9月14日 ② 2008-10-21 07:07:59 | Weblog 日新館を出て飯盛山へエスカレーターを乗り継いで登りました。白虎隊の自決の地です。戊辰戦争・西南戦争で亡くなった人は時代の犠牲者で戊辰戦争は西南戦争よりも必要性はなかったと思うのですがなければ西南戦争がもっと大きな戦争になっていたでしょう。白虎隊記念館を見て鶴ヶ城へ昼食にソースカツ丼を コンクリートでできたお城はあちこちに嘘があり薄っぺらで寂しかった。 15時会津若松を出て泉崎の川原邸に
9月14日 ① 2008-10-20 06:42:11 | Weblog 8時ホテルのロビーに降りて行くと学君は待っていてくれました。 早速、会津藩校日新館へ 門前に山川健次郎先生の像があり、九州大学初代総長、九州工大の初代総裁が会津の人だった事を知りました。 幕末家老だった、佐川官兵・衛東京警視曲一等大警部(「鬼官兵衛」の名で薩摩軍に恐れられ田原坂に石碑が大分にお墓があります。)の事、設立意義、教育方針など展示されいました。 藩校の場所が示された地図がありましたが明善校が肥前になっていました。 校内に弓道場があり和弓を初めて射ました。矢4本200円 弓の引き方も知らず洋弓と同じにした笑われました。 結果は2本届かず1本的はずれ1本的中央に一寸はずれ 初めてで的まで届くのは珍しく的に当てたのは初めて、と褒められて
9月13日 ② 2008-10-17 07:49:10 | Weblog 仙台14時29分発の普通列車で伊達へ 今回の旅行の目的の1つ伊達市諏訪野のコモンと呼ばれる広場を見に養老孟司の「無思想の発見」を読まなければ今度の旅行は思い立たなかったかも知れないし、旅行に行く為の理由にもならなかった。 15時40分1伊達着 次の電車16時13分に乗らないと会津若松に19時に着かないその次だと20時を大きく過ぎてしまう。駅から大して遠くないので歩いてゆっくり見るつもりだったのに30分しかありません。仙台の駅地下が恨めしい。 結局タクシーでゆっくり一回り、広場を敷地と考えれば一戸当たりの広さは贅沢でこのゆとりが安心を生むのだと思う。 郡山で東北本線から磐越西線に乗り換え、赤いラッセルッ車を見ながら会津若松へ 19時到着、駅前のホテルに荷物を置き隣の焼き鳥屋へ焼酎「日本の農村」を飲んでいると隣のおじさんがどこから来たかと聞くので「伊達から」と答えると「会津の者は伊達は好かん」と怒って言う伊達市に寄ってから来たというつもりが言葉をはしょって失敗した。関ヶ原の時芦名氏を滅ぼした事、戊辰戦争で奥州連合を裏切った事、それから1時間歴史の講義を受けてしまった。日頃、酒席で私の隣りに座る人の事を思い苦笑いの時間を過ごした。
9月13日 ① 2008-10-15 06:38:23 | Weblog 9時起床 10分歩いてJR仙台駅へ荷物をコインロッカーへ預け青葉城に (途中古本屋が覗きたくてウズウズしたが覗くと2時間はかかる自分を知っているにで諦めて)25分歩いて歴史博物館へ 関ヶ原の時に家康が政宗に与えた100万石の幻の安堵状、戦いの前の約束は反故にされるものが多いがこれは有名、関ヶ原の戦いの最中芦名氏を滅亡させた為に家康の怒りを買った為といわれているが政宗はしぶとく後に伊予宇和島で10万石を貰っている。 博物館で2時間天守跡の青葉城公園にこの坂は急勾配で長く厳しかった。どこまで続くかと何度上を見たことか。 青葉城公園から仙台市内を一望して伊達正宗と黒田長政の器量を思った。 帰りはさすがにタクシーで仙台駅へ仙台のスーパーでしか売ってないものを探して駅地下へ気がついたら発車前2分駆込んだが間に合わず、ホームのベンチで駅地下で買った鰻重ではない牛タン重弁当を食べて1時間後の電車を待った。
照れくさい 2008-10-15 01:26:54 | Weblog 9月12日から1ヶ月を過ぎて9月13日から始めようと思っていたけれどアメリカ経済を見てつ一言 今のアメリカはローマ帝国の滅亡の時に酷似している。は私の持論 アメリカが今の国是を変えなければ (海外からの移流民を国民として認める・大統領が権力保持の為に国民への異常なリップサービス) 10年後には1ドル80円台になる。国家予算は国債依存度が高くなり今の軍事力は維持できなくなる。高学歴を必要とする製造業へ就職する若者が激減、ドルが下がっても輸出力は強くならない。貧富の差はますます大きくなる。農業は利益確保の為に移流民を必要とするがこれが失業者を増大させる。農製品は売れるけれども地下水の枯渇で増産できない。 悪魔のスパイラルに入り滅亡する。 アメリカは強いという幻で成り立って経済は今回の破綻で信頼を回復することは出来ない。 あたるかなー?