現実は否定しないけれど個人としては原発反対であります。
恐ろしいまでの発電能力が可能な原発は反面、恐ろしいまでの危険も内に含んでいます。
本当に危険でないのであれば、東京電力が福島や新潟の僻地に原発を作る必要など無いのです。
何百キロという送電線を作ってまで田舎に作る理由は一つなのです。
札束で疲弊している僻地の行政の頬を叩いて納得させてきた現実のツケが回ってきました。
それを誘導してきた国の責任でもあります。
と、いうことは国民の責任でもあります。
もう20年ほど前にすごく仲の良い先輩と原発議論。
僕は反対、彼は賛成。酔った二人の指す指先は着地点を見出すことはありませんでした。
しかし腹を割って議論できる二人はそれはそれ。仲の良い友達でした(彼は故人であります)。
完璧に制御できるはず(国民向けには)であった原発だが、僕の納得いかないことが
都会の電力(安全であるはずの原発による)を遠い過疎の僻地に作る矛盾と
それによってできる放射能廃棄物の未来の子供たちへの無責任なる責任転嫁でした。
「トイレのないマンション」問題とも比喩されるこの現実が許せなかったのです。
今や前者の懸念が現実となって大地震、大津波、火災という怒涛被災の上に襲い掛かろうとしています。
天災の上に人災が追い討ちを掛けようとしています。
もし原発が最悪の事態になればまさに人災です。日本国の選択した確率の一つなのです。
福島市の水道水からも検出されたというあるはずのない微量の放射性物質のヨウ素とセシウムなどは
まさに原発事故からの放出と考える他ありません。
しかし現実は現実。
被災者はこの寒波で厳しい夜を過ごしている事でしょう。
行方不明者は災害から100時間を過ぎてのマイナス気温。
僕等が出来ることは・・・・・・。
佐渡も雪が降り積もっています。寒いです。
どうか一人でも命が助かりますように、安心して眠れますように。
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