例年1月の3日は京都の西北にそびえる愛宕山に登っておったのですが、本年は小生の都合でアイゼンを要する登山は少し…ということで、中止させてもらいました。その代わりというと無礼な感じもしますが、目えつぶってケンケンでも可能ではないかと思われる池田市の五月山頂上の愛宕神社に参拝することにしました。
先ずは麓の慈母観音像を拝し、山道に入ります。京都の愛宕山の表参道の取りつきのエゲツナサに比べたら、必要な体力は1000分の1以下という感じです。
早くも秀望台に到着、彼方に六甲山を見ます。秀望台は一般には第2展望台と言われているところです。
京都の愛宕山と同じく愛宕神社までの町石があります。ただ、ここの町石は頂上の愛宕神社から一町、2町と数えています。麓から数えていく普通の町石とは逆になっています。
五月台は俗に第3展望台、能勢・亀岡方面への眺望に優れています。妙見山、歌垣山、剣尾山などが見えているはずですが、なかなか比定できません。萩原台、グリーンハイツ、清和台など住宅地はすぐに分かるのに(笑)。昔は若気の至りで、ここでバーベキューをしたり、米軍払い下げの軍用食を食べたりしたところです。
五月台から50メートルほどで池田の愛宕神社に到着です。参拝者は我々以外には誰もいませんでした。この神社の解説によると「五月山」は「佐伯山」が訛ったものらしく、そうなると池田には秦氏、坂上氏、紀氏、佐伯氏と、もう古代豪族のそろい踏み。
神社から望海亭跡を見て、大広寺に下りました。ここの血天井を一度見たいなあと思っているのですが、なかなか実現しません。
望海亭址
長年、この辺りを根拠としていながら池田城祉に言ったことがないという人のためにたこ焼きの前に池田城祉に寄ります。
池田城祉から
この後は、例によってひばりのたこ焼き、幻の池田の銘酒である緑一も飲みました。さらにひら川に行って呉春を飲もうとするとオヤオヤ?今年は4日から開店と言うことでした。クッソーということで太郎兵衛寿司にしけこみます。
本年は高雄のもみぢ家で露天風呂と宴会というのができませんでしたが、これで呉服湯でも開いていて、ゆっくりと何処かの座敷で飲めたら、何か癖になってしまうのではないかと思います。何せ、山登りが楽チン。
先ずは麓の慈母観音像を拝し、山道に入ります。京都の愛宕山の表参道の取りつきのエゲツナサに比べたら、必要な体力は1000分の1以下という感じです。
早くも秀望台に到着、彼方に六甲山を見ます。秀望台は一般には第2展望台と言われているところです。
京都の愛宕山と同じく愛宕神社までの町石があります。ただ、ここの町石は頂上の愛宕神社から一町、2町と数えています。麓から数えていく普通の町石とは逆になっています。
五月台は俗に第3展望台、能勢・亀岡方面への眺望に優れています。妙見山、歌垣山、剣尾山などが見えているはずですが、なかなか比定できません。萩原台、グリーンハイツ、清和台など住宅地はすぐに分かるのに(笑)。昔は若気の至りで、ここでバーベキューをしたり、米軍払い下げの軍用食を食べたりしたところです。
五月台から50メートルほどで池田の愛宕神社に到着です。参拝者は我々以外には誰もいませんでした。この神社の解説によると「五月山」は「佐伯山」が訛ったものらしく、そうなると池田には秦氏、坂上氏、紀氏、佐伯氏と、もう古代豪族のそろい踏み。
神社から望海亭跡を見て、大広寺に下りました。ここの血天井を一度見たいなあと思っているのですが、なかなか実現しません。
望海亭址
長年、この辺りを根拠としていながら池田城祉に言ったことがないという人のためにたこ焼きの前に池田城祉に寄ります。
池田城祉から
この後は、例によってひばりのたこ焼き、幻の池田の銘酒である緑一も飲みました。さらにひら川に行って呉春を飲もうとするとオヤオヤ?今年は4日から開店と言うことでした。クッソーということで太郎兵衛寿司にしけこみます。
本年は高雄のもみぢ家で露天風呂と宴会というのができませんでしたが、これで呉服湯でも開いていて、ゆっくりと何処かの座敷で飲めたら、何か癖になってしまうのではないかと思います。何せ、山登りが楽チン。
頂上に到着して、たまに車の通る舗装道路がありますと、がっかりすることがあります。 折角息せき切らして上ってきたのに、と恨めしく思うこともありますが、、、
上天気の日で良かったですね。 町を横切る橋と川の美しいこと。
この山の道路は一応有料道路だったと思います。今はこの奥に池田市の霊園があり、墓参りの道にもなりました。
本日のルートは、いつもはたこ焼きを食べた後に歩くところです。もう少しスッキリとしていたら、海まで見えたのですが。
しかし、剣尾山、妙見山などは登り、摂津もいい山があると思いました。
中山の向こうに宝塚がありますが、私は宝塚歌劇は大好きです。あまり回数は行ってませんが、あの世界は素晴らしいと思います。訓練というか、努力の結晶のような乙女の舞台の輝き、心洗われます。西成の居酒屋もわかりますが・・
池田城は、何回か落城しています(爆)。有名なのは織田信長に攻められたときですが、1508年に細川高国方に攻められて落城したときは城主の池田貞正以下は大広寺で切腹しています。その時に血の流れた床板が残っているとのことですが、まだ見たことはありません。
宝塚歌劇と西成の居酒屋、同じ世界の同じ日本の同じ畿内に存在するとは到底思えませんね。
ここ京北の冬の寒さはなかなかのもので朝などは-6℃と厳しく、ついついコタツで丸くなってしまいがちです。大阪時代の金剛山へ雪を求めに行ったのが懐かしく思い出されますが、京都はやはり愛宕山でしょうね。愛宕さんは割りと骨があり、ある友人は、穂高に行くときの上高地から涸沢へよりしんどいといいますが、雪の愛宕を経験してみたいと思いつつまだ果たせていません。首なし地蔵の近くにある、龍の小屋で一夜を過ごして呑み明かし、愛宕界隈を歩きまわるのも良かろうと考えているのですが。
それはさておき、京都の愛宕山の方は、もう何十回と登っていますが、考えてみれば、そこからの発展として、地蔵山に数回登り、田尻に十回ほど下りただけで、後は裏参道や谷山林道のお世話になってばかりで、龍の小屋というのも知りません。全然、広がりのない登山をしておったと言うことですね。
アイゼンを付けて、となると行動も制約されますし、その時期は日も短いということで、今年は暖かい時期にたくさん愛宕に登りたいなあと思っています。