私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

やはり75歳と言う節目

2024年08月09日 | 自分のブログ

ちまたで言われる75歳は、だれが付けたのか「後期高齢者」と言われます。

なんか、他の名称もあっても良いかと思う自分です。

一昨日、自分も不注意?からケガをして8針縫うことになりました。

もう、65歳前からですので。10数年通い生活している道志村の家です。

道志川の支流の田代沢です。

空気も水(湧き水)も美味い道志です。

木工も好きでいろいろなモノを作ったり、建てたりもしました。

この焚火台は何代目になるのでしょうか、新たに台も広く作り替えました。

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72歳まで働きましたが、コロナ禍などでリモートワークも多くなり、私の活躍(必要性)なども感じて完全退職いたしました。

それまでは(現職時代)毎日、何十人から何百人の方々に接触し立場的に意見を申し上げたり、アドバイザーとして、それなりに活躍してきたと思います。

それが完全退職を機に一変したのです。思えば72歳から現状の76歳までの4年間にです。

毎日が曜日に関係なく自由であることに、期待と希望もありました。

気兼ねせずに何でもできると思っていたのです。

しかし、75歳が一つの峠と感じました。頭の中は回転しているのですが・・・。

そんな筈じゃないが、口癖になってきました。それは体力と気力との対峙でした。

年齢的にもいろいろなことが重なりました。

今では会話する相手も少なくなっています。(これはこれで良いかと思います)

しかし、否めないのは体力と気力の衰えです。

床に残る血の跡です。

夜になって、サッシュの窓を閉めようとしたのですが、レールに何かが挟まっていたのでしょう。強く閉めた時です。自分の中指も挟まり擦過傷で指から血が滴り落ちています。

応急処置は施しましたが、止血してもしばらく止まりませんでした。

ごみ箱に溜った、止血したティッシュは燃やし場で焼きました。

夜中も眠れないくらいに、ズキズキと痛みます。痛め止めのロキソニンはありません。

翌朝、村の診療所に8時半ごろに向かいました。

何年か前に建て替えたそうですが、広くきれいな診療所です。受付の方も看護師さんも新設で丁寧です。

ドクターも、元は県立病院に在籍していたそうです。

指先を消毒して包帯でも巻いて、痛め止めでもいただくのかな?と思っていました。

直ぐに、レントゲン室に呼ばれました。何方向からも映像しています。

レントゲン検査の結果、骨には異常は認められないとのことですが、傷は骨近くまで入っていると・・・。こんな時は過ぐに救急車を呼びなさい!と言われました。この程度ですと夜間でも診療所にドクターが来られて治療にあたってくれるそうです。

ドクターも時計を見て、ケガしてから12時間かぁ~と言っています。

直ぐに酔注射をして、傷口を洗いあとは縫うとのことです。

麻酔注射を打つ時は、飛び上がるほど痛かったですね。裏表ですので8針縫いました。

麻酔が切れてもまだ裏面を縫っています。本当に痛い目に合いました。

ドクターに呼ばれて、今後の対応です。村民ならいつでも状況は見られるのですが、東京の自宅に戻りますので、あとはかかりつけ医と相談するようにと、状況と紹介状をいただきました。

何が言いたのかです。自分ではまだシッカリしていると思うのですが、75歳過ぎると体や行動することが減少しているのでしょう。考えと体の動きが付いて行けないのです。

あるブログ仲間のコメントにもありました。最近、いろいろなことが起きていますね!ご自愛をと・・・。

皿洗いや片づけなどを早々にして、帰宅の途に着きました。

たしかに、最近はケガや体調不良が多くなっています。

自分ではこんな筈じゃないと、一時のように思っていたのですが・・・。

年齢と体調などは比例していることが分かりました。

やはり75歳が(体力的と動作)峠のように感じます。残るは年齢には別にして認知症ですかね?

これはネガティブではなく、事実的な将来の姿なのでしょう。

私のスマホに取り付けた「所在の分かるGPS機能」から、診療所は道志のこんなところにあるの?と女房のスマホで確認してラインがありました。

みなさんも、75歳過ぎると確実に何らかの老化現象があるかと思いますので、お気をつけてお過ごしください。

 

yuki76

コメント (6)
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