツバウ【忽忘】
                                                                          萩原義雄識

  源順編『倭名類聚抄』序に、
    摠而謂之欲近於俗便於事臨忽忘如指掌不欲。
  【訓み下し】
   摠じて之を謂はば、俗に近く、事に便にして、忽忘に臨みて掌を指すが如くならむと欲す。
 
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
こつーぼう[‥バウ]【忽忘】〔名〕すぐ忘れてしまうこと。*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「忽忘 コツハウ」*文明本節用集〔室町中〕「忽忘 コツバウ」*山鹿語類〔一六六五(寛文五)〕二一・衣服の制を明にす「諸臣は君命をしるし我所述をしるし、世事をのせて君命に応じ、忽忘なきを以てつとめとし、且つ君に指示し奉るの便用とす」*漢書ー張禹伝「忽忘雅素、欲流言」【辞書】色葉・文明【表記】【忽忘】色葉・文明


ゆつのつまくし【湯津爪櫛】

2022-10-06 17:42:00 | ことばの溜池(古語)

ゆつのつまくし【湯津爪櫛】 
⑸顕昭『袖中抄』巻 〔京都大学図書館蔵平松文庫蔵二〇八齣所収〕
  ゆつのつまくし
あさまたきけふさいとなくかきなつる
かみなひくなりゆつのつまくし
 顕昭云ゆつのつまくしとは日本紀注云湯津(ユツ)ノ
 爪櫛(ツマクシ)師説湯是レ潔斎之義也。今云由紀(ユキ)ト者是湯
 之義也。主基者是其次也。然則湯(ユ)ハ者是( レ)伊波
 比支与麻波留(ヒキヨマハル)之辞(コトハ)也。津者是レ語助也。天津等
 皆是也。爪櫛(ツマクシ)ハ者其ノ形(  チ)如爪(ツメノ)也。問云
  文ニ投(ナク)ト於醜女(シコメ)ニ[一]爪櫛者同欤。兼欤。答云案古事
  記ヲ云判左ノ之御美豆良湯津之間櫛之男柱
  一箇取闕也。下文云判其右請美豆良之湯津之
 間櫛  闕而投弃。然則左右各別此文難不見
  而猶可依彼文也。
 
 顕昭(ケンシヤウ)云(い)ふ、ゆつのつまくしとは『日本紀注(ニホンギノチウ)』に云(い)はく、湯津(ユツ)の爪櫛(ツマクシ)。
 師説(シセツ)に、湯(ゆ)是(こ)れ潔斎(ケツサイ)の〈之〉義(ギ)なり〈也〉。
 今(いま)云(い)ふ由紀(ユキ)とは〈者〉、是(こ)れ湯(ゆ)の〈之〉義(ギ)なり〈也〉。
 主基(シユキ)は〈者〉是(こ)れ其(そ)の次(つぎ)なり〈也〉。
 然(しか)れは則(すなは)ち、湯(ユ)は〈者〉是(こ)れ伊波(イハ)比支与麻波留(ヒキヨマハル)の〈之〉辞(コトハ)なり〈也〉。
 津(つ)は〈者〉是(こ)れ語助(コノタスケ)なり〈也〉也。
 天津等(あまつら)皆(みな)是(こ)れなり〈也〉。
 爪櫛(ツマクシ)は〈者〉其(そ)の形(かた)ち、爪(ツメ)のごとき〈如〉なり〈也〉。
 問(と)ふて云(い)ふ、文(ふみ)ニ醜女(シコメ)に〈於〉投(ナク)ぐと爪櫛(つまくし)は〈者〉同(おな)じか〈欤〉。兼(か)ぬるか〈欤〉。
 答(いらへ)て云(い)ふ、案(アン)ずるに、『古事記(コジキ)』を云(い)ひ、判(ハン)ずる左(ひだり)の〈之〉御(み)美豆良湯津(みつらゆつ)之(の)間櫛(まくし)の〈之〉男柱(ほとり)は一箇(イツカ)を取(と)り闕(か)くなり〈也〉。
 下文(くだしぶみ)に云(いは)く、判(ハン)ずるに其(そ)れ右(みぎ)に請(う)け、美豆良之湯津(みつらしゆつ)之(の)間櫛(まくし)を闕(か)きて〈而〉投弃(なげす)つ。
 然(しか)れば則(すなは)ち、左右(ともかくも)各別(カクベツ)に此(こ)の文(ふみ)に見(あらは)せざり〈不〉難(かた)くして〈而〉猶(なほ)、彼(かの)文(ふみ)に依(よ)るべき〈可〉なり〈也〉。

