去年の今頃、
3月11日から12日にかけて、
夜もテレビでは真っ暗闇の現地の上空中継や、火災映像、
目を疑うような映像が繰り返し映し出され続けていた。
都内、我が身にも襲い続けていた余震。
一方、地元である秋田県は停電状態。
電話で無事の確認を取れるようになったのは12日の朝。
そして、他の東北の友人達の安否がとても気がかりになっていた。
僕は宮城には携帯へ電話を掛けなかった。
貴重な連絡手段の電源を消耗させてしまうのではないかと考えたからだ。
代わりに、インターネットで確認できる個人の安否情報や、
災害伝言ダイヤルで無事の知らせを探していた。
その後、
それによって、無事を確認できた友人も居た。
人づてで無事だという事が分かった友人も居た。
でも、本当はもしかしたら、
すぐにでも携帯電話に直接連絡を試みた方が良かったのかもしれない。気持ちの上で。
後になってそう思ったことが何度もあった。
なにより友人達が無事だという事が分かって、ほっとした。
あの頃、それまでとは何かが違う、
今まで襲われたことの無い、得体の知れない精神状態だった。
何日も余震が続いていたし、
沢山の人が、それぞれの不安定な精神状態だった事でしょう・・・。
そして、原発。
政府の発表、東電の会見。
どれが真実、なにが本当なのか。
SPEEDIを全面的に公表したのはその後、5月になってからだ。
それを隠しておきながらの曖昧な指示はいったい何だったのか。
政府の対応や、
後出しばかりの東電の会見、それまでの管理。不信感ばかりが重なった。
平和だった福島を返してくれ。
そして、俺たち日本国民を一体何だと思ってるんだ。
今もまだ何も解決なんてしてない。
いつの間にか長文になってしまったな。
岩手、宮城、福島。それに青森、茨城、千葉、東京。
日本。
地震、津波、放射能、汚染水、土壌、
交通、住まい、医療、食べ物、
原発作業員、子供達。
亡くなられた多くの方々。
重すぎる現実。
重すぎて、このブログに書いて残すのも躊躇してしまう気持ちもあるが、
1年経ったこの日に記しておくことにする。
でも、1年という節目だけど、
区切りではないし、終わってない。
日本の未来を想い、願う。