落語家の立川談志さん、喉頭がんで死去(読売新聞) - goo ニュース
のどのガンというのは
ずいぶん前にニュースでありましたね。
声がでなくなるなんてとんでもないと
根治治療を拒否していたと聞きました。
それはそれで、ひとつの生き方だと思いました。
合掌。
以下、記事転載
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落語家の立川談志さん、喉頭がんで死去
2011年11月23日(水)17:03
人気落語家で元参議委員議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが、21日、亡くなった。
75歳だった。
1936年、東京都生まれ。52年に五代目柳家小さんさんに入門。小よしの名で前座に。54年に小ゑんで二ツ目、63年に五代目立川談志を襲名して真打ちに昇進した。小ゑん時代から頭角を現し、切れ味のある 啖呵 ( たんか ) と痛烈な毒舌でファンを増やした。同年代の三遊亭円楽さんや古今亭志ん朝さん、春風亭柳朝さんとともに「寄席四天王」と呼ばれて活躍。66年開始の日本テレビ系の演芸番組「笑点」で初代司会者を務め、テレビやラジオ、映画の世界でも売れっ子になった。
71年には参議院全国区に無所属で立候補して当選。自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官も務めた。
83年には、弟子の真打ち昇進問題をきっかけに一門とともに落語協会を脱退。「立川流家元」として一派を率い、志の輔さん、談春さんらの人気落語家を育てた。
97年にがんを公表。手術して高座に復帰したが、09年8月末に体調不良から休養を発表。10年4月に再度復帰を果たしたものの、今年4月に当面の休養を発表し、入退院を繰り返しながら闘病を続けていた。
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のどのガンというのは
ずいぶん前にニュースでありましたね。
声がでなくなるなんてとんでもないと
根治治療を拒否していたと聞きました。
それはそれで、ひとつの生き方だと思いました。
合掌。
以下、記事転載
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落語家の立川談志さん、喉頭がんで死去
2011年11月23日(水)17:03
人気落語家で元参議委員議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名・松岡克由=まつおか・かつよし)さんが、21日、亡くなった。
75歳だった。
1936年、東京都生まれ。52年に五代目柳家小さんさんに入門。小よしの名で前座に。54年に小ゑんで二ツ目、63年に五代目立川談志を襲名して真打ちに昇進した。小ゑん時代から頭角を現し、切れ味のある 啖呵 ( たんか ) と痛烈な毒舌でファンを増やした。同年代の三遊亭円楽さんや古今亭志ん朝さん、春風亭柳朝さんとともに「寄席四天王」と呼ばれて活躍。66年開始の日本テレビ系の演芸番組「笑点」で初代司会者を務め、テレビやラジオ、映画の世界でも売れっ子になった。
71年には参議院全国区に無所属で立候補して当選。自民党に入党し、沖縄開発庁政務次官も務めた。
83年には、弟子の真打ち昇進問題をきっかけに一門とともに落語協会を脱退。「立川流家元」として一派を率い、志の輔さん、談春さんらの人気落語家を育てた。
97年にがんを公表。手術して高座に復帰したが、09年8月末に体調不良から休養を発表。10年4月に再度復帰を果たしたものの、今年4月に当面の休養を発表し、入退院を繰り返しながら闘病を続けていた。
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