小学館『日本国語大辞典』第二版
【親見出】しゆーつ【斎ー】ゆつの爪櫛(つまぐし)
(後世は「ゆづのつまぐし」とも。「ゆつ」の「つ」が、「の」の意であることが忘れられてできたもの)「ゆつ(斎ー)爪櫛」に同じ。*日本書紀〔七二〇(養老四)
〕神代上(兼方本訓)「陰(ひそか)に湯津爪櫛(ユツノツマクシ)を取りて其の雄柱(ほとりは)を牽折(ひきか)き」*新勅撰和歌集〔一二三五(嘉禎元)〕恋三・七八八「かつ見れど猶ぞ恋しきわぎもこがゆつのつまぐしいかがささまし〈藤原基俊〉」*仮名草子・東海道名所記〔一六五九(万治二)~六一頃〕四「尊(みこと)すなはち、湯津のつま櫛を稲田姫のかしらにさして」*浮世草子・新可笑記〔一六八八(元禄元)〕二・二「浅からぬ御枕のはじめ、ゆづのつまぐしなげて御心にしたがふと見て夢はさめての明かたに」【辞書】書言【表記】【湯津爪櫛】書言
    
【古辞書】江戸時代の『書言字考節用集』には、標記語「湯津爪櫛」で、訓みを「ゆづのつまぐし」としていて、「津」が既に助語「の」に相当する語である意識が失われていたことが見てとれる。語註記には「爪櫛は柞(ユス)なり〈也〉神代卷」とするが、「柞(ユス)」の訓みは、「ハハソ。ニレ。タラノキ。クシノ」が玉篇訓に見え、

【古辞書】
①『新撰字鏡』柞 奈良(なら)、又、比曾(ひそ)、又、志比(しひ)なり
②『和名抄』 柞 由之(ゆし)、漢語抄に云ふ、波々曾(ははそ)
③『名義抄』 柞 ユシ・ハハソ・カシ・ユシノキ・キル・キキル・サク・ナカスホナリ 
④『字鏡集』 柞 キル・ユスノキ・ユヅリハ・カシノキ・ハハソ・マユミ・ナカスホナリ・ユシ・カシ・サク・キキル
とあって、『字鏡集』に「ユスノキ」の訓みを所載することが見えている。それ以前は、「由之(ゆし)」、『名義抄』の第一訓「ユシ」が見えている。
 
湯津(ユヅ)爪櫛(ツマグシ)ーー者柞(ユス)ハ/也神代卷〔巻七器財門由部(三四オ)六二五頁5〕

『古事記』上卷神代
○かれ速須佐之男命(はやすさのをのみこと)。すなはちその童女(をとめ)を湯津爪櫛(ゆつつまくし)にとりなして。御美豆良(みみづら)に刺(ささ)して。その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神(かみ)にのりたまはく。汝等(いましたち)。八塩折(やしほをり)の酒(さけ)を釀(かみ)。また垣(かき)をつくり廻(もとほ)し。その垣(かき)に八(やつ)の門(かど)をつくり。門毎(かどごと)に八(やつ)の佐受岐(さづき)を結(ゆひ)。そのさずきごとに。酒船(さかぶね)を置(おき)て船(ふね)ごとにその八塩折(やしほをり)の酒(さけ)をもりて待(まち)てよとのりたまひき。

『日本書紀』くし【櫛】19語中「湯津爪櫛」3語一文訓み下し
360○伊奘諾尊、聽(き)きたまはずして、陰(ひそか)に湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取(と)りて、其(そ)の雄柱(ほとりは)を△牽(ひ)き折(か)きて、秉炬(たひ)として、見(み)しかば、膿(うみ)沸(わ)き蟲(うじ)流(たか)る。〔卷一〕
369○伊奘諾尊、又(また)湯津爪櫛を投げたまふ。〔卷一〕
857○△故(かれ)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、立(たちなが)ら奇稻田姫(くしいなだひめ)を、湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に化爲(とりな)して、御髻(みづら)に插(さ)したまふ。〔卷一〕

『古事記』上卷神代
○かれ速須佐之男命(はやすさのをのみこと)。すなはちその童女(をとめ)を湯津爪櫛(ゆつつまくし)にとりなして。御美豆良(みみづら)に刺(ささ)して。その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神(かみ)にのりたまはく。汝等(いましたち)。八塩折(やしほをり)の酒(さけ)を釀(かみ)。また垣(かき)をつくり廻(もとほ)し。その垣(かき)に八(やつ)の門(かど)をつくり。門毎(かどごと)に八(やつ)の佐受岐(さづき)を結(ゆひ)。そのさずきごとに。酒船(さかぶね)を置(おき)て船(ふね)ごとにその八塩折(やしほをり)の酒(さけ)をもりて待(まち)てよとのりたまひき。