ちまたで言われる75歳は、だれが付けたのか「後期高齢者」と言われます。
なんか、他の名称もあっても良いかと思う自分です。
一昨日、自分も不注意?からケガをして8針縫うことになりました。
もう、65歳前からですので。10数年通い生活している道志村の家です。
道志川の支流の田代沢です。
空気も水(湧き水)も美味い道志です。
木工も好きでいろいろなモノを作ったり、建てたりもしました。
この焚火台は何代目になるのでしょうか、新たに台も広く作り替えました。
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72歳まで働きましたが、コロナ禍などでリモートワークも多くなり、私の活躍(必要性)なども感じて完全退職いたしました。
それまでは(現職時代)毎日、何十人から何百人の方々に接触し立場的に意見を申し上げたり、アドバイザーとして、それなりに活躍してきたと思います。
それが完全退職を機に一変したのです。思えば72歳から現状の76歳までの4年間にです。
毎日が曜日に関係なく自由であることに、期待と希望もありました。
気兼ねせずに何でもできると思っていたのです。
しかし、75歳が一つの峠と感じました。頭の中は回転しているのですが・・・。
そんな筈じゃないが、口癖になってきました。それは体力と気力との対峙でした。
年齢的にもいろいろなことが重なりました。
今では会話する相手も少なくなっています。(これはこれで良いかと思います)
しかし、否めないのは体力と気力の衰えです。
床に残る血の跡です。
夜になって、サッシュの窓を閉めようとしたのですが、レールに何かが挟まっていたのでしょう。強く閉めた時です。自分の中指も挟まり擦過傷で指から血が滴り落ちています。
応急処置は施しましたが、止血してもしばらく止まりませんでした。
ごみ箱に溜った、止血したティッシュは燃やし場で焼きました。
夜中も眠れないくらいに、ズキズキと痛みます。痛め止めのロキソニンはありません。
翌朝、村の診療所に8時半ごろに向かいました。
何年か前に建て替えたそうですが、広くきれいな診療所です。受付の方も看護師さんも新設で丁寧です。
ドクターも、元は県立病院に在籍していたそうです。
指先を消毒して包帯でも巻いて、痛め止めでもいただくのかな?と思っていました。
直ぐに、レントゲン室に呼ばれました。何方向からも映像しています。
レントゲン検査の結果、骨には異常は認められないとのことですが、傷は骨近くまで入っていると・・・。こんな時は過ぐに救急車を呼びなさい!と言われました。この程度ですと夜間でも診療所にドクターが来られて治療にあたってくれるそうです。
ドクターも時計を見て、ケガしてから12時間かぁ~と言っています。
直ぐに酔注射をして、傷口を洗いあとは縫うとのことです。
麻酔注射を打つ時は、飛び上がるほど痛かったですね。裏表ですので8針縫いました。
麻酔が切れてもまだ裏面を縫っています。本当に痛い目に合いました。
ドクターに呼ばれて、今後の対応です。村民ならいつでも状況は見られるのですが、東京の自宅に戻りますので、あとはかかりつけ医と相談するようにと、状況と紹介状をいただきました。
何が言いたのかです。自分ではまだシッカリしていると思うのですが、75歳過ぎると体や行動することが減少しているのでしょう。考えと体の動きが付いて行けないのです。
あるブログ仲間のコメントにもありました。最近、いろいろなことが起きていますね!ご自愛をと・・・。
皿洗いや片づけなどを早々にして、帰宅の途に着きました。
たしかに、最近はケガや体調不良が多くなっています。
自分ではこんな筈じゃないと、一時のように思っていたのですが・・・。
年齢と体調などは比例していることが分かりました。
やはり75歳が(体力的と動作)峠のように感じます。残るは年齢には別にして認知症ですかね?
これはネガティブではなく、事実的な将来の姿なのでしょう。
私のスマホに取り付けた「所在の分かるGPS機能」から、診療所は道志のこんなところにあるの?と女房のスマホで確認してラインがありました。
みなさんも、75歳過ぎると確実に何らかの老化現象があるかと思いますので、お気をつけてお過ごしください。
yuki76