魚信伝心ブログ

東日本大震災から8年

あの恐ろしい映像が流れたのは8年前の3月11日。
佐度も震度4でかなり揺れました。
僕は店に居て母は倉庫に居ました。
大きいと感じた僕はすぐに母に倉庫から出るように大声で伝えました。
僕の家は昭和15年の五十里の大火で燃えてしまい、蔵だけが3つ残りました。
風が強い日だったそうで30軒以上離れた火元から延焼し、山側にも延焼。
蔵の土壁に味噌などを塗ってさらに耐火したそうです。
その焼け残った蔵をそのまま使って建てたものですから蔵はもうボロボロなんです。

東日本大震災の揺れはかなり長く続いて向いのバス寄せ道路に溜まった雨水が
ゆっさゆっさと揺れていたのを思い出します。

その日は昨日まで行っていたように年中行事で仲間とスキー旅行の日でした。
もう荷物の一部は仲間の車に積み込んでいて夕方に出発することになっていました。
先乗りしていた仲間から、やっとつながった電話で蔵王はすべて停電で
無理なので来ないように。彼らも新潟まで走るとの連絡が来たのでした。
そしてテレビから流れるあの映像。
本当に恐ろしい映像でした。
多くの人たちが家を家族を命をそしてふるさとを失いました。
そしてあの福島原発の事故。
これで完璧にふるさとに帰れず家族や住民がバラバラになった人たちも多いのです。
普段のあたりまえが本当に大切だということを感じずにはいられません。

宮崎の大先輩のブログで知ったのですがコピペしておきます。
「今日3月11日にヤフーで 3.11 と記入して検索すると、ヤフーから10円が復興支援のために寄付されるそうなので、今すぐ検索を致しましょう。」
